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■エースの誘い・上

私はぼんやりと陽光に照らされた帽子屋屋敷を眺める。
あの後、私たちはベッドに場所を移し、余韻を楽しんだ。
その後、ブラッドは仕事に戻った。
で、私はブラッドの選んだ新しい服と、控えめに存在感を示す宝石に飾られている。
着替えた経緯については……ええと、もう割愛でいいですね。
とにかく、ブラッドの要求を叶えても、彼は次から次に指示をくれるわけではない。

やることがないのなら散歩をしていなさいと言われ、フラフラと彼の部屋からさまよい出てきた。
最初はお供の人がいたけれど、屋敷内だから大丈夫ですと言って、仕事に戻ってもらった。
エリオットに会おうかと思ったけど、腹心殿は何やら仕事中で見つからない。
なら双子と話そうと、私は風に吹かれて門まで歩いて行った。
「あら……」
けれど門にいるべき門番はどこにも姿がなかった。
どうやらまた職場放棄して遊びに行っているらしい。
探しに行こうかと思ったけど、もうずっと、惰眠を貪るかブラッドと……しているかという生活だったので、体力は減っている。
自分が門番代わり、と思ったわけでは無いけれど、私は門柱に持たれる。
そしてしばらくぼんやりと風の音を聞いていた。
建設的な思考を巡らせるでもなく、ボーッとして、
――そろそろ戻りますか。
と歩を踏み出そうとしたとき

「ナノ……?」
その声に驚いて振り向いた。
「エース……!」
ベッド以外で久しぶりにちゃんとした声を出した。
帽子屋屋敷の門の前に立っていたのは、ハートの騎士エースだった。

迷いの回廊で昼食を一緒にとって以来だ。
エースは嬉しそうに私に手を振った。
「久しぶり。帽子屋さんのとこに引っ越したって聞いたけど、本当だったんだな」
「まあ引っ越したと言いますか……」
連れ去られたというか。けれど、その後は自分の意思でここにいるのだから、引っ越したと言えば引っ越したのかもしれない。
「皆、寂しがってたからね。会えて嬉しいぜ」
「どうも」
『皆』の範囲がどの程度なのか、知りたくもない。
そしてエースは常と変わらぬ中身のない笑顔だった。
彼は数歩下がって私をしげしげと眺める。
「?何ですか?エース」
「いや、すごくきれいだなと思ってさ」
「は……?」
思わず口を開ける。けれどさっきと違ってエースは真顔だった。
「うん、以前は質素な格好だったから気がつかなかったけど。
こうして良い服を着て、アクセサリーとかつけるとさ。本当にきれいだよ。
帽子屋さんが君に夢中になってるって噂がよく分かるな」
「夢中……」
事実と合わない気がする。
ブラッドは私を『飼う』と言い切り、実際にそんな扱いをしている。
でも外からはそんな風に見えるんだろうか。
「でも君は、帽子屋さんに大して夢中じゃないみたいだ」
「っ!!」
ビクッとする。そして私は一歩下がり門から離れた。

私はこの門から出られない。
ブラッドは自信があるのだろう。以前と違い、出ようと思えば自由に出られるらしい。
でも私は出られない。
さすがのエースも、この境は簡単に越えられないようだ。
私たちは門を隔てて見つめ合った。
エースは言う。
「俺、君と縁があるのかな」
「……?」
「だってそうだろ。俺は迷子になりやすいのに、君と本当によく出会う。
初めて会ったときだってそうだろ。
ほら、俺が君の犯行予告を受けて、厳重警備していたときだよ。
腰紐つけたピンクのレオタード姿の君が、満月を背に俺の前に下りてきて。
『私は怪盗”黒いアフタヌーンティー”!今宵あなたのハートを盗みに参上!』
と颯爽と名乗って、驚いている俺にキスをして。あの美術館の出会いは今でも……」
「名前以外!何一つ合ってませんからっ!!」
というか時間の経過につれ、改変の度合いがどんどんひどくなってませんか。

コホンと私は咳払いし、空気を戻す事にした。
「で、ご存じの通り、ここから先は帽子屋領ですから。お引き取りください。
一歩入れば、屋敷の主が黙っていません。今は幹部たちも全て屋敷にいます。
私が一言声を上げれば、皆駆けつけますよ」
ハッタリだけど。でも声を出せば誰かしら駆けつけてくれるのは確かだろう。
「へえ……そういうことを言うと、何か本当に女主人って感じだね」
私は自虐的に首を振る。
「止めてくださいよ。置いてもらってるようなものなんですから」
「置いてもらってる?それ、他に行き場がないときに言う台詞じゃない?」
「今は、本当に他に行き場がありませんから」
エースに知られてるくらいだ。私がブラッドの女になったことは国中が知っているだろう。
その上で、今さらのうのうと塔に戻るほど厚顔では無い。
夢魔の補佐官に……合わせる顔がどこにもない。

戻るには時間が経ちすぎ、私も帽子屋の中に入りすぎた。
私はこの屋敷に囚われているけど、同時に自らとどまっている。


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