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■薔薇園の憂鬱・上

見渡す限りの薔薇園には、むせかえるような香りが漂っている。
私はそれを見て、まぶしい思いで目を細めた。
――帽子屋屋敷は本当にきれいですね……。
とはいえ、私はさしてきれいではない。
質素な服に黒エプロン。手にはバケツを持っている。

ブラッドと、許された者だけが入れる秘密の薔薇園。
実はこの薔薇園を知ってから、かなりになる。
場所を教えられ、いつでも来ていいと言われたのは、何と最初の滞在時。
その後、ごたごたして、いろいろあって忘れていたけれど用あって久しぶりにここに入った。
しかし薔薇の観賞に来たわけでは無い。
「さて、と」
私はガサガサと薔薇の茂みの中に分け入る。
「……痛っ」
棘が頬をかすめてチクッと痛む。血が出たかな?
でもめげずに探した。こういうこととなると、私は俄然集中する。
「何を探しているの?」
と後ろから声をかけられても上の空で、
「薔薇の実を探してるんです。乾燥させ自前のローズヒップティーを作ろうと思って」
と答えた。
「それは無理な話。この薔薇園はあやつがしっかりと手入れをしている。咲き終わった薔薇など残さないよ」
「…………っ!!」
聞き覚えのある声に振り返ると、ハートの女王ビバルディが立っていた。

「え……ええ……あれ?」
薔薇の匂いにむせて幻覚を見ているんだろうかと私は混乱する。
「ふふ。目を白黒させて、子猫のようだこと」
ビバルディが戸惑う私の手をつかみ、薔薇の茂みから引き出した。
バケツが転がり、どこかに消えて見えなくなる。
そしてビバルディはいきなり私にキスをする。
「ん……んん……」
私は凍りついていた。
ハートの女王ビバルディ。
自分がまだ清い身体だったころ、彼女が私にしでかした背徳の行為は忘れられない。
……ついでに言うなら、その後にペーターにされた異常な行動も。
おかげでハートの城への苦手意識は不動のものになった。
女王の趣味、宰相の執着、騎士の脅威があって、ハートの城はついに私の避難場所にはならなかった。
そして、出来れば二度と会いたくなかった御仁が目の前にいる。
「ほほほ。可愛いのう。わらわに会いたかったか?」
「いえ会いたかったというか。何であなたがここに……」
離れようとしたけれど、意外に強い力で再度引き寄せられ、抱きしめられる。
薔薇の香水の匂いで何だか頭がぼんやりする。
「……や……」
ビバルディが顔を近づけ、先ほど薔薇の棘がかすめた頬を舐められた。
「血が薄くにじんでいる。女の子が顔に傷をつけてはいけないよ」
うっとりとささやかれ、混乱ばかりが増していく。
よく分からない。女王が何で帽子屋領にいるのか。
えーと、あ、そうか。
「私、薔薇の香りで幻覚を見ているんでしょうか?」
真顔でビバルディに聞く。
すると彼女は一瞬きょとんとして次の瞬間に大笑いした。
「ああ、そうとも。今の私は幻のようなもの。ひとときの時間だけが見せる夢……」
私にそうささやくと、彼女は私を薔薇園の草むらに横たえる。
納得した私は安心して今の支配者を見上げる。
「そっか。そうですよね。女王様がいるはずないですし」
それにしても自分にこんな耽美な願望があったとは。
けれど女王はほんのわずかに眉をひそめる。
「相変わらず、少し可哀相な子よのう。あいつも、それをいいことにつけこんで……」
あいつとは誰だろう。でも聞く前に女王が唇を重ねた。
「可哀相な可哀相な子。今は私が慰めてあげる」
そして私が何も抵抗しないので、手際よく服を脱がしていく。
エプロンが取り去られ、ボタンが外されて肩がむきだしになる。
「もう少し色恋に聡いようであれば、あんな馬鹿者に囚われることはなかっただろうに……」
そして、そっと服の隙間に手を差し入れる。
「あ……」
いつかの女同士の行為が蘇り、私は声を上げた。
でも幻の中の女王様は、快楽にばかり浸らせてくれない。
私の耳元にそっとささやく。
「おまえは幸せかい?何か悩みがあるなら話しておくれ」
悩み相談の雰囲気では無いのにそう言われた。
「私は……」
薔薇の匂いに身も心も染まりながら、ぼんやりと言った。

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