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■茶園を作るよ!

その時間帯。いつも気だるい帽子屋屋敷に、久しぶりに活気ある声があふれていた。
だるそうにしながらも笑い声や楽しそうな声が響いているのだ。
「ナノ。これでいいか?」
「いえエリオット。もっと寄せてみましょう。間隔をもう少し開けてください」
「了解!」
土いじりをするエリオットは本当にウサギさんという感じで一番楽しそうだ。
「お嬢様〜こちらの区画はどうします〜?」
「そちらは肥料の配分を変えます。さっきの区画と同じに植えてください」
「かしこまりました〜」
私も泥だらけの黒エプロンで、スコップを握りながら、皆に指示を出す。
帽子屋屋敷の庭園の一角に茶園が出来ていた。
いや、そこまで広大なものではない。さながら家庭菜園の拡大版というのか。
とにかく屋敷の庭園の一角に屋敷の者たちが集まって、泥だらけになって何やら植物を植え付けていた。
「精が出るな、ナノ」
「ブラッド」
珍しく、昼間なのに主の姿があった。騒ぎに釣られて屋敷から出て来たらしい。
「あのダージリンを屋敷で栽培すると聞いたが」
「ええ、そうですよ」
私は力強くうなずいた。

私の作った初紅茶。あの後、苦労の末にどうにかこうにか完成した。
けれど、かけた労力の割に、およそまともな味にはならなかった。
栽培条件が違うからか、ダージリン特有の芳香もなければ味も苦すぎた。
ブラッドは何も言わずに飲んでくれたけど、最初の一口を飲んだときの『うっ!』という顔だけは忘れられない。
「君があの紅茶をこっそり捨てたと知ったときには、がっかりしたものだ」
ブラッドは演技では無く本当に残念そうだった。
「飲めないものを強要したくはないですよ」
「君という子は……本当に私は気にしないんだがな。それで茶園を作ろうと?」
「まあ、そうですね」
私はすっかり野生のダージリンに夢中になっていた。何度も屋敷近くの林に行ったけど、いつも双子についてきてもらうわけには行かない。
それからしばらくして、考えたのだ。

森で見つけた野生のダージリン。あれを帽子屋屋敷で栽培出来ないかと。

もちろんいくら上手く栽培しても本物の生産地のものには足下にも及ばない。
ダージリンの独特の芳香は高地の気候なしには不可能だ。
でもどうせヒマを持てあましている身だし、何よりやらずにいられなかった。
で、最初は一人でやっていたのだけど、そのうちにエリオットや使用人さん達が少しずつ集まって手伝ってくれた。
ブラッドが来たときには数十人の大作業になっていた。
同時に、当初は庭園のごくごく狭い一角を借りるだけの予定だったのに、あれもこれもとやってしまい……。
茶園ほどではないけど、ちょっとした実験農場の趣になってしまった。

「あなたは気乗りしないみたいですね。面白がるかと思ったんですが」
「紅茶栽培に興味は無いことはない。だが、どうやっても本物に勝てないと分かっているものを、あえて挑戦しようなどと、だるいことは考えないな。
君は何のためにそこまでするんだ?」
私はそんなブラッドを見上げる。
「あなたのための研究の一環ですよ」
紅茶を栽培から研究することは決して無駄にはならないはず。
でも、なぜかブラッドは少し目を大きく開けて私を見た。
「ナノ……その、き、君は……私のためにこの茶園を……?」
私は首を傾げる。当たり前だ
生産のノウハウを積めば仕入れ方法も変わってくるはず。
無駄になることも多いだろうけど、全くの無駄にはならないはずだ。
「あなたにもっと美味しい紅茶を飲んで欲しいんです」
私は仮にもボスの紅茶係。その意地だってある。
「…………」
ブラッドは妙な顔をしている。気のせいか、少し赤いような。
寝過ぎて免疫力が落ちて風邪でも引いたのか。
「あの、庭園を使うの、いけませんでした?」
おずおずとブラッドの顔をうかがうと、ようやく我に返ったようで、
「まさか。エリオットたちを使って好きにするといい。
久しぶりに君が楽しそうな顔が見られた。庭園など安いものだ」
そう言って、ブラッドは泥だらけの私の額にキスをした。
「君が紅茶の生産地に生まれていたら、きっと名茶園の女主人になったのだろうな。
巡り合わせでここに来たのが残念でもあるし、嬉しくもある」
「はあ、どうも……」
「作業が終わったら部屋に来なさい」
ブラッドは彼にしては、足取りも軽く屋敷に戻っていく。
しかしどうせ帰る場所は彼の部屋しかないのに、わざわざ来いと念を押すと言うことは……。
――家庭菜園作りで疲れてるんですが……。
何だって、いつもだるそうなのに急に機嫌が良くなったんだろう。
でもこうして昼間に見ると、あまり怖くない気がするから不思議なものだ。
そして、入れ替わるように双子たちが大量のバスケットを抱えて走ってきた。
「お姉さん、お弁当たっくさん作ってもらったよ!」
「ふふ。僕たちが見つけたお茶をお姉さんが一生懸命植えてくれてるんだ〜」
見つけたのは私なのに、双子達は自分たちの手柄という顔をしている。
とにかく手伝ってくれるのは大助かりだ。
とりあえず私は使用人さんたちに呼びかける。
「皆お疲れ様です。お昼にしましょう」
歓声がこだまする。まるで本当の茶園だ。
ここがマフィアの本拠地なんて、きっと誰も信じないだろう。
「ナノ」
声をかけられ振り向くと、エリオットが立っていた。
真っ先にニンジンサンドに向かうと思っていたのに。
見上げる腹心のお兄さんは、少しすまなそうに笑う。
「あんたが元気になってくれて嬉しいぜ。無理やり連れてきたの、俺だからな」
「…………」
少し驚いた。ブラッドの命令なら良心の呵責なく何でもやると思っていたから。
「余所者とかそういうことじゃなくて皆あんたが好きだ。
ずっとずっと、この屋敷にいてくれよな、ナノ」
まるで告白でもするかのようにそれだけ言うと、エリオットはお弁当に走っていった。

私はその後ろ姿を見ながら、出来たての家庭茶園で風に吹かれていた。

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