あの日、どうして来なかったのか。ずっと分からないまま、今日までの毎日を過ごしていた。幼かったと言えば、確かに幼かったし、考えも今と比べれば甘かったと思う。それこそ、天と地ほどの差があるほどに……。けれど、そう言ったのは、確かに名前で、それに二つ返事をしたのは俺だ。あの言葉通りに向かった場所に、いるはずの名前は居なかった。少し遅れているのかもしれない……そう思って待って見たものの、一時間、二時間と刻々と過ぎていく時間に反して、名前が来ることはなかった。

あれは、あの言葉は嘘だったのか?一瞬、頭を過る嫌な考えにそんなバカな、あり得ないと思考を振り払う。けれど、待てど待てど、名前が来ることはなく、それ以来、何年も会わずに過ごした。傷心とは少し違う、何だか騙された気分だった。どうして来なかったのか、それは名前にしか分からないけれど、今となってはすでに終わったこと。それこそ、もうどうでもいいように思えた。

それも、たった一通の手紙で覆すされることになるとは、思いもしなかったが。誰が想像など出来るだろうか?如何に万能な神を持ってしても、人の心とは複雑で、そう易々と理解など出来ない。だからこそ、思いもよらぬところから、忘れ去った過去の記憶という想いが掘り起こされたのだ。

届いた手紙には丁寧な字で“跡部景吾様”と宛名が書かれていた。裏返して差出人の名前を確認すると、あまりの衝撃で思わず息を呑んだ。――苗字名前、忘れるはずもなければ、間違うはずもない。あの日、『約束ね、だから遅れないでよ』と言った本人からの手紙だった。今さら何の用なのか、疑問に思いつつも、手紙を読むことにした。

内容は至って普通のものだった。あの日のことについての謝罪から始まり、行けなかった理由を直接話したいというものだった。指定された場所は、あの日と同じ場所。時間まで同じなのは敢えて、なのか……手紙のタイミングからして、すべて計算して出されたものだろう。唯一、違うとすれば、それはお互い、大人になったということだろうか。流石にあの何もかもが上手く行くと信じて疑わなかった十代の頃とは確実に何かが違っていた。

「すぐに車の用意をしろ」

「はい。かしこまりました」

手紙を読み終えて、深く考えもせずにそう告げていた。ほぼ、反射的に言ったと言っても過言ではない。それくらい、俺自身が、名前に会いたかったのか、ただ単純に理由が知りたかったのか、自分のことなのに分からない。ただ一つ、これだけは言える。一体、今さらどういう了見なんだと、それだけは言いたいと思った。何年も音沙汰なかったというのに、何故今になって、手紙など寄越したのか……少なくとも、会えば、分かるような気がしたんだ。



何年も会ってなかったというのに後ろ姿だけで、名前だと分かってしまった自分自身に内心、苦笑する。もう終わったことだと割り切っていたつもりなのに、まったく、我ながら女々しすぎる自分に自嘲染みた笑いが零れる。

「おい」

声を掛ければ振り返る名前。その仕草も、変わらない表情も、すべてが過去の名前と自分に重なって、ドクリと嫌な音を立てた。

「急に呼び出してごめんね。メールも番号も変わってたから、手紙しか方法がなくって……」

「いや、それは別に構わねぇ。それで、用件はなんだ?何年も音沙汰なかったのに今さら何の用なんだ?アーン?」

少し、言い方がきつかったかもしれない。そう思うくらいには刺々しい物言いだったと自覚はしている。現に目の前にいる名前は眉根を寄せて、泣きそうな顔をしている。泣きたいのはこっちだというのに、何故そんなにもお前が泣きそうなんだ…と言ってやりたい。

「っ、それはっ、……手紙にも書いたことだけど、あの日、景吾がここに約束通り来てくれたって、聞いて……でも、わ、私っ行けなくて、」

こうして話の途中で唇を噛むのは名前の癖だった。言いたいことがあるのを我慢していたり、言いづらいことを口にする時によくやっていた。何を今さら躊躇う必要があるのか、はっきり言ってしまえばいいものを。苛々と痺れを切らす俺など知らない名前は、一つ息を吐き出すと震える声でゆっくりと、まるで語りを聞かせるように話した。

「――あの日、私もここに来る予定だったの。でも、途中で事故に遭っちゃって……気付いたら病院のベッドの上だった。目が覚めたのが、約束した日から二年経った後で、それからも何度かここに足を運んだの。もしかしたら、景吾に会えるかもって……でも、結局会えなくて、」

だから手紙を出したのだと告げた名前に何も言えなくなった。あの日の約束をなかったことにされたのだとばかり思っていたのは、俺の勘違いで、本当は来る予定だったなんて。じゃあ、今まで俺は、何をしていたと言うのか。

「あのね、景吾。私、聞いたの……あの日、景吾が何時間も私が来るのを待ってたって、ほんとに、ごめんなさいっ」

「おい、ちょっと、待て。聞いたって誰に聞いたんだ?」

「この街のカフェのおじいさんに。景吾、人目を昔から惹くタイプでしょ?だから、景吾のこと覚えてたみたいで、懐かしそうに話してるのを聞いたの。実はね、そのおじいさんに手紙を書いたらどうだい?って言われて、書いたの」

そしたらほんとに景吾が来てくれたから驚いちゃった…と困ったように笑う名前。驚いたのは俺も同じだ。事故に遭ったなんていう話、聞いていない。いや、調べようともしなかった俺にも落ち度はあるか。

「だからね、あの日のことは許してなんて言わない。だって、約束を破ったのと変わらないし、景吾を傷付けたもの。だから、嫌われたって仕方ないと思った……っでも、それでもやっぱり、私はまだ景吾が好きなのっ――!」

衝動的に引き寄せて腕の中に閉じ込めた。昔から小さいと思っていたその華奢な体がさらに小さく感じたのは、俺が成長したからか。それともそれほど会わなかった時間が変えたのか。抱き締めたその温もりは今も昔と変わりなく、どこか安らぎさえ感じる。

「――っお前は、バカだな…。理由もなく、約束を反故にするような人間じゃないって分かってたはずなのに、信じてやれなくて、すまねぇ……」

「景吾が悪いんじゃないの。すぐにでも、景吾に会いに行けば良かったのに、行けなくて……景吾のご両親から、景吾が私に会いたくないって聞いて、」

「っ、そういうことか……すべては仕組まれたことだったのか。通りで――」

あれだけ口煩く、名前との交際に難色を示していたというのに、ぱったりと何も言わなくなったのには、そういう理由があったのか。けれど、もう何も口出しされる謂れはない。もう子供じゃないんだ。

「名前、あの日のことは許してなんて言わないって、お前は言ったな?」

「うん、言ったよ。私が約束ね、って言ったのに破っちゃったから」

「ああ。でも、それなら俺も同罪だ。――あの日、俺はお前を信じてやれなかった。むしろ、嘘だったのかと、騙された気分だった。名前が悪いんじゃない、あれは仕方ないことだったんだ。それなのに、最後まで信じてやれずにすまなかった」

「ううん、いいの。それこそ、景吾が悪いんじゃないもの。景吾の言い分を通すなら、お相子ってことでいいのかな?」

「そうだな。――この場所で、待ち合わせをしよう。約束だ。だから、遅れるんじゃねぇぞ」

「うん、今度は遅れない。だから、また約束させて?」

そうして、いつかと同じように約束をした。ただ違うのは、場所と、時の流れだろうか。お互い、すれ違ってばかりだった俺たちに言いたい。

あの日のことは許せ、と。
そして新たに約束をしよう。



あの日のことは許して
(だから、君と新しい誓いを)


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