続き→ トップへ 小説目次へ ■グレイとココア 「うん、不良豆は全部取り除きましたね」 「目が疲れるな……」 グレイは目をこする。 最高の味への道は、実に地味なものだ。 夜も更け、私は灯りを強くしてグレイと、皿の上のカカオ豆を点検していた。 豆の量が少ないこともあって、不良品のチェックはすぐに終わった。 「なら、後はすり潰して終わりですよ」 そう言うとグレイは驚いたようだ。」 「そうなのか?意外と簡単に終わるんだな」 「チョコレートだと工程が地獄なんですけどね」 ココアだけが目当てなら、意外とアッサリ終わる……機械なら、の話だけど。 焙煎したカカオ豆の皮むきを終え、私は外皮と胚芽を処分する。 「じゃあグレイ、よろしくお願いします」 私は残りの豆をすり鉢に広げ、すりこぎと一緒にグレイに渡した。 コートを脱ぎ、シャツの袖をまくったグレイは神妙な顔でそれを受け取った。 私はうなずいて、 「これで、後はひたすら、豆をすりつぶします」 「……すりつぶすのか」 「すりつぶすんですよ。地味にすっていけば、そのうち豆が砕かれ、ペースト状になり、最終的に脂肪分が分離します。 脂肪分が出たら、残りを集め、固めて粉状に砕きます。 そうすれば、ココアパウダーの完成なんです」 女王様からぶんどってきた書物の知識だ。 「…………」 グレイはやや呆然と、すり鉢と、すり鉢に入ったカカオ豆を見ていたが、決意したようにすりこぎを握る。 私も別のすり鉢にカカオ豆を広げ、すりこぎを握った。 ほどなくして、ぐりぐりと豆をすり潰す二つの音が響く。 こうして、私は夜の厨房で、グレイと並んでひたすらすりこぎを握るという……何か絵にならない光景を繰り広げることになったのだった。 そうして、苦節数時間帯。 「すごい……ちゃんとココアの味がする。やったじゃないか、ナノ!」 グレイは淹れ立ての一杯をすするなり、そう言った。 ココアを飲めたというより、自分で豆から作ったココアが完成した、という喜びの方が大きいのかもしれない。 やはり男性の腕力というか、グレイは私よりはるかに作業が早かった。 カカオ豆を手早くココアパウダーにしてしまったのだ。 私はそのココアパウダーを受け取り、砂糖を混ぜ、牛乳をわかした。 そしていち早く手作りココアを完成させた。 「苦労した甲斐があったな。本当に美味いよ」 グレイは大げさなほどに褒めて、私の肩を叩いてくれる。 けれど……。 「……ダメです。これは失敗です」 「え?」 私も喜ぶと思っていたらしい。グレイは当惑したように私を見た。 でも私は彼の黄色い瞳を真剣に見る。 「味がざらっとしすぎです。香りも強すぎる、というよりキツいです。 何より苦みと酸味が強すぎる。こんなの、ココアじゃありません」 「す、すまない。俺のすり潰し方が中途半端で……」 自分が原因だと思ったのだろう。あわてて謝るグレイに私は首を振る。 「いいえ。パウダーは完璧でした。つまりその後の工程に何かしら問題があるんです。 それを克服しないと、完成にはほど遠いです」 私は椅子から立ち上がる。まだ私のすり鉢の分がある。もう一度実験は出来るだろう。 それで味が改善しないのなら……焙煎からやり直しだ。グレイは、 「ナノ。もういいじゃないか。二人でココアを作って、俺は美味いココアが飲めた」 「ダメです。あれは初心者のお料理教室の味です。ダメなんです」 ナイトメアではないけど、私は駄々っ子のように拒む。 とにかくあれではとても満足できない。グレイも困った子どもをなだめるように、 「素人の作なんだ。店の味なんて無理な話だろう?」 でも私は首を振る。 「とにかく、ダメなんです」 どうせやるなら最高の味を求めたい。それは贅沢なことなんだろうか。 「グレイは仕事に戻って下さい。私はまだ続けますから」 仕事のない自分に自虐的なものを感じる。 けれどグレイがフッと笑う声が聞こえた。 見上げると、てっきり呆れていると思ったグレイは優しい目をしていた。 「まだ会合の準備まで一時間帯は余裕がある。 カカオ豆をすり潰す作業は俺がいると楽だろう? ギリギリまでつきあおう」 「え……でも……」 「気にしないでくれ。君の役に立てることが嬉しいんだ」 「…………」 ちょっと頬が赤くなったことに気づかれただろうか。 ――この人の恋人になる人は幸せですね。 なぜか、そう思った。 2/6 続き→ トップへ 小説目次へ |