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■紅茶とブラッドと・上

「はあ。集中すると疲れますねえ」
黒エプロンを取り、私はだらだらと執務室のソファに寝転がっていた。
もう会合は終わっただろうか。時間帯が変わり、窓の外には星が光っている。
――あの紅茶、美味しかったですかね。
ある意味、あの紅茶は、この世界に来てから学んだことの集大成だった。
学習期間は決して長くはないけれど、出来る限りのことはやった。
それでも、受ける側が『不味い』と一言述べれば崩壊するのが非情な味の世界。
――撃たれなかったんだから不味いってことはないですよね。
とりあえず、知人に新たな犠牲が出ることは避けられた。
「…………紅茶」
何だか紅茶が猛烈に飲みたくなってきた。
私はムクッと起き上がる。
そのときだ。
「ナノ……」
扉を開けてナイトメアが入ってきた。相変わらずグレイはいない。
ナイトメアはどこか疲れた顔をしている。
「おかえりなさい。ココアにしますか?それとも珈琲?それともワ・タ・シ?」
「ナノ……君なあ……」
渾身のギャグを完全に無視し、ナイトメアは珍しく咎める口調で言った。
「お、怒ってらっしゃいますか?」
私を追い出さず紅茶を淹れさせてくれたけど。
「当たり前だろう。あのときは皆の考えを読んで会合の進行を優先した。
君を追い返せば帽子屋がどんな報復に出たか知れたものではなかったしな」
ナイトメアが何を言いたいのか馬鹿な私だって分かる。
会議場に出しゃばって天敵の帽子屋ボスに紅茶を淹れたことだ。
でも私も顔をしかめ、
「ブラッドの不機嫌で料理人さんが撃たれるっていうのに黙っていられませんよ」
私に出しゃばられるのが嫌なら、会合の主催者としてもう少ししっかりしてほしい。
「そうは言うが、奴は君を出てこさせる目的で撃ってたフシもあるんだぞ?」
「え……」
私はソファに座り直す。
それだと意味合いが違ってくる。まんまと私がブラッドの奸計に乗った事になる。
「で、でもブラッドは失望したでしょう?私の紅茶のレベルが知れたでしょうし」
努力は尽くしたけれど普段扱っていない等級だ。満点にはほど遠いはず。
紅茶好きのブラッドだからこそ、それで私への熱も冷めたのでは。
するとナイトメアは冷たい声で、
「いいや、満足していた。お目当ての君が現れ、最高の紅茶を自分一人のために淹れてくれたんだからな。上機嫌で帰っていったよ」
「え、ええと……」
何だか冷や汗が出る。
「帽子屋の連中は今も君を狙っている。それを自覚し、軽はずみな行動は控えてくれ」
「はい……」
確かに。下手に私の方からブラッドに近づくなら、今まで何のためにグレイやナイトメアたちが頑張ってくれたのか分からない。
ブラッド=デュプレにされたことは未だに私の中に傷を残している。
「以後気をつけます……」
ナイトメアに諭され、私は恥じてうつむいた。

ちなみに珍しくキメたナイトメアは、慣れないことをしたためか、直後に吐血して運ばれた。
お約束な人だ。

……そして。
「ああ、困った困った困りました」
私は汗をかいている。
まるで万引き犯のごとく、辺りをキョロキョロ確認し、慎重に棚の商品を吟味する。
しかし警戒しているのは店主ではない。
――ま、また外に出ているのがバレたらどれだけ怒られますやら。
温厚なナイトメアに怒られ、私は深く反省した。
反省する気持ちは本当だった。が……それはそれ、これはこれ。

あれ以来、自分の中で紅茶ブームが再燃してしまった。

最近珈琲やココア漬けだったせいかもしれない。
専用厨房で紅茶を病気のように淹れまくるだけでは飽き足らず、こっそりと塔を出て紅茶専門店に来てしまった。

帽子屋とハートの女王がいるため、紅茶業界は潤い、紅茶を愛飲する一般市民も多いらしい。
私が入った専門店も、見渡す限りの棚に美しい紅茶缶が整然と並んでいた。
私は夢心地のまま、フラフラと店内をさ迷う。
そのうちにガラスケースの商品が目に入り、驚きに口を開ける。
――すごい。スペシャル・ファイン・ティッピー・ゴールデン・フラワリー・オレンジ・ペコー・1だ……。
こんな最高級品中の最高級品が、よくマフィアや女王に買われず、市民の手に届くところまで来たものだ。
ナイトメアでさえ、そろえられなかった品を前に、ただため息をつく。
稀少価値も加わってか、値札につけられた金額は、相当な高額だった。
……そして仕事を持たない私は相変わらず無一文だったりする。
これだけ何かを欲しがったことはない。
私は無慈悲なガラスケースを前に肩を落とす。
「ああ、欲しいですねえ」
「欲しいか?お嬢さん」
「っ!!」
バッと横を向く。

ブラッド=デュプレが立っていた。

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