夕暮れが包む体育館は二人分の荒い息使いで満たされていた。スーツのジャケットを脱いだだけの黄瀬は、シャツを大量の汗で湿らせ、床の上に大の字になって肩で息をしている。隣でバスケットボールを弄ぶ青峰も横にはなっていないが、同様に透明な汗が髪の毛から滴り落ちていた。それを拭いもせずどこか満足そうな表情を浮かべて、額に貼りついた髪の毛をかきあげる黄瀬を横目で盗み見た。
「アンタ、まじ、つえーな、」
 一単語ずつ区切りながら黄瀬はそう言うと、深く息を吐き出した。最初こそ余裕を見せていたが、青峰から一度もボールを取れない形勢を理解すると、すぐさまスイッチが入った。だからと言って、いくら回数を重ねても結果的に青峰に勝てることはなかったのだが。
 青峰は、立ったまま黄瀬を見下ろすと子どものように相好を崩した。重力に従って落ちてきた汗が黄瀬の顔の真横のフローリングを濡らす。
「まあお前も悪い方じゃねえよ」
 初めて自分に向けられた笑顔に、黄瀬の胸を驚きが突いた。一人でシュート練習を始めた姿が、これまで見てきたどの背中より、不覚にも輝いて見えた。やっぱりバスケ好きなんじゃん。小さく笑うと、片腕で目元を隠した。久々に体裁も何も考えず一つのことに夢中になった。しっとりと濡れた背中の感覚が心地良い。
「…ガキ」
「なんつったお前」
「もう一回だけ!ね、もう一回!」
 その日は二人より先に夕焼けが家路に着いた。結局、体育館の電灯がそっと消えたのは一番星が顔を出した頃だった。



 教師にとっても貴重な休み時間、いつも通り黄瀬は女子に囲まれていた。校則違反であるはずの化粧品の匂いが空き腹に染みて、気持ちが悪い。トイレの為に席を立ったところを廊下で捕まり、早くも20分が経過していた。なんでこんなに元気なんだろ、尊敬するレベルっスわ。頭では全く違ったことを考えながらいい加減に笑って話を合わせていると、時たまその塊から叫び声にも似た黄色い歓声があがる。いつ抜け出そうか。その思いが徐々に強くなり始めた頃、黄瀬の襟首を勢いよく誰かが引っ張った。
「っぐえ」
「オイてめえ500円返せよ」
「げっ、ほ、…っは、……アンタな…」
 女子の群れから少し離れたところで首元をさする黄瀬を、不安の色を宿した多くの瞳が見つめる。加害者の青峰がそこを睨めつけると、怯えた顔をして何人かは視線を逸らした。
「いいからこっち来い」
 すたすたと歩き出した青峰の背中を見て、黄瀬は諦めたように盛大なため息を吐いた。生徒には「ごめんね」と笑って誤魔化し、仕方なく小走りでその背中を追いかけた。
「その前に500円借りてないっスよね?」
「んなことより、俺の英語の単位ってあぶねえの?」
 いきなり変わった話題に、黄瀬の顔は当惑に歪んだ。うっかり学校では見せないように気を付けていた素での返事が飛び出す。
「はあ?………大丈夫だった気がするけど…」
「じゃ、いいわ」
 突然現れいなくなった青峰の不思議な行動に首を傾げながら、自分がどこを歩いていたのか改めて確認すると、恋しかった「職員室」の文字。ちょうど良かったと扉に手をかけて、黄瀬はあることに気付いた。青峰くんから話しかけてきたの初めてっスね。どういう風の吹きまわしやら。少し機嫌が良くなった黄瀬とは裏腹に、廊下の先の曲がり角でこめかみを押さえていたのは、説明がつかない自分の行動に困惑した先程の暴君だった。


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