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■紅茶は大好き

会合の朝の、食事の席のことだった。
そこにはブラッドの他に役持ちの幹部三人、そして紅茶専門の使用人さんがいた。
私はじーっとその使用人さんを見る。
茶葉をさっとポットに入れる手つき。
お湯を注ぐ高さ。
ティーコジーのかぶせ方。
カップに注ぐときのポットの揺らし方。
視線に気づいた使用人さんは
「お嬢様。あんまり見ないでください。身体に穴が空いちゃいますよ〜」
「はあ」
私は無視して、やっぱりじーっとじーっと見る。
ひじの位置、背の伸ばし方、足の置き方さえチェック対象だ。
それは私が会合に参加する朝も変わりない。
ブラッドに連れてこられてからずっと続いている、食事ごとの儀式でもあった。

私はなぜか、紅茶の淹れ方が気になって仕方ない。

「お嬢さん。紅茶は、お湯を注ぐときの位置にさえ意味がある。
少し高い位置から注いで酸素を含ませるんだよ」
ブラッドはそんな私を見ながら、なぜか嬉しそうに説明してくれる。
「はあ」
私は素っ気なく答えながらも、ブラッドの言葉はしっかり頭に入れ、立ち上がる。
「おいおい、ナノ。また紅茶教室か?そんなことよりもっと食えよ」
エリオットという人が声をかける。
でも私はまっすぐティーポットに向かう。
「お姉さん、こういうところは前と変わりないね」
「従順になって悪口が治ったからボスもご機嫌だね」
微妙な双子が微妙な感想を交わしている。
私はあんまり気にせず、使用人さんの横に立ち、一緒にポットを持つ。
すると何だか突然視界が明るくなった気がする。
丸まりがちだった背筋は自然にスッと伸び、顔を上げ、伏し目がちな目を開ける。
私がマフィアの陣地に囚われながら、恐怖に押しつぶされなかったのは、紅茶があったからだ。
「キャンディのブロークン・オレンジペコーを」
「はい」
私がティーポットを取ると、必ずブラッドが私に淹れさせる。これも習慣になりつつあった。
私は可能な限り、さっきの使用人さんの手つきを再現して茶葉をポットに入れる。
そしてヤカンを確認し、ヤカンではなくポットの方を持ってくる。
使用人さんもうなずいて、
「そうです。移動で湯温が無駄に低下することを避けるため、ポットの方を持ってくるんです。お嬢様」
「はい」
「そうそう。お上手ですよ」
使用人さんは一つ一つを懇切丁寧に教えてくれる。
何でも、私が屋敷に戻ったら(戻されたら)私がブラッド専用の紅茶職人になるらしい。
教える側も一生懸命だ。
私は手早くティーコジーをかけると、頭の中で数を数えながらまっすぐにブラッドの方へ行く。
「お借りします」
「どうぞ、お嬢さん」
ブラッドの胸に手を当て、さっき歩いた分を差し引いて時間を数える。
私はこの世界で唯一時計を持っていない人間だから、どうしても時間を計る必要があるときは、こうやって誰かの時計を借りる。
エリオットや双子さんたちも時計を貸したがったけど、ブラッドが絶対に譲らず私はいつも彼の時計を借りている。
このときだけはブラッドの身体に触れることが全然怖くない。
三分きっちり数えると、私は礼を言って手を離し、ポットに戻る。
そしてストレーナーをカップに当て、透明な宝石を注ぐ。
それをブラッドにすぐ差し出した。
「どうぞ」
「どうも。お嬢さん」
私はブラッドの反応を待つ。ブラッドは至福といった顔で一口目を含む。
けれどすぐカップから顔を上げ、私に言った。
「ポットを蒸らす時間、湯の中で茶葉はジャンピングという運動を起こしている。
これによって茶葉の要素が全て湯に溶け込み、最高の紅茶が出来上がるのだよ」
ブラッドは目を細めて『分かるか』と言いたげに、こちらを見た。
分かる。
つまり、時間や温度、条件を合わせることに気を回しすぎて肝心の茶葉を見ていないということだ。
私はまっすぐにガラスのティーポットの方へ走り、茶葉を入れ、湯を注ぐ。
そして今度は時計を借りずにティーポットの中をじーっと見た。使用人さんも、
「茶葉がお湯を吸って、ゆっくりと上下運動を始めるんですよ、お嬢様」
私が見つめる前で、茶葉が木の葉のようにゆっくりと下に沈み、またわずかに舞い上がる。
私はうっとりとそれを見ていた。
「湯温と、湯の中の十分な酸素。これらの条件がそろわなければジャンピングは起こらないんです」
「はい」
使用人さんに返答し、頃合いを見て、もう一度慎重にカップに注ぐ。
そんな私をブラッドは優秀な教え子を見る目で、満足そうに見ていた。
エリオットも頬杖つきながら
「食いもしねえで、本当に熱心だな。もううちの奴らと、差が分かんねえよ」
私は首を傾げる。使用人さんの方が全然無駄がなくて鮮やかなのに。
けれど使用人さんもうなずいて、エリオットに同意している。
「本当に怖いくらいですね。我々と変わりないくらいに上達されています」
「だよな。これで俺より数字に弱いってのが信じられねえよ」
「数字?」
いきなり分からないことを出され、戸惑う。でもブラッドは、
「お嬢さんは私と似ているところがある。気が向かないことには、例え命の危険が及ぼうと興味を向けないんだ。
だが逆に、関心があることには数十倍の覚えの良さを発揮する。
そう。例えば紅茶や……ベッドの事、などな」
「!!」
エリオットや双子、使用人さんまでがニヤっと笑う。
私は赤面してポットを落としそうになった。
同時に紅茶の世界から現実に引き戻された。
ここはマフィアたちの陣地。
もうすぐ行われる会合でちゃんと意見を述べなければ、私はこの怖い人たちに連れて行かれてしまう。


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