LBTA 追想:蒼

明り取りの為の獣脂と、古くなった紙と糊の匂い。紙魚が文字を食む音すら聞こえそうな静寂の中を、息を殺して進む双つの小さな影があった。

「あにさま、戻ろうよ。見つかったら怒られちゃうよ」
「ここまで来たのに戻れないよ、もたもたしてたらそれこそ見つかっちゃう」

囁き交わされる声は、驚くほど似通っていた。先導する影の持つ、小さな燭台、その橙がかった光にぼんやりと浮かびあがった顔は、まだ五、六歳の、少年と呼ぶのも憚られるような子供の物である。
―――そしてその二つの顔は、鏡に映したもののように瓜二つであった。ただ「あにさま」と呼ばれた少年のその右目は、よく見ると弟や自身の左目の黒曜石のような黒とは違う、深い海の底から見上げた空のような、透度の高い藍色をしていた。

「でも、でも、あにさまぁ…」
「うるさいよ北斗。急がないと、ねえやが僕らがいないことに気付いちゃう」

刻は間もなく丑三つ時。明かりを持って弟を先導する「あにさま」と、その弟「北斗」は、こっそりと寝屋を抜け出して普段は出入りを禁じられている大書庫の奥、禁書の収めてある区域に忍び込んでいた。
目的は禁書棚の最奥に眠ると言われている秘術書―――謳華録。

「ねぇあにさま、その本があれば、きっと母様の病も良くなるんだよね?」
「うん、きっとだ。父様が話してたもの。『「謳華録」は絶対誰にも見せる訳にはいかない、だから禁書棚の一番奥に隠しておくんだ』って。そんなに凄い本なんだから、母様の病を治す方法も書いてある。きっと」
「母様、元気になったら、また僕達と遊んでくれるかな…?」

北斗の声に交じる不安と寂しさを感じたのか、彼の手を引く「あにさま」の手にぐっと力が籠った。
「絶対絶対、遊んでくれる。だって約束したじゃないか。父様と母様と僕達で海に行くって」
双子の母は、名を紫電という。その紫電が病に倒れたのが半年前、夏の訪れる少し前の、「家族で海に行こう」という約束をした、その矢先の事だった。

「…ん。そうだよね。あにさまと父様と母様と、みんなで海にいくんだ」

その為にも、自分だけ弱音を吐いているわけにはいかない。兄の手を強く握り返して、北斗はその隣に並んだ。

「あ、でも母様に一番に褒めてもらうのは僕だからね!!「謳華録」の事、父様に聞いたのは僕なんだからね!!」
「え!!狡い!!僕も一緒に来たんだから、褒めてもらうのは僕も一緒じゃないと嫌だ!!あにさまと一緒がいい!!」
「駄目!!僕が先!!」
「嫌だ、一緒がいい!!」

声を潜める事も忘れた双子の声が書架の回廊に響く。微笑ましく言い争う彼らの姿を、その遥か後ろから眺めて、双子の父、秋水は思わず笑みを漏らした。
―――息子たちが寝室を抜け出したことには直ぐに気が付いた。親としてすぐに連れ戻すべきか多少迷ったが、幼い冒険心を出鼻から挫くことは憚られ、こっそり後をつけるに留めた。子等に危険が迫ったとき、あるいは子等が度を過ぎた行いに出たときに、すぐに飛び出せるように。
秋水の居る場所からは、子等の話の全ては聞き取ることができない。ただ何となく彼らの雰囲気から、その行動が母を、家族を思う心からの事であるのは察しがついた。
(これは、僕の出番はなさそうだね)
このまま彼らが無事に目的を果たして部屋に帰るのを見届けたら、自分も寝室に戻ろう。そう決めて、秋水は一つ大きな欠伸をかみ殺した。


―――双子は知らない。彼等の父、秋水が若き日に俳諧を嗜んでいたことを。そしてその雅号が「謳華」であることを。
―――秋水は知らない。双子が探し求める書が若き日の己が迸る情動のままに書き綴った黒歴史の集大成、発句集であることを。


両者の対面まで、あと四半刻足らず。





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