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■夢魔と話した話・後

「つ、疲れました」
私は階段に座って一息ついた。
「いったい、どこまで階段が続いてるんですか……」
不思議な建物だ。
外観が時計のようなら、内部は時計の内側のよう。
常に時を刻む音がし、壁にはそこかしこに時計の部品を模した装飾が飾られている。
けれどそれを面白がっていられたのも最初だけ。
上れども上れども変わらない風景と、人の気配がしないことに疲れてきた。
「ちょっと休憩休憩」
壁にもたれ、息をつく。そのうちに、少しずつ眠くなってきた……。


見渡すと、果てがない不思議な空間が広がっている。
さすが不思議の国。夢でさえ奇妙だ。
夢の中で私は問うてみる。
「さて、私は誰で、どこから来て、どこへ帰る者なのでしょう?」
腕組みをして問うと、どこからか声が響いた。
「朝に死に、夕に生まるる習い、ただ水の泡にぞ似たりける」
「方丈記ですね」
夢なので、さして驚かず、私も続ける。
「生まれ死ぬる者、いずこより来たりて、いずこへか去る。
……時間を川の水に例え、また人の一生に例える。
つまり全ては無常かつ無情であり、絶え間なく変化するわけです」
虚空に講義すると、どこからか拍手が振ってきた。

「君の国の古典は本当に素晴らしいな、ナノ。だが、この世界は違う。
無常だの何だの、そんなものに縛られはしないし、誰も君を置いていかない。
そんな世界が、君を拾った。もう何も心配することはない」
「……というか、あなたはどなたです?」
私は顔を上げた。
そこに不思議な……言っては悪いが少々趣味を疑う服を着た男性が浮かんでいた。

「悪かったな。趣味を疑う服で」
眉目秀麗な男性は眉をひそめる。
どうもこの人には私の考えが聞こえるらしい。でも夢だから仕方ないか。
そう思ったら、その変わった人は笑った。
「そうとも、夢だといえば全て説明がつく。君も、君が思っているようにこの世界を
『不思議の国』だと思い、早くなじむといい」
「あなたはどなたですか? 玉露の妖精さん?」
すると相手は吹き出した。
「残念ながら違うよ、ナノ。私はナイトメア。悪夢を体現させる夢魔」
そう笑って『ナイトメア』は優雅に一礼し、自己紹介をしてくれた。

…………
「変な夢でした」
目を覚まし、私は立ち上がる。
あの後、ナイトメアとやらと、いろいろ話をした。
けれど一貫してつかみどころのない会話だった。
『ここでは、みんな君を好きになる』だの『君が望まれている世界だ』だの、内容は
ほとんど電波。その他の詳細は省くとして、彼は私に帰ってほしくないらしい。
「夢は願望を表すと言いますし、私はここにいたいんですかね?」
首をひねる。
そしてしばらく考え、肩をすくめる。
「難しいことはちょっと苦手です」
そしてまた玉露をぬいぐるみのように抱きしめ、階段を上り始めた。

…………
そして階段を上がった末、どうにか人のいる部屋にたどりついた。
「あ、あの、こんにちは」
ゆっくりと扉を開けたとき、その部屋の主は仕事をしていた。
雑然とした部屋の中、一人、椅子に座っていた。
「こんにちはー」
もう一度声をかける。
眼鏡をかけた若い男性だ。黙々と修理をしている。
時計。時計の修理だ。時計職人というやつだ。
「こんにちはー!」
私は何度か声をかけたけど、その時計職人氏は気がついた様子がない。
「こんにちはぁーっ!」
無視されているわけではないらしい。職人氏はとにかく時計修理に集中している。
こちらも大声で話しかけているのにすごい集中力だ。
私はツカツカと室内を歩き、かたわらに立つ。
でも彼は未だに気づかない。
――あ、よく見るとけっこうカッコいい人かも……。
目を覆いそうに伸びた髪が、陰気そうに見せているが、その下の顔は整っている。
というか腰まである長髪がキューティクル。何か触りたい。
でも、とりあえず私は息を吸って、彼の耳元で、

「火事だぁーっ!!」
「……っ!!」

かくして時計職人氏は椅子からひっくり返った……。

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