続き→ トップへ 小説目次へ

■紅茶とブラッドと・下

「ん……んん……っ」
無理やりに唇を塞がれ、必死にブラッドの胸を叩く。
店の中、それも最高級の紅茶の前だというのに。
舌を吸われ、激しく絡められ、息継ぎさえままならない。
「な、なんで……いつから……」
やっと解放され、ブラッドの腕の中で酸素を必死で吸い込むと、
「見かけたのは路上だ。君が生者に引き寄せられる死霊のごとくこの店に入ったのを見て、すぐ私も後を追った」
……例え方で喧嘩を売るという高級テクを使って来やがった。
とはいえ店に入ってから長いのに、何もせずにいたとは。
――もしかして、やっと私に飽きてくれたんですかね?
パッと希望の光が胸に差し込む。
……けれど、それはあの会合の紅茶の出来がイマイチだった証明でもある。
私は一瞬で落ち込んだ。ブラッドは苦笑し、
「やれやれ、何を考えているか知らないが、コロコロ表情の変わるお嬢さんだ。
私が君に声をかけなかったのは見とれていたからだ」
「は?」
ブラッドは私を抱きしめ、私の黒い髪に顔をうずめる。
本当に愛おしいものに触れるように。
「紅茶の銘柄を見、等級を見、ブレンドのアイデアを口にしては想像しているのか嬉しそうな表情になる。
そして値段を見、空の財布を見、悲しそうな表情になる。
けれど諦めきれず、他の紅茶を見て切ない顔になり、また手に取り、楽しそうな顔をする。
一つ一つが、狂おしいくらいに愛らしく、いつまでも見ていていたかった」
そう言ってもう一度私に唇を重ねた。
私はもがくけれど……さっきよりなぜか力が入らない。
長いようで短い時が過ぎブラッドは再び身体を離す。
そして、チラッとガラスケースに目を移す。
「女王や私のルートもほころび一つ無いわけではないからな。たまに編み目をくぐり抜けて、こういった店まで来る事はある。
もちろん部下に命じて、買い集めさせてはいるが……」
そして私を見て、ニヤリと笑う。
「欲しいか?ナノ」
「い、いいえ……」
首を振る。でも表情は絶対に裏切っている。
ブラッドは楽しそうに、
「そうか。なら私が買うことにしよう」
「あ……っ」
今にも店員を呼ぼうとしていたブラッドの袖を、思わずつかんだ。
我に返ったときは遅かった。
ブラッドはどこかの騎士のような黒さをにじませる笑みで
「何かな?お嬢さん。私が正当な買い物をすることに問題でも?」
「あ、いえ、その……」
何と言えばいいのか分からない。言葉が出ない。
「もちろん私は喜んで想い人に買ってあげよう。だが、多少の見返りはいただくが」
「……いえ、いいです……」
マフィアのボスの求める見返りは『多少』どころではすまないだろう。
私は泣きそうな思いで肩を落とす。
ブラッドが紅茶を買うところなんか見たくも無い。
とぼとぼと死霊のごとく店内を出口に向けて歩いていると
「ほら、持ち帰りたまえ、お嬢さん」
「え?」
横からブラッドにさっきの紅茶の缶を差し出される。
結局購入したらしい。
もらう理由は無い。私は首を振るけれどブラッドは
「これは礼だ。会合では最高の紅茶を淹れてもらったからな」
私はその言葉に少し気を取り直し、ブラッドを見る。
嘘を言っている表情では無かった。
「あの紅茶、本当に良かったのですか?」
「色、香り、味わいともに非の打ち所がない。最高の紅茶だったよ」
「……どうも」
成果が出て何よりだけど、やはり気軽にもらえるものではない。
「最高の味だったのはこの間だけではない。君は私に何度も淹れてくれたからだ。
退屈な会合に参加しなければならない私を慰めてくれた」
「え?会合で淹れたのは一度だけですよ?」
首を傾げる。するとブラッドは、
「違うな。前々回の会合と……と……時間帯前。それから……」
「!!」
ブラッドの言葉に私は目を見開いた。
それは、私が厨房に顔出しがてら紅茶や珈琲を淹れるのを手伝ったときの……。
「会合のたびに、今回は君の紅茶が味わえるかと楽しい気分にさせられた。
そうでないときは苛立って銃を顔なしに……まあ君がそんな顔をするなら控える事にするが」
なら今後は料理人さんは撃たれないのか、と安心する。
「でも、なんで私が淹れたと……」
まさか厨房までチェックを入れていたのだろうか。けれどブラッドは首を振る。

「私が、君の淹れる紅茶の味を間違えるとでも?」

「――っ!」

そのとき、私は何か言おうとしていた。
適当なお礼の言葉とか、体よくブラッドの元を立ち去る言い訳とか。
けれど、何もその言葉は出ないで。
心臓が、よく分からないけれどどうにかなるかと思った。
顔が熱い。言葉が出ない。
怖い人なのに。私にひどいことをした人なのに。
「あ……その……」
馬鹿みたいに何も言えない。狼狽して、顔を上げてはうつむき、ただ顔を赤くする。
「ナノ」
名を呼ばれて、顎を指で持ち上げられる。
「君は私のものだ」
そしてゆっくりと互いの唇が重なる。熱い。それとついでのように手の中に押しつけられる茶葉の缶。
それを押し返す気力もなく、私は目を閉じ、ブラッドのキスを受け入れていた。

……で、終われば良い話だった。

「あのなナノ。この前は言わなかったが、あの会合の直後に、帽子屋が塔への莫大な寄付を申し出てきたんだぞ」
夜のクローバーの塔で。
私は珍しくブラッドにそのまま帰され、なぜかずっと上の空だった。
そんな私の淹れたココアを飲みながらナイトメアは言う。
夢魔は私の隠し事などお見通しだ。
「要請に応ずればさらに倍、いや十倍、望みの額を指定してかまわないと」
「…………ええと、その要請って」
私は大事な紅茶の缶を、傷がつかないように拭いていた。その手を止める。
「……帽子屋屋敷に、君を差し出すこと」

いくら払えばナノが買える?

――私、この紅茶缶と同じですか。
『評価』と『物扱い』って本来なら一方が上がれば一方が下がると、反比例するはずでは。
なぜ両方が同時加速してますか、ブラッド。

マフィアのボスに振り回され、何だか泣けてきた私であった。

5/5

続き→

トップへ 小説目次へ

- ナノ -