体育館脇で一人の女子生徒に弁当を渡されている黄瀬の姿を、青峰が偶然目にしたのはその日から数日後のことだった。部活中に何の気なしに外を眺めると、あざやかな黄色が目を引いた。小柄な可愛らしい先輩はこれまた女の子らしいハンカチで包まれたお弁当箱を、黄瀬に押し付けると逃げるように去って行った。木漏れ日の下でのその組み合わせは、誰が見てもお似合いだった。僅かに困った表情を浮かべる黄瀬に、青峰は思わず手元にあったバスケットボールを投げつける。運良く正確に後頭部に攻撃を食らい、無言で悶絶する情けない後ろ姿に特に心配もせずに声をかけた。
「お前弁当もらったの」
「やっぱり青峰っちかよ…」
「はぁ!?なんだその「青峰っち」って!」
 涙目で打撲箇所をさすっていた黄瀬が、近頃よく青峰に見せるようになった、勝気な顔で笑った。整った造形は、真顔だと近寄りがたい雰囲気を与えるが、くしゃりと崩れると親しみやすい。青峰はふと昔飼っていた犬を思い出した。水かけてやると喜んだんだよな。別な方向へ流れそうになる感懐を弾んだ声が引き戻した。
「昨日寝る前に考えたんスよ〜いいあだ名でしょ。 ていうか、そろそろ俺の名前覚えたっスよね?お前とかオイとか言うのやめてくれる?」
「黄瀬」
 言い淀む間もなくすぱっと呼んだ名前に、黄瀬はほんとに覚えてたのかと内心少し動揺する。しかしすぐさま自分の立場を思い出した。何がちゃんと覚えてたのか、だ。一週間に何時間授業してると思ってんだ。ほんのり嬉しいと感じてしまった自分を叱咤する。
「一応これでも先生なんで」
「……調子乗んなよ黄瀬ぇ」
 ドスの効いた声を出しても黄瀬にとって相手は生徒。いらついた時の癖なのか、眉がひくついているのを、面白がって観察するほどの余裕があった。
「単位どうなってもいいんスか?」
 青峰にバスケットボールを返しながらそう言うと、明らさまに嫌な顔をされる。遠くではしゃぐ生徒の笑い声が風に乗って二人の間を通った。
「…汚え。……分かったよ、黄瀬先生な!はいはい!黄瀬先生、単位よろしく頼むぜ」
「えーじゃあバスケまた付き合って」
「お前が学業の妨げになるようなことしてね?」
 勉強は授業中やれば充分っスよ、青峰っちの頭じゃそれ以上入んないでしょ、とからかう黄瀬は、青峰と関わり始めた当初の目的を忘れ去っていた。ほんの少しだけ、高い位置にある瞳が、いたずらっ子のように細くなる。太陽の光を吸い込んだ海が、優しく凪いだ。こずえがさざめいて、青峰の部着が風を含む。
「じゃあ俺が勝ったら単位くれな」
「それは卑怯っスよ」
 散々騒いだ後に、青峰は昼練の続きのため体育館に戻った。長時間の休憩を幼なじみの桃井に怒られ、練習を再開していると、恐らく一連の会話を全て見ていたらしい、黒子のガラス玉がしつこく青峰を追いかける。
「なんだよテツ」
「いえ。最近仲良いですね、黄瀬先生と」
 人間観察を趣味とする黒子は、青峰の反応を見逃がさまいとさりげなく視線をこらした。
「あー…そうでもねえだろ。犬がバカみてえに尻尾振ってんだから少しは遊んでやらねえと」
 青峰は特に疑問も持たずにさらりと答えた。その場しのぎにはぐらかそうとしているわけではなさそうだった。今の今まで、冗談を交わして笑っていたことなどなかったのかのようだ。まさか無自覚か、と黒子はわずかに眉根を寄せた。
「……その割には楽しそうですけどね」
「何か言ったか?」
 いいえと首を振りつつも、黒子は心中で、根気良くつきまとい続けた黄瀬に祝いの拍手を送らずにはいられなかった。

 一方時を同じくして、校舎の中で女子生徒に囲まれた黄瀬は、手に持った弁当箱よりも口ずさんでいた鼻歌について糾弾されていた。
「ずっと警戒してた猫がやっと懐いてきたっていうか、んー……とりあえず可愛いっスよ」
隙のないことで有名な黄瀬先生の緩んだ表情に、その場にいた女の子は揃って胸を湧き上がらせた。たまたま側を通りかかり、言葉の意味を察してしまった桃井を除いて。


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