続き→ トップへ 小説目次へ ■紅茶を淹れた話・下 痛いほどの数の、好奇の視線を感じる。 平々凡々たる余所者の小娘がズカズカ入ってきてブラッド=デュプレの紅茶を淹れるというのだから。 でも、面白がられていてもいい。 グレイは止めるべきかという顔だったが、ナイトメアが制した。 それを見届け、私は紙袋を開けた。 中身はエプロン。以前、グレイと買い物に出かけたときに買った品だ。 色は黒無地、ロング丈。余計な飾りは一切なし。 カフェなどでよく見る黒の前掛け。ソムリエエプロンというやつだ。 私はそれを身につける。 そして音を立ててホコリをはらう。 軽くはたいただけだが、その音はなぜか会議室中に広がった。 そして私は顔を上げた。 そのとき、なぜか少なくない人たちが、ハッとしたように私を見直した。 自覚はないけれど、こういうとき私は顔つきが変わるらしい。 それまでボーッとしていたのが、突然別人になったように凛とするとグレイが言っていた。 でもかまってはいられない。どうでもいい。 私は素早くワゴンのテーブルにティーセットを広げた。 そしてブラッドの顔を見ずに聞く。 「オーダーは?」 「任せよう」 ブラッドの返事はいっそ素っ気ない。 けれど私の腕を信用しているからこその言い方だと知っている。 なら、と私は迷わずに茶葉を取る。 銘柄はダージリン。シーズンはセカンドフラッシュ。 等級はファイン・ティッピー・ゴールデン・フラワリー・オレンジ・ペコ−。 それをメインに、数種類をブレンドすることにした。 茶葉を散らすティーポットは丸形のガラス製。 無駄なく茶葉を入れると、私はティーポットをヤカンまで持っていく。 熱が逃げないよう、ポットの下には羊毛カバーを敷いておく。 そしてヤカンに入った沸かしたての軟水を、やや高い位置から注ぎ込む。 こうすれば酸素が適度に混じり、うまく茶葉のジャンピング運動が起こる。 そして、私はじっと透明なティーポットを見た。 以前は保温カバーと時計を使って蒸らしていたけれど、今は自分の目で直接茶葉を確認する癖がついていた。 そして気泡を含んだ茶葉がゆっくりと沈み、ふわっと浮き上がる。 茶葉の対流運動、すなわちジャンピングの開始だ。 冷や汗が出る。 空気が重い。 ナイトメアが、話しているのが聞こえるけれど会合中の視線が私に集まっているのを感じる。 そして誰よりも強く熱い、すぐ隣の視線。 一秒一秒が長い。 やはり時計を借りるべきだった?いや、こんな大勢の人前で彼の胸に手なんか当てられない。 フラワリー・オレンジ・ペコーは扱いづらい。ましてその中の上級種なら、なおさらブレンドを慎重にしなければならない。 ブラッドのお気に入りでなければ、私も無難にブロークン・オレンジペコーかクラッシュ・ティアー・カールを使用しただろうに。 せめて、最高級茶葉を殺すような真似だけはしていませんように。 内心焦るうちに、紅茶の成分を湯中に抽出した茶葉が、対流を終え、雪のようにポットの底にたまっていく。 あとは茶葉がどの程度沈んだタイミングで紅茶を注ぐべきか。 ――…………。 自分でもなぜか分からないけれど、ある瞬間に『今』という指令が下る。 これは時間や理屈ではない、勘のようなものだ。 でも、これまたよく分からないけど、私の『何となく』は、ずば抜けて良く当たる。 私はカップに茶こしを当て、ポットを軽く揺らしながらゆっくりと注いでいく。 ダージリン特有のマスカットフレーバーを主とするフルーティな香り。 エリオット好みにオレンジがかった透明な美しい赤。 私は音をたてずにティーカップを差し出す。 彼は私の目を見、そしてティーカップをそっと持ち上げ、口に含む。 緊張に心臓が跳ねる。 ――ゴールデンチップを最大限に活かすブレンドにしたつもりですが……。 ナイトメアの用意してくれた専用厨房にももちろんフラワリー・オレンジ・ペコーはあったが、この国には帽子屋とハートの城という二大お得意先がいる。 最上級品はすでにそちらに買い占められ、塔の権力者が用意出来たのは、やや一般的なゴールデン・フラワリー・オレンジ・ペコー。 私が扱ったのはそれより格上の品。若芽たるゴールデンチップを多く含む等級だ。 最近の私は単一の銘柄を完璧に淹れるだけでは我慢出来ず、茶葉を最大に活かすブレンドを一心に研究していた。 とはいえココアや珈琲、緑茶も頻繁に淹れ、紅茶好きが周囲にいない状況で、独学と自分の舌だけを頼りに、どこまで成長出来たのか。 分かるのは、今、紅茶を飲むブラッドだけだ。 素晴らしいのは茶葉であり、淹れ手ではない、 最高の味を、私はどこまで引き出せたのだろう。 ブラッドは何も言わない。 ただ目を閉じ、味わっているようだった。 私は直立不動で彼を見守っている。 やがて彼がカップから顔を上げ、もう一度私を見た。 ――ああ、良かった。 何となく、彼の目を見た瞬間にそう思った。 そして彼が無言で空になったカップをこちらに差し出す。 私はうなずいてティーポットを取る。 二杯目はカップの八分目でちょうど終了。 私はティーポットの角度を少し上げる。 そして、最後の一滴がゆっくりと落ち、波紋を広げる。 この最後の雫を、人は讃えてゴールデンドロップ。 この一滴には紅茶の成分と香味が凝縮されている。 ティーパーティーではこのゴールデンドロップを主賓のカップに注ぐ。 それくらい重要な一滴だ。 私はそれをブラッドに差し出す。 そして、淹れ手の役目は終わった。 彼がそれを受け取ったのを確認し、私はそっとワゴンを押して会合の出口に向かう。 すると、席に着かず立っていた顔なしの人たちが慌てて道を空け、なぜか扉まで開けてくれた。 私は軽く頭を下げ、背に多くの視線を感じながら会合の場を後にした。 3/5 続き→ トップへ 小説目次へ |