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■グレイとお買い物・下

「こっちのフリル付きのエプロンはどうだ?
いや、このピンクのリボン付きのものも可愛いな」
「は、はあ……」
買い物に熱心な男性というのは初めて見た。
エプロンコーナーに来るなり、グレイは私以上の熱心さでエプロンを見ていた。
悪いので、その場で何枚か合わせてみると、グレイは『可愛い』『似合っている』と大仰に褒めてくれる。
「でも私はしょっちゅう汚しますからね、もう少しシンプルなものを買いますよ」
と遠慮して、エプロンコーナーをかきわける。
ほどなくして、ちょうどいいものを見つけた。

会計を終えて私が商品の紙袋を受け取るまで、グレイは不満そうだった。
「本当にそれでいいのか?何なら、俺がもう一枚買っても……」
「い、いえ。ですからおかまいなく」
汚れることが多いから、シンプル無地のものを買うと最初から言ってあるのに、妙にグレイはこだわる。
――まさか、あんまり汚い身なりをしてうろついてほしくないとかでは……。
うっかり被害妄想モードに入りそうになる。
もちろんそんな人ではないと分かってるけど。
「それでは、グレイ。ありがとうございました。帰りましょう」
紙袋を抱え、そう言って笑うと、
「ええ?今、来たばかりだろう?」
ものすごく驚かれた。な、何なんでしょう。
だって私は最初からエプロンを買う目的で出て来たのだし、グレイだって仕事がある。
護衛なんたらで長時間拘束するわけにいかない。
グレイにそう言うと、
「お、俺はそんなことは全く……!あ、そうだ。
店に入ろう。少し休もう。俺がおごる。それくらいはいいだろう?」
「え?別に休むほど歩いたわけでは……ち、ちょっと、グレイ!」
さっき私を引っぱるなと言った割に、今度はグレイが私の手を引っぱり、近くのおしゃれなカフェにズカズカと歩いて行く。
うーん、やはり仕事を休む口実が欲しいんだろうか。

「……ケーキを数種類頼むと言うのなら分かるんだが」
グレイの声は呆れていた。
気のせいか、周囲の客やウエイターさんの視線も感じる。
ええ、何というかカフェに入り、まあ……おごってもらえるのをいいことに。
……珈琲だけ十数種類注文してしまった。
――飲み物が絡むと図々しいですよね、私。
「ナノ、それを全部飲み干すのか?」
まさか。急性カフェイン中毒はもうごめんです。
「味を確認する程度ですよ。たまにはこういった店で舌を鍛えないといけませんから」
そう言って最初の一杯に舌で触れ、
「アンデスマウンテン、浅煎り、サイフォン、苦み強し」
と珈琲の情報と感想をメモ紙に手早く書き付けていく。
グレイはそんな私を見て苦笑しながら、
「君は本当に、心の底から珈琲を愛してるんだな」
と笑った。
私は顔を上げる。

「え?別にそんなに愛してるわけではありませんよ?」

「……は?」
グレイが目を丸くした。そしてテーブルの上の珈琲の群れを見、
「だがそんなに熱心に……」
「ええ。好きです。奥が深いし、もちろん味も好きです」
でも愛するというほどではない。
私はチラッと腰の玉露に目をやる。私が心の底から愛するのは緑茶だ。
その地位を珈琲や……紅茶に譲るつもりはない。
「だが単に好きなだけなら、それはそれですごいな。
何のためにそこまで熱心に研究するんだ?」
グレイが気を取り直したようにカップを持ち上げながら、言った。
「そうですね……」
そういえば、なぜだろう。珈琲の奥深い世界に惹かれたことは確かだ。
紅茶だってそうだった。
「ココアも紅茶も、誰かに喜んでほしくて、淹れるんですかね」
紅茶を喜ぶ対象については今はあえて無視する。グレイも
「そうか。それは……まあ、嬉しいが。
だが珈琲を極めようとする動機は別なのか?」
「うーん、そうですね。珈琲を研究する理由は……」
私はクローバーの国になってから、紅茶よりは珈琲を追及している。
ナイトメアの用意してくれた厨房も、珈琲豆の方が減りが早い。
なぜ熱心になってしまうんだろう。
皆が喜ぶ顔は確かに嬉しい。
とても励みになる。
でも、珈琲は。
私が珈琲を追及する理由はもっと利己的で……。

「ユリウスのためですね」

そう言った。
「…………」
グレイの手がカップを持ち上げかけた状態のまま止まっていた。
私は補足する。
「時計屋ユリウス=モンレーですよ。元は、彼に評価して欲しくて珈琲を淹れてたんです。
今となっては、ユリウスに再会したとき、褒めてほしくて頑張っているのかもしれません」
「君は……時計屋と、その……時計屋とどういう関係だったんだ?」
グレイが言う。相変わらず手は止まったまま。
かすれたような声だった。
「普通の家主と居候ですよ。でもユリウスのことは好きでした。私の一方通行の好意でしたが」
「一方通行……」
向こうは素っ気なかったけれど、こちらは好きで、懐いて、つきまとっていた。
エースもそんな感じだった。甘えたい人間に徹底的に甘えさせてくれる人だったのだ。
だから珈琲作りも頑張れた。
あれは恋ではない。
でも尊敬していた。こんな兄がいたら、と思えるような人だった。
「いつか再会出来たら、そのとき最高の珈琲を淹れてあげたいですね。そして彼に言いたいことがあるんです」
「最高の珈琲を淹れて、言いたいこと……」
はい、と私はうなずく。
言いたい。
今の珈琲は何点ですかと。
今度こそ本当の点数を聞き出してやる。
私はグレイに、ユリウスの採点のことを話してあげようと思った。
でもそれは出来なかった。

グレイの手からカップが滑り、床に落ちて、砕けた。


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