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■紅茶を淹れた話・上

グレイと会ってからそれなりの時間帯が経った。
クローバーの塔ではまだ会合が続いている。
私は廊下で鼻歌を歌いながら、塔の廊下を歩いていった。
これから準備作業を始めるところだ。
私のアイデアについては、本格的な始動は会合後になりそうだ。
けれど今からでも出来る準備はコツコツとやるつもりだ。
ずっと嗜好飲料の研究でダラダラと過ごしていたから、こうしてやることがあるのは嬉しい。
上機嫌だった私は、やがて厨房の前まで通りかかった。
あいさつだけするつもりで、ひょいっと厨房に顔をのぞかせる。
「あ、ナノさん。こんにちは」
顔なじみの料理長さんが笑ってくれた。けれど何だか焦っている風だった。
忙しいなら邪魔をして申し訳ない。
「あ、いえおかまいなく。どうかしたんですか?」
「いえ、それがまた撃たれましてね」
「……え」
相変わらず、軽く言う料理長に、私の足が止まる。
「撃たれたって、また紅茶が気に入らないって……?」
帽子屋のボスに?
そういえば最近、激昂しやすくなっていると聞いた事がある。
……考えたくはないけれど、私が会合で発言して以来。
「保温には気を配っているのですが、厨房から会合会議場にポットを運ぶまでどうしてもロスが生じてしまいます。
それで味がお気に召さないらしくて……」
ワガママだ。
「なら、会合場所のすぐ近くで作るとか」
けれど料理長さんは首を横に振る。
「それもやりました。ですが、それでも湯温が下がると撃ってくるのです」
もう言いがかりの領域だ。それでも料理長さんたちは頑張ったらしい。
「ですからブラッド様の紅茶に限っては、他の方のご迷惑を承知で、会議場内で作っていたんですが……」
それでも撃たれた。料理長さんは沈痛な面持ちで下を向く。
「グレイ様もナイトメア様も厳重注意して下さってはいるのです。
ですが、こちらは顔なしのカードで、あちらは高位の役持ちですから」
「…………」
グレイもナイトメアも、そんなことが起こっているなんて一言も話してくれなかった。
それより許せないのはマフィアのボス。
紅茶が気に入らないと、そんな手前勝手な理由で人を撃つなんて。
「それでも、今からまた紅茶を淹れに行かねばなりません……」
厨房を見ると、他の料理人さんたちが不安そうに顔を見合わせていた。
この世界の人は生命に執着が薄い。けれど、だからといって進んで消えたがる人はいない。
「…………」
自分の内に重く渦巻く冷たい闇がある。
怖い。
私はブラッド=デュプレがすごく怖い。
――でも、自分で巻いた可能性のある種なら。
自分で責任を取らなくてはいけない。
私の恐怖と誰かの命。どちらが重いか、考えてもいけない。
そして私は口を開いた。

…………。

久しぶりに見る会合の会議場は、思ったよりも広い。
私はワゴンを押して会議場に入る。小さなワゴンに乗っているのは厨房のティーセットだ。
そして教えられた通り、まっすぐに帽子屋ファミリーの席へ行く。
私が会場の中へ進むに連れ、退屈そうに会合に参加していた人たちが何人か振り向く。
『また厨房の顔なしがブラッド=デュプレに撃たれに来たぞ』とヒソヒソ話す声が聞こえた。

けれど、すぐに声は驚きの物に変わる。
『お、おい、あの小娘……』
『確かこの間まで議題になっていた……』
『まさか、あんなガキがブラッド=デュプレの紅茶を?』
『料理人でさえ撃たれたのに、紅茶なんか淹れられるのか?』
ささやきが、波紋のように広がっていく。
中央に立つグレイとナイトメアがざわめきを聞きつけたのかこちらを見て、驚いたように口を開ける。
私は軽く手を振って微笑んだ。そしてワゴンを進める。
ブラッドの席の真横は会場の中心に極めて近い。
一歩一歩が砂を積めたように重く、緊張と不安で心臓が今にも爆発しそうだ。
――怖がるな、私。他の料理人さんだって、ここで淹れたんですから。
私はワゴンを止める。
ブラッドのすぐ隣だ。彼の方は極力見ないようにする。
だから彼が私を見たときに、どんな反応をしたのか分からない。
私はというと、すぐに紅茶を淹れる準備をする。
でもその前にと、あるものを取り出す。
簡素な包装の紙袋。これは、少し前に買った物だ。


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