逢魔が時、恐ろしいまでの美しさを滲ませた世界で、美術室に切り取られた影二つ。
さながら「魔」を纏わせたような少年は、少女の後ろまで歩み寄った。
キャンバスの中をべたりと濡らす血の赤、彼岸花。


「征君」
「何だ、気付いていたのか」
「こっそり来るのは征君だけですから」


 少女は赤の絵の具を画面に塗りつけながら答える。
色白い肌は、その赤い花に生気を吸い取られているようにも見えたが、筆を置いて少年、赤司の方に振り向くと黄昏の光を浴びてほんのりと赤く染まった。


「名前ちゃん」
「はぁい、私には言わなくても分かりますから。中学の頃から、ふらりとやってきた征君とよく話しましたからね」
「……お見通しか」
「はい、何だかあの日に似ていますね」


 追憶に浸る名前の脳裏には、今日も描いた彼岸花が一面に浮かんで咲き誇る。
 うだる夏の暑さと、人工的な涼しさがごちゃ混ぜになったあの日。泣きそうに笑った表情と、魂を運ぶ曼珠沙華に、一つ目の約束。
 それらは色褪せることなくそこにある。


「君はとても鋭かった」
「そうかもしれませんね……、思い返せば征君とはたくさんの約束をしましたね」
「それらの約束が、まさか君をここまで縛るとは思ってなかったよ」
「あら、縛られたつもりはありませんよ。私は、私の意志で洛山に来ました」


 東京の秀徳高校に、恋人と行く予定だったのに突然、洛山高校に進路を変えた。
その事を赤司が何か言おうとすると名前はにっこりと微笑み、言葉を胸の奥深くへと、沈めさせてしまうものだから、結局赤司は何も言えなかった。
 夕日に照らされた優美な顔立ちとは裏腹に、とんでもなく頑固で、意志が強い、真太郎からの預かりもの。
 そんな赤司と、名前の関係性はひどく曖昧なものだった。
「親友」という言葉で片付けてしまうには、二人の愛情は深かったし、「恋人」という言葉では、二人の関係は成立しなかった。
 お互いを深く理解し、尊重している二人には、「プラトニック・ラブ」というような曖昧な定義ぐらいしか当てはまらなかったのである。


「今日は不安、ですか」
「……君は何か特殊な目でも持っているのか」
「さぁ?ただウィンターカップが近いなぁ、と」


 赤司は別に、ウィンターカップに不安を感じている訳ではなかった。
 トーナメントのその先、戦うことになろう秀徳高校の緑間真太郎、名前の恋人である彼になんて説明しようか、と思考していた。
彼女が洛山に行くことを、誰にも相談せずに決めた事は、第三者から見たら赤司が関わっているとしか思われない。
しかし、二人にあるものは曖昧さだけだったから、説明材料が何もなかった。


「多分、目に見える形が欲しいのかな……と」
「正解だ」
「じゃあ指切りをしましょう」


 名前はついさっきまで筆を握っていた白い小指を差し出した。
突発的な行動に、赤司はらしくなく目を瞬かせ、きょとんとした顔をした。
 何だ、指切りって。
指切りを知らない訳ではない、名前の脈絡のない行動に少し動揺しているだけだ。


「何でまた指切りなんだ……?」
「目に見えるじゃないですか。あと、生半可な気持ちじゃないですよ、という覚悟を証明するために」


 指切りは元々、男女が愛情の不変を誓い合うための行為だ。日本には昔から指切りの刑なんてものもあった。昔、女は罪を犯したら指を切られたらしい。


「征君とは何も起こってないですよ、と真ちゃんに説明するためです。もしも、約束が破られたなら、私はこの小指を差し出しましょう」
「……君、プロだろう?商売道具は大切にしろ」


 白くほっそりとしたその指からは、美しい作品が産み出される。天才ともてはやされる少女のそれは、赤司の目と同等、またはそれ以上の価値がある。


「君が言うと冗談に聞こえない」
「それ、征君にだけは言われたくないです」


 言いあった後、二人は顔を見合わせて笑い出す。笑いが木霊する美術室の中で、二人はどちらからともなく、小指を絡め合わせた。
 白い指と赤のコントラストが綺麗だなぁ、と名前は昔と同じように思う。


「これで真ちゃんに説明できますね」
「まぁ……そうなんだが。名前ちゃんと指切りしたんだ、だから何も心配はいらないさ、と真太郎に説明するのは、ものすごく格好がつかない気がする」
「ですねぇ……。そこはなんとかしてください」
「他人事だな」
「まさか。この指切りは誓いのキスなんかより、もっとずっと重くて、綺麗ですよ。そこの熱意を伝えればいいかと」
「しかしそれもまた、僕がやるとギャグみたいだな」


 あまりに深刻な顔に、深刻なトーンで言うので名前は、思わず笑ってしまった。ギロリと睨まれたので、笑いを落ち着かせて真剣に考える。


「じゃあ、狐の松明を持って、二人で会いに行きましょうか」
「それはいいかもしれない」


 茜の下で目を細めて笑う赤司に、名前は微笑みかけた。
 昔、彼に言った言葉が力を持って本当になる日も近いのかもしれない。だから名前は、いつか来てしまうその時まで傍にいて、言葉を交わす。
『いつか再び会えますように』
中二の夏休みに交わした約束。
 「彼」が死ぬのを二回見送ることになるかもしれない、と名前はいつもぼんやりと思う。「彼」に会いたいのかもしれない。でも、そのためには「彼」が死ぬ必要があるのかもしれない。
 紅い彼岸花が、脳裏でちらつく。


「好きですよ、征君」


 紅と金の瞳を見つめたら、画中の彼岸花が花びらを散らしたような気がした。


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