ゆずれない想い
「最終試験の内容じゃが、最終試験は一対一でのトーナメント形式にて行う。
トーナメントの組み合わせは、こうじゃ。」
外された布から現れたトーナメント表。
そこに書かれた組み合わせに全員が息を呑んだ。
ゆずれない想い
受験生がざわつく中、ネテロさんは試験の内容を説明していく。
「この最終試験のクリア条件というのは実に分かりやすい。
一勝すれば合格。つまり晴れてハンターになれるというわけじゃ。」
人差し指を立てそう言ったネテロさんの言葉にそれぞれが反応を示した。
斯く言う私もなんの冗談だと目を見開いたのだが。
「ということは――」
誰かが溢した言葉にネテロさんは頷くと、更に砕いて内容を話した。
「今回のトーナメントは勝者が抜け敗者のみが残って行くシステムとなり、このトーナメント表に記された頂点は不合格を意味する。
ここまで言えばもうお分かりじゃろう。」
のんびり言うネテロさんにハンゾーが口を開いた。
「つまり不合格者は一人だけってことか。」
「その通りじゃ。しかも勝つチャンスはそれぞれに二回以上与えられておる。」
その言葉にチラとトーナメント表を盗み見る。
確かにレオリオとギタラクルさんが最低の二回。ゴンとハンゾーが最高の五回。
だけど明らかに公平ではないこのトーナメント表。
判断基準は今までの成績って事なのかしら?
(だとしたら、ゴンがハンゾーと並んでいるのは少し疑問が出るのではないかしら...。)
チリッと不穏な空気を横から感じ取り、私は目を細めた。
「何か質問は?」
「組み合わせが公平じゃない理由は?」
スッと手を挙げて発言したのは意外にもエレフで。
私は目を丸くして彼を見た。
エレフはチラッと私を見たがすぐにネテロさんへと視線を戻す。
「うむ。当たり前とも思われる疑問じゃな。
このトーナメントは今までの試験でのそれぞれの成績を元にして組んでおる。
つまり、成績の良い者に多くチャンスが与えられているというわけじゃ。」
その言葉に反応したのは先程からピリピリした空気を発しているキルアだ。
「納得いかない所があるんだけどさ、点数のつけ方とか点数もっと詳しく教えてよ。」
そんなキルアにあろう事かネテロさんは、
「ダメーー。」
と言い、んべっと舌を出す。
「なんで!!」
もちろんキルアは青筋を立てネテロさんに講義した。
「採点内容というのは極秘事項として成り立っておる。
全てを言うというわけにはいかんのじゃが・・・
まあ不服に思う者、疑問に思う者もおるようじゃしやり方くらいは教えておいてやろう。」
ザッと受験生を見渡したネテロさんはスッと指を三本立てた。
「まず、審査基準は大きく分けて三つ。
身体能力値、精神能力値、そして印象値。
これらから成り立っておる。」
身体能力値は敏捷性、柔軟性、耐久力、五感能力等の総合値。
精神能力値は耐久性、柔軟性、判断力、創造力等の総合値。
この二つはそれぞれこれらを示しているとネテロさんは話した。
しかし、これは最終試験に残った者達にとって納得出来る基準ではないだろう。
それはネテロさんも分かっているのか、言葉を付け足す。
「だがこれらは飽くまでも参考程度であり、君達は最終試験まで残ることが出来たのだから何を言っても意味がないとワシは思っておる。」
緩慢な動作でヒゲをさすりながら、ネテロさんはスッと少しだけ目を細めた。
「ここで重要視されたものは、印象値。
これは即ち、身体能力値でも精神能力値でも測ることのできない『何か』。
――言うなればハンターとしての資質評価みたいなもんじゃ。」
それを聞いて私はあぁ..と納得する。
“ハンターとしての資質”
確かにこれにおいてゴンは素晴らしい物を持っているだろう。
きっとここにいる誰よりも・・・
そしてそれを踏まえ、私があの位置にいるのは私の追うものが“幻影旅団”だから。
そしてこのトーナメントの組み合わせ・・・。
(過去の壁を壊さなければ、今大切にしているものを壊す事になる...って?)
ネテロさんは私とヒソカの間に起こった事を知っているのだろうか。
いや、きっと知っているのだろう。
私はこの試験の間にあの時の事を話し過ぎた。
話す相手を選んでいたとは言え、どこに耳があるか分からないのがハンター試験。
四次試験の時みたいに監視を置かれていた可能性は高い。
(クラピカとだけは戦いたくないって言ったのに。)
まぁ、だからこそのこの組み合わせなのだろう。
私がヒソカを負かせばいいだけの話。
(簡単に言ってくれるわ。ネテロさんの意地悪。)
不機嫌を隠すことなくネテロさんに視線で訴えれば、彼はほほっと面白そうに笑った。
「まぁ後は君達の生の声とをよく考え練った結果こうなった。以上じゃ。」
そう話を締め括ったネテロさんは、これ以上の質問を受け付けないと纏う空気で示す。
しかしそれをまるっと無視して一人の男が抗議の声を上げた。
そしてその抗議は正論も正論、当人にとっては突っ込まずにはいられないものだっただろう。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!トーナメントの評価に関しては納得だ。俺の評価が下なのも納得出来る。
だがな?!あの、付け足したような手描きの線は何なんだよ!!え?!」
そう、そうなのだ。
レオリオだけ忘れていたかのように、端の方にちょちょっと手書きで線が付け加えられているのだ。
確かに酷い。これは酷い。
全員がネテロさんの方を見ると、ネテロさんは一瞬眼光を鋭くさせた後、てへっとお茶目に舌を出し「すまん、書き忘れじゃ。」と素直に謝罪を口にした。
そんなネテロさんにレオリオが何も言えなかったのは言うまでもない。
「さて。話が逸れたが、戦い方について説明する。
これも単純明快。武器の使用は可、反則なし。
相手に『まいった』と言わせた瞬間勝ちとなる、が――。」
真剣な表情に戻ったネテロさんは試合方法について説明していくが、一旦言葉を区切り最重要事項を伝えるかのように声のトーンを落とした。
「相手を死に至らしめた場合、その者は即失格となり残された者が合格。試験はその時点で終了じゃ。良いな。」
“相手を死に至らしめた場合、即失格”
その言葉に全員が目を見開いた。
この時点で最終試験において、ある程度の命の保証はされた。
確かにこのルールが無ければこのトーナメントは成立しない。
だけどーー・・・
(性格悪いわ、ネテロさん。こんなルール・・・あの子、絶対に死んでも『まいった』なんて言わないわよ。)
そっと、トーナメント表を真剣な表情で見つめるゴンを盗み見て溜息を吐いた。
ーーー・・・
「それではこれより最終試験を開始する!
第一試合、ハンゾー対ゴン!」
ハンゾーとゴンが部屋の中央へと歩いて行き、互いに向き合う。
「立会人を務めさせて頂きます、マスタと申します。どうぞよろしく。」
二人の間に立つ試験官が頭を下げるとハンゾーがその試験管へと片手を上げた。
「よう久しぶり。
四次試験の間中ずっとオレを尾けてたの、アンタだろ?」
マスタさんは少しだけ驚きを見せた後あっさりと頷いた。
別に隠す必要もないらしい。
「お気づきでしたか。」
「当然よ。」
ハンゾーは得意気に返し、会場内を見渡した。
「四次試験じゃ受験生一人ずつに試験官が尾いてたんだろ?
まあ、他の奴らも気づいてたとは思うが。」
「・・・まじでか。」
小声で呟いたレオリオはその事に気付いてなかったのか、口をあんぐりと開けている。
「あえて言う事でもないと思っていたのだが……」
クラピカは気付いていたのか、困ったようにそう言った。
クラピカとレオリオは一緒に行動していたのだろうか?
だとしたら言わなかったクラピカの判断は正しかっただろう。
(レオリオの事だもの。四六時中監視されてるなんて知ったら、落ち着けねぇ!ってブチ切れてただろうしね。)
そんなレオリオの姿を想像して少し笑ってしまう。
ハンター協会の配慮か、私についていたのは女性の方だった。
その人は今この会場にはいないみたいだけど・・・
「ま、当然っちゃ当然だが、オレがランク上にいるのはアンタの審査が正確だったからだ。礼を言っておくぜ!」
「・・・はぁ。」
それにしても。
試験が始まろうというのに、ハンゾーの口はよく回ること。
(ハンゾーはこの試験のルールの本当の恐ろしさを分かってないわ。いえ・・ゴンの本当の怖さ、って言った方が正しいかしら。)
確実にハンゾーの負けは決まった。
その事に本人が気付くのはきっと・・・
「それはそうと聞きたいことがあるぜ!
勝つ条件は降参させるしかないんだよな?
気絶させてもカウントをとることはないしノックアウトもなし。」
「はい。」
マスタさんの答えに、ハンゾーの雰囲気が僅かにだが変わった。
始まる――。そう、ピリッと掠めた殺気で察した。
「始め!」
試合開始の合図と共にゴンはすぐさま左へと地面を蹴り上げる。
スピードで撹乱させようとしたのだろうが、ハンゾーの方が一枚上手だった。
一拍置いて、ハンゾーはゴンよりも遥かに早いスピードで彼に追いつくと手刀でゴンを沈める。
それは一瞬の事だった。
どさりと倒れ込むゴンに、レオリオとクラピカが息を呑む。
想定内の流れなので私は特に反応はしなかったが、隣で聞こえたキルアが舌打ちに少しばかり目を細める。
(俺なら避けられたのに、ってとこかしら?)
キルアの中に渦巻く感情。
それはトーナメント表が出た時から気付いてはいた。
(確かに実力で言えばキルアやハンゾーの方が格段に上。
だけどゴンにはそれを上回るほどのものがある。)
きっとこの試合でゴンの持つ才能の鱗片を見ることになるだろう。
その時、キルア・・・あなたの中にはどんな感情が生まれるのかしら。
「さて、普通の決闘だったらこれで勝負はつくんだが――。」
ハンゾーの声で意識を試合へと戻す。
倒れ伏したゴンを無理やり起こし、ハンゾーはうなじにあるツボを強く押した。
「ほれ、目ェ覚ましな。」
「う……っ」
無理やり意識を戻されゴンが呻く。
それ以上の声は出せないのか顔を苦痛に歪めていた。
「脳みそグラグラして気分最悪だろ?そうなるように打ったからな。
力の差がはっきりしたろ。早いとこギブアップしちまいな。」
ハンゾーの言葉に、ゴンは辛そうに歪めた顔をゆっくりと動かし、そしてべっと舌を出した。
「いやだ。」
瞬間、右側頭部に平手打ちを受けゴンの首が傾く。
先ほどのダメージも冷めやらぬ内の衝撃にゴンは嘔吐した。
きゅっと、気付かれないように拳を握る。
本当に――、ネテロさんは性格が悪いなぁ。
ハンゾーの戦い方は正しい。彼もそれなりの実力者だ。
拷問のやり方くらい叩き込まれているだろう。
ネテロさんにとってこの状況もきっと想定内。
実力差のあるゴンとハンゾーを第一戦に組んだ意図。
それはハンターになった先、こういう状況に遭遇することなんてよくある事だから。
(ネテロさんは見たいんだわ。ゴンがどう切り抜けるか・・・)
誰よりもゴンの本質を見抜いてるのはきっとネテロさん。
だからこそ、たちが悪い。
(見守る側の気持ちも考えて下さいよ、全く・・)
そっと溜息を吐いた。
チラッとクラピカとレオリオを見れば二人共拳を固く握り震えている。
「よく考えろ。今の内なら次の試合にも影響はそこまでない。頑固すぎるのも考えモンだぜ。さっさと言っちまえ。」
「――っ、誰が言うもんか!」
鈍い音とゴンの呻き声が連なる。
「ゴン、無理はよせ!」
耐えられないとばかりにレオリオが声を張り上げた。
「次だってあるんだ、ここは――」
「レオリオ!」
だが、彼を制したのは意外にもクラピカで。
「……お前がゴンの立場だったら素直に『まいった』と言えるか?」
「んなこと死んだっていうかよ!あの野郎偉そうにしやがって!
それくらい分かってても言うしかないだろ!!」
「・・・矛盾だらけだが気持ちはよく分かる。」
気持ちを抑えるように吐き出された言葉は、痛みを受けているゴンよりも痛そうで。
そっと、握り込まれた拳に手を添えた。
ハッとクラピカが私の方を向く。
私は何も言わず、そっと苦笑した。
「―――っ、あぁ、分かっている。」
ゆっくりと息を吐きそう言ったクラピカは、握っていた拳をゆっくりと解いた。
私もそっと手を離す。
(レオリオはちゃんと発散出来てるから大丈夫ね。)
チラッと目を血走らせているレオリオを一瞥し、私は再び試合へと目を向けた。
ーー・・・
あれから三時間。
ハンゾーの一方的な攻撃を受け続け、ゴンは床に倒れていた。
誰もが、こんな過酷な試験になるなんて想像もしていなかっただろう。
会場にいる全員が息を呑みこの光景を見ていた。
「起きな。」
三時間も相手を痛め続け、尚ハンゾーの声は冷たさを従えている。
攻撃する方もそろそろ精神的に焦ってくるはずなのに、さすがはハンゾー・・というべきか。
彼の精神には一切の乱れが無かった。
「……てめえいい加減にしやがれ!オレが相手してやる!」
そんなハンゾーとは裏腹に、レオリオには我慢の限界が来たようだ。
今にも殴りかからん勢いでハンゾー目掛けて怒声を浴びせている。
「――見るに耐えないってんなら消えろよ。これからもっと酷くなるぜ。」
しかしそんな声を耳にしてもハンゾーは冷静だった。
頭に血が昇った状態のまま一歩踏み出すレオリオの前を二人の試験官が立ち塞ぐ。
「この試合は一対一で行われているもの。他者が乱入することは許されません。
ここで貴方が手を出してしまえば失格になるのはゴン選手です。」
その言葉にレオリオはグッと踏み止まり、わなわなと拳を震わせた。
レオリオだって頭の隅では分かっているはず。
だけど、言わずにはいられないのだ。
体が動かずには、いられないのだ。
(誰よりも優しいレオリオだもの。身体の痛みはなくても、心はゴンと同じくらい・・いえ、それ以上に痛んでる。)
「――大丈夫だよ、レオリオ。」
その言葉にハッと顔を上げる。目の前の光景に私は目を見開いた。
倒れていたはずのゴンが辛そうにしながらも立っていたのだ。
「こ……れくらい、全然平気さ。まだやれる。」
なんて子なのだろう。
仲間が自分の姿を見て同じ痛みを感じているのを、ゴンは分かっている。
だからこそ、安心させようと仲間の為に笑ってみせるのだ。
その心の強さに、何か・・・そう、得体のしれない怖さを感じた。
ハンゾーも何かを感じたのだろう。その表情に少しの焦りが見えた。
そしてゴンの体を手荒に叩きつけ、左腕を背中の方へ捻り上げると、
「――腕を折る。」
冷静に努めているようで、その声音はどこか焦りと迷いを含ませていた。
「本気だ――。さっさと言っちまえ!」
どこか懇願するように言ったその言葉は、ゴンには届かない。
「い――いやだ!」
聞くに耐えぬ音が場内を轟かせた。
そっと、自分の胸に手を当てた。
僅かにだがざわついている心。痛みなのか、怒りなのか。
(・・ネテロさんに少し嫌がらせをしても罰は当たらないわよね。)
試験が終わったら、よくもこんな試験にしてくれましたね、と嫌がらせしようと心に決め、私はざわつく心をそっと奥に閉まった。
一つ息を吐き、声にならない声で呻き蹲るゴンに目を向ける。
「これでもう左腕は使いモンにならねェぞ。」
あくまで変わることのないハンゾーの声色。
だけどその顔色は先程より悪い。
ハンゾーは何処かで感じているのかもしれない。
“ゴンに『まいった』と言わせるのは不可能だ”と――。
「クラピカ止めんなよ。」
そんな中、低く唸るようにレオリオが言った。
「これ以上あの野郎が何かしやがったら――あいつにゃ悪いが抑えられる自信がねぇ。」
「止める?私がか?」
聞き返すクラピカの声も低く、僅かに震えていた。
「ありえないな。恐らくそれはない。」
チラチラとクラピカの瞳の色が緋色に染まる。
そんなクラピカから私は無意識に視線を逸らした。
そのままキルアの方を見れば、彼は焦りと苛立ちを含んだ眼差しでジッとゴンを見つめていた。
「痛みのせいでそれどころじゃないだろうが聞きな。」
ハンゾーが喋り出した事で私の意識はハンゾーへと向く。
そして腕一本で逆立ちを始めたハンゾーに小さく溜息を吐いた。
(ハンゾーのお馬鹿さん・・・。)
彼と組手をした時、それなりに強いと感じた。
念を覚え、もっと外の世界に触れれば彼はどんどん強くなるだろう。
だけどまぁなんというか....
(お喋りさん、よね。)
それなりの実力者だ。簡単に敵に隙は見せないだろう。
だが、今が試験中だということ、そしてゴンより圧倒的有利な立場にいると自負していることが、今の彼の余裕を作り上げてしまっている。
「オレは『忍』と呼ばれる隠密集団の末裔だ。
忍法という特殊な技術を身につけるため、多々なる厳しい訓練を生まれた頃から行っていた。
以来十八年休むことなく肉体を鍛え、技を磨き今に至る。」
全体重を支えるのは右手のひらのみという状況だと言うのにハンゾーの舌は回る回る。
「おまえの年の頃には人だって殺してんだ。」
やがて彼の指が床から徐々に離されていき・・・
「格闘に関し今のお前がオレに勝る事はねえ!」
親指、薬指、小指と、そして中指を離しとうとう彼を支えるものは人差し指のみとなった。
それと同時、ゆっくりと動き出した存在に私は緩む口元を手で隠した。
「悪いことは言わねぇ。」
目を伏せているからかハンゾーは気付かぬまま続ける。
「素直に負けを認めな。」
キッとハンゾーがゴンを睨み据えたと同時、彼の体は綺麗に宙に舞った。
そして「あ、」と間抜けな声を出し、べちゃりと見事に顔面で着地を決める。
一拍の間。
「あっははははははは、ふふふ、ハンゾー、間抜けだわっ!!ふふふ。」
耐えるために隠した口元は全く意味を成さず、私は大声で思いっきり笑った。
そんな私の声に、止まっていた会場の空気が動き出す。
「ってー、くそう……痛いのと長いおしゃべりで気持ち悪いのは少しだけ治って来たぞ!」
ゴンの蹴りを顔面に食らったハンゾーは、あまりの不意打ちに受け身をとることが出来なかったのか倒れたまま微動だにしない。
逆に立ち上がったゴンの顔は先程よりもスッキリしていて、しっかりと目の前のハンゾーを見据えていた。
「いよっしゃァー!ゴン!もっとやれ、蹴りまくって殺せ!殺すのだァァア!」
「それじゃ負けだよレオリオ……。」
煽るレオリオを諌めるクラピカの表情は、しかし言葉とは裏腹にとても柔らかい。
そんな彼らに私もホッと息を吐いた。
そしてそっとキルアを盗み見る。
キルアは、驚愕に目を見開き困惑していた。
「十八って言ったら六つくらいしか違わないじゃんか。
この試合はどっちが強いかとかどれだけ特訓したかとかじゃない。
最後に『まいった』って言うか言わないかだもんね!」
堂々とそう言い放ったゴンに、ハンゾーは両手をバネに素早く体を起こし地に足をつけた。
「――まあ、わざと蹴られてやったわけだが。」
「うそつけェェ!」
「あっはは、やだハンゾー鼻血出てるわよ。涙まで流しちゃって間抜けだわっふふふ。」
鼻血と涙を流しながらそう言ったハンゾーに私はまた笑いが止まらなくなる。
キレ良く突っ込んだレオリオまでそんな私を呆然と見ていたが、その視線に応える余裕は今の私には無かった。
「つかいつまで笑ってんだよフレイヤ!てめぇそんな爆笑するキャラじゃねぇだろ!!」
ハンゾーの怒声にようやく笑いも収まり、私は目に溜まった涙を拭った。
そしてハンゾーへとにっこり綺麗に微笑み、
「だって大笑いして差し上げた方がより惨めになりますでしょう?」
そう言った瞬間、会場にいた殆どの人の顔が引き攣ったような気がしたが、敢えて気付いていない風を装う。
あらエレフ。そんなあからさまに引かないで下さいまし。
が、偶然視界の端に入ったエレフの顔があまりにも酷かった為、私はエレフにも綺麗な微笑みを贈っておいた。
「・・・っ、分かってねーな、オレがしてるのは忠告なんて優しいもんじゃねえ。命令だ。」
鼻血を拭いながらそう言ったハンゾーの声色が変わったのを感じ、私も笑みを消す。
「分かりにくかったってんならもう少し分かりやすくしてやろう。」
右手に左手を添え、彼はゆっくりと仕込み刀を引き出した。
「――脚を切り落とす。」
その言葉に私は僅かに目を細める。
「取り返しの付かない傷口を見れば分かるだろ。
だが、後悔する前に最後の頼みだ。
『まいった』と、一言だけ言ってくれ。」
それは、ハンゾーの最後の切り札。
ハンゾーの目がゴンの『まいった』の一言を懇願していた。
恐らく、ハンゾーはゴンを気に入っている。
ゴンの中に眠る強さの可能性だって見抜いている。
だからこそその芽を摘みたくないのだ。
だけど彼にだって合格しなければならない理由がある。
ゴンを見つめるハンゾーの瞳はゴンの強さを認めていて、だからこその、『頼み』なのだろう。
(だけど、相手を見抜いているのはゴンも同じ。)
そう、ハンゾーがゴンを見抜いているようにゴンもハンゾーの本質を見抜いている。
いや、見抜いているというよりは、感じている、と言ったほうが正しいかしら。
(どれだけ割り切って冷徹にしていても、結局根っこの部分で優しいのよね。)
そんなハンゾーだからこそ、ゴンはきっと言わないだろう。
彼の望む、『まいった』の一言を。
そして代わりに返す言葉は・・・
「それは困る!」
ーーあらあら。
ズバリ言い切ったその言葉に苦笑する。
会場にいる人達もポカーンと口を開けていて。
言われた本人、ハンゾーに至っては何を言われたか分からないという顔をしていた。
「脚を切られちゃうのも嫌だけど降参するのも嫌だ!だからさ、もっと他のやり方で戦おうよ!」
なんとまぁ、めちゃくちゃな事。
(ゴンらしいっちゃらしいけど・・・これは流石にハンゾーもたまったもんじゃないでしょうね。)
「・・・な、何言いやがってんだてめえは!」
やっと何を言われているのか理解したハンゾーは額に青筋を浮かべ、ゴンへと怒鳴り掛かる。
「勝手に話進めよーとしてんじゃねえよ、なめやがって……っ!
その脚まじでくっつかねーようにしてやろうか!」
「それでもオレは降参なんてしない!
そしたらオレ、血がいっぱい出て死んじゃうと思うんだけど、その場合ってあっちが失格になっちゃうよね?」
「はい。」
マスタさんが頷くのを確認し、ゴンは再びハンゾーと向き合う。
「ほら、ね?それじゃお互い困るでしょ。だからさ、もっと別のやり方考えよう。」
気持ち良いくらいあっけらかんとした発言だ。
先程まで地べたに這いつくばり痛めつけられていたとは思えないくらい、今のゴンの顔は“いつも通り”で。
(全く・・・闘い難いったらありゃしないわね。)
「もう大丈夫だな。完全にゴンのペースだ。」
「なんてわがままな奴だよ本当に。」
「絶対に敵に回したくないわね。」
呆れ返るレオリオの隣で微笑むクラピカ。
先程まで怒りに震えていたとは思えない二人の様子に、改めてゴンの与える影響はすごいんだな、なんて思う。
「ハンゾーだけでなく我々までも巻き込んでしまっている。全く――」
――恐ろしい子だ。
クラピカが苦笑しながら呟いた言葉は妙にしっくりとこの場の空気に馴染んだ。
しかしそんな空気を打ち破るかのように、刃が空を切る鋭い音が走った。
「お前はやっぱり分かっちゃいねぇよ。」
仕込み刀の切っ先をゴンの額に突きつけるハンゾー。
ゴンは後ずさることも無く真っ直ぐとハンゾーを見据える。
張り詰めるような緊張の中、唸るように彼は言った。
「たとえオレがここでお前のことを殺しちまっても来年またチャレンジすればいいだけのこと。
・・けどな死んだらお前には次もくそもない。」
今この場で少なからず恐れを映しているのはハンゾーだ。
彼は彼の持ち得る『まいった』と言わせる術を惜しみなく出したはず。
なのに目の前のゴンにはそれが全く響いていない。それどころか自分に優位だった空気が一瞬でゴンのものとなってしまったのだ。
未知のものを前にした時の恐怖――。
「オレとお前じゃ対等にはなり得ないんだよ!」
ハンゾーは、戸惑っているのかもしれない。
無言で一歩踏み出したクラピカを止めたのは意外にもレオリオで。
軽く目を見開いてレオリオを見上げれば、彼の瞳は僅かに揺れつつも真っ直ぐにゴンを見据えていた。
その瞳はゴンを信じると決めた強い覚悟の光を宿していて。
(――本当に、仲間想いで優しい人。)
そんな彼の心の強さに私はゆっくりと微笑んだ。
そして、そんなレオリオの想いに応えるように。
ハンゾーの言葉を受けてもゴンの瞳から光が消えることはなかった。
「なぜだ。」
ハンゾーの呟きがゆるりと響く。
「たった一言だぞ……?
ここで負けたって次がある。例え今年が駄目だったとしても、また来年挑戦すればいいだけじゃねえか!
命より意地の方が大切だっていうのか!?
それだけのことでくたばって、お前は満足なのかよ!!!」
ハンゾーの叫びが、何処か悲しげに会場に響き渡った。
ゴンは、ただただ真っ直ぐにハンゾーを見据えるだけ。
(なんて強い瞳の輝き。ただの意地なんかじゃないのね・・・ゴン。)
「親父に、会いに行くんだ。」
ポツリとそう呟いたゴンの言葉は、この会場全てを呑み込むかのように大きく響く。
誰もが、ゴンの声に耳を傾けた。
「親父はハンターをしてる。今は遠い処に居て、どこに居るのかも分からないけど……。」
その揺るがぬ瞳は、見えぬ誰かを見据えるように。
「それでも、いつか会えるんだって信じてる。」
覚悟と信念を宿し、力強く輝く。
「だけど、オレがここで諦めたら一生会えない気がする。
――だから、退けない。」
額に突きつけられた刃から赤い筋がゴンの頬を伝い、ポタリと地面の上に落ちた。
「――退かなきゃ、死ぬんだぞ。」
グッと拳に力を込めるハンゾー。
それでも、ゴンは首を縦には振らなかった。
(・・・ゆずれない想い、か。)
ゴンの瞳に、その輝きの強さに、かつての自分が重なる。
私はゆっくりと瞼を閉じた。
(ヒソカとの試合の前に、この試合を見られてよかった。)
次に目を開けた時、ハンゾーは思いっきり腕を振り上げていて。
その切っ先が向かった先は――、
「まいった。オレの負けだ。」
ハンゾーの腕の中だった。
仕込み刃を収めたハンゾーはゴンに背を向ける。
「オレにお前は殺せねーし、かといって、お前に『まいった』と言わせることの出来る自信ももうねえ。」
次にかけるぜ、とそう言ったハンゾーの背中をじーっと見つめるゴン。
その表情が素直過ぎるほど不満の色に染まっているのを見て、私は思わず額に手を当てた。
(ゴン・・お願いだから素直に勝ちを受け取ってあげて。なんて、願っても無駄なのでしょうけど・・・)
そしてゴンは私の予想した通りの言葉をハンゾーへと投げかけた。
「そんなのずるい!ダメだよ!」
ビシリと指差して言いのけるゴンに私は盛大に溜息を吐いた。
「――言うと思ったぜ。」
ハンゾーにも予想は出来ていたようで、振り返ったその顔はひくひくと引き攣っている。
「お前はどんな勝負をしようが死んでも降参なんざしねえだろ、このバカが!」
「だからってこんな形で勝ったって全然嬉しくない!」
「だったらどーすんだっつうの!」
「だから、それを一緒に考えようよ!」
もはや言ってる事が滅茶苦茶だ。
「ゴン、さすがにそれは我儘よ・・・」
「これにはハンゾーに同情せざるを得ないな。」
「全くだぜ。」
クラピカとレオリオも同じく呆れているようで、二人とも肩を落としている。
そんな中、キルアだけがあり得ないというように目の前の試合を見ていた。
そんなキルアの様子に苦笑する。
そっと肩に触れると、彼の体が小さくピクリと跳ねた。
「ゴンが勝ったこと、納得出来ない?」
そう問えば、キルアは気まずそうに私から目を逸らし再びゴン達を見た。
「実力差は、明らかだった。ハンゾーが勝って当たり前の試合だったのに・・・」
「えぇ、そうね。でもね、戦いって強さだけが大事なわけじゃないのよ。ゴンが、いい例だわ。」
未だにゴチャゴチャと言い合いをしているゴン達を見る。
ゴンと言い争いをするハンゾーの顔は負けたとは思えないくらい晴れ晴れとしていて。
そんなハンゾーに思わず笑ってしまう。
「気に入っちゃった相手を傷付けるのは、楽しくないわよね。」
そう言って笑った私を、キルアは困惑した目で見ていた。
「つまりだ。オレ自身はもう負ける気でいるがお前は納得いかない。
だからもう一度勝つつもりで真剣勝負をしろと。
そしてお前が気持ち良ぉぉおく勝てる勝負方を考えろと。
そういうことか?」
そう結論を述べたハンゾーの目は据わっている。
ひくひく眉と口元を痙攣させるハンゾーに対しゴンはニッコリ笑った。
「うん!」
「――ッ、あほかァァ!」
ハンゾーの怒りのアッパーがゴンの顎へと見事に決まる。
空高く舞い上がったゴンは床に叩きつけられ、目を回しながら気を失った。
(はぁ、ゴンのお馬鹿。)
だけど、このタイミングで気絶してくれて良かった。
ゴンは納得しないだろうがこれでゴンの勝ちは決まったし、トーナメントも進めることが出来る。
長かった試合の終わりに、私はホッと息を吐いた。
「おい審判、この勝負オレの負けだ。二回戦に行くぜ。」
マスタさんに向き直りハンゾーがそう宣言する。
その宣言により正式に試合は終了となった。
私はすぐにゴンの側に行き、目を回す彼の頭にそっと手を置く。
怪我を治せばゴンは怒るだろう。だからせめてもと、身体が早く回復するように魔法をかけた。
そんな私とゴンを見下ろし、ハンゾーは根本的な問題をネテロさんへと投げ掛ける。
「しかし言っておくがこれで決着がついたとは思うなよ。
そいつが目覚めたら合格は辞退するぜ。そいつの一度決めた時の頑固さは筋金入りだ。
不合格になる奴は一人だけなんだろ?ゴンが不合格ならこの後の戦いは無意味になるんじゃないのか?」
ハンゾーの言葉を受け、ネテロさんはうむ...と髭を撫でながら答えを述べた。
「心配はいらん。ゴンは合格じゃ。本人がなんと言おうと、それは変わらんよ。
仮にゴンが合格にゴネてワシを殺したところで資格が取り消されることはない。」
まぁ、まずあり得ないわよね。と心の中でツッコんでおく。
側に控えていた別の試験官がゴンを医務室へと運んでくれるらしく、あまり動かさないようゴンを抱えてくれた。
「あ、部屋の窓を開けておいてあげてください。きっと、風が彼の身体を癒やしてくれます。」
私がそう言えば、試験官は首を傾げながらも頷いてくれた。
「なるほどな。それを聞いて安心したぜ。」
ゴンが運ばれて行くのを見ながら納得したようにそう呟き、ハンゾーは他の受験生達の方へと戻って行く。
「――なんでわざと負けたの?」
そんな中、横を通り過ぎる際にキルアが突拍子もなくハンゾーにそう尋ねた。
ハンゾーの足がピタリと止まる。
「わざと……?」
視線を合わせハンゾーが尋ね返す。
キルアは静かに彼を見つめた。
「殺さず相手に『まいった』を言わせる方法くらい、アンタならいくらでも心得てるはずだろ。」
そんなキルアの疑問に、ハンゾーはゆっくりと息を吐き心中を語る。
「オレは誰かを拷問する時、相手に一生恨まれる覚悟でやっている。
その方が確実に痛めつけることができるし余計な感情に流されないしで気も楽だ。」
ゆっくりと語り出したハンゾーに、キルアの表情が訝しげなものになった。
「どんな奴だって一度痛い目を見ちまうと、そいつを見る目には負の光が宿る。
目に映る憎しみ、恨みの光ってのはどんだけ訓練しようが隠せるようなもんじゃねぇ。」
――しかし、ゴンの目にはそれがなかった。
そう、ハンゾーは言う。
「信じられるか?腕を折られちまった直後だってのにあいつの目はそのことすら忘れてんだ。
あえて敗因をあげるなら、あいつのことを気に入っちまった。そんだけだ。」
そう言葉を終えるとハンゾーはキルアから離れた。
その時にチラッと目があったので、“やられたわね”という意味を込めて微笑めば、ハンゾーは照れを隠すようにフンッと言いそっぽを向いてしまった。
そんなハンゾーに小さく笑う。
(ゴンの相手がハンゾーで本当に良かった。)
どこか生き生きとしたハンゾーの背中を見送り、私はトーナメント表に目をやる。
フレイヤvsヒソカ
スッと息を吸い、ゆっくりと吐く。
覚悟を決めて前を見据えれば、心配そうにこちらを見るエレフと目が合った。
そんな彼に“大丈夫よ”と微笑み、私は前へと進み出る。
その時、誰かが私の腕を取った。
振り向けばそこにいたのはクラピカで。
「フレイヤなら問題ないと思うが、無茶だけはしないでくれ。」
この試合で私が負ければ、私はクラピカと戦うことになる。
それだけは、絶対に嫌だった。
「問題ないわ。無傷で勝つつもりだもの。安心して見ていて。」
そう安心させるように笑う。
安心させるように笑ったつもりなのに、後ろでレオリオが少し顔を青くさせていたのは何故なのか。
(失礼ね、レオリオ。確かに好戦的な笑みになってしまったけど。)
そんな彼らに私はふっと息を吐くと崩した笑みを向け、
「ゴンがあんなに頑張ったんだもの。私も後に続くわ。だから応援していてね。」
そう言い部屋の中央へと進んだ。
ヒソカは既に待機している。
――さぁ、4年前の清算よ。
あの時と同じように、私はヒソカと向かい合った。
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