すれ違う想い




スンッと澄んだ朝の空気。
昨夜ガタガタと音を立てていた窓はすっかり静かになり、見れば雲の隙間から朝日が覗いている。

「嵐の後って空気が綺麗なのよね。」

ぐっと伸びをしてベッドから降りると、私はブーツを履いて外へ出た。

時刻は丁度、6時を少し過ぎた頃。

















嵐の去った海はすっかり穏やかで、空に浮かぶ雲も薄っすらと白く流れている。
スゥーと少し冷たい空気を目一杯吸い込み、吐き出した。

「ふふ、やっぱりとてもいい空気だわ。」

私は朝の澄んだ空気が大好きで、ビスケとの修行の時も早く起きて森を散歩したり湖に行ったりとよくしていた。

(そう言えば・・・)

昔シャルにまだ日の登らない内に起こされて、丘の上まで連れて行かれた事があった。
その日も大雨の後で空気が少しひんやりしていて。
葉っぱには雫が残っていて、たまにポタリって頭とかに雫が落ちてくるの。
ひゃって声を出したら、シャルが可笑しそうに笑って...。

登り切った丘の上。
そこで見たのは綺麗な朝日だった。
薄い雲間から覗く朝日がとっても綺麗で。
空というキャンパスに白い雲と、朝日を反射してオレンジに色付いた雲がザァァっと一面に描かれている。

あの景色はとっても感動したわ。

あの日から、ね。
私が朝の空気を好きになったのは。
結局はシャルがきっかけなの。
私はいつだってシャルとの思い出を追いかけている――。

「会いたいなぁ。」

ポツリと呟いた言葉は誰に届くでもなく、朝の空気に溶けていく。
――はずだった。


「誰に会いたいのだ?」


返ってくるはずのない返事が来たことに私の体は大きく跳ねる。
心臓が飛び出そうになるとは正にこの事だろう。

「クラ・・ピカ・・・」
 
目を白黒させている私にクラピカは苦笑しながら私の隣へと並ぶ。

「すまない、驚かせるつもりは無かったんだ。気配で気付いてるかと思っていた。」

「そう、よね。少し考え事をしていたの。
・・ダメね、こんな無防備じゃいつか後ろから首を取られちゃう。」

肩をすくめて笑えば、クラピカも笑みを柔らかくして頷く。
何処か気まずさを感じるのは、私が変に意識し過ぎだからだろうか。

「こんな朝早くにどうしたの?」

さらりと初めの質問を流し、私はクラピカに問い掛けた。
私が質問を意図的に流したってバレてるかなぁ...。

「私も早くに目が覚めたんだ。外の様子を見ようかと出たらフレイヤがいた。」
「そうだったの。昨日の嵐が嘘みたいにすっかり晴れたわね。」

昨日、皆が一生懸命救出活動をしている間、私は一切姿を見せなかった。
まぁ、実質手助けはしていたんだけど。
気付いたのは私を魔族だと知っている4人だけだろう。

「あの水の壁は、フレイヤだろう?」
「えぇ。あれぐらいしか手伝える事がないと思って。」
「・・・知っていたのか?10年に1度の周期で来る嵐の事を。」
「知ったのはクラピカ達と同じくらいの時よ。」
「・・・・」

クラピカの目に疑いの色が浮かぶ。
その事を少し寂しく感じつつ、私はゆっくりとクラピカに微笑んだ。

「ごめんなさい。私は情報屋だから。」
「タダでは教えられない、か?」
「私が自分で足を運んで得た情報ならもちろん惜しみなく教えるわ。
でも、今回の事は少し・・そうね、ズルをしたの。」
「ズル・・?」

本当の事を言うか、正直迷った。
クラピカなら精霊達を傷付けるような事は言わないだろうし、その存在も信じてくれると思う。

だけど、やっぱり少しの不安は残るのであって...。

「うん・・。そうね、なんて説明したらいいのかしら。とても現実離れした信じ難い方法なのだけど。」

そう言って苦笑すれば、クラピカは何かを察したように一つ頷いた。

「魔法や魔族に関係していることか?」
「えぇ、そうなの。」
「なるほど。なら私では到底理解出来ぬだろうな。」
「ごめんなさい。」
「いや、こちらこそ答え難いことをすまなかった。」

クラピカの真摯な態度に、隠し事ばかりな自分が急に恥ずかしくなる。
ここに来てから私は相手を信じて向き合うことから逃げてばかり。

自分の中で、やっぱり葛藤はあるのだ。

幻影旅団を愛し探す私と、彼らを憎んでいるであろうクラピカ。
仲良くすることは、両方を傷付けてしまうのではないか、と。

(でもこんな逃げてばかりの弱い私じゃ、どちらにしろ旅団の皆に顔向け出来ない、わね。)

私は私の信念を貫かなくては。
真摯に向き合ってくれている相手にも失礼だ。

やっと自分の中で気持ちの整理がついた。
私はふっと息を吐き出すと、ゆっくりとクラピカへと視線を合わせた。
私の雰囲気を感じ取ったのか、クラピカもスッと背筋を伸ばし聞く体制に入ってくれる。

「私、ごく稀に、なんだけどね。その地に住む精霊達から情報を集める時があるの。
もちろんタダではないわ。お礼は私の魔力。精霊達は私を信用して交渉に応じてくれているの。
だからね、精霊達から貰った情報を安く扱いたくなくて。」

だから、教えられないの。ごめんなさい。

そう言って頭を下げると、クラピカは一瞬驚いた様子を見せ、しかしすぐにクスリと笑った。
そっと肩に置かれた手が私の体を起こす。

「顔を上げてくれ。そうだな・・フレイヤは謎の多い女性だと思う。
だがそれは私の力不足故だとも思うのだよ。」

そんな――っ、と否定しようとして止められる。

「だが、嬉しかった。話してくれて、ありがとう。」

そう言って嬉しそうに微笑んだクラピカに胸が締め付けられる。

「そんな・・私は・・・」

そんな事でお礼を言って貰える程の人間じゃない。
目を伏せた私にクラピカは苦笑して、

「では・・一つ聞きたい事があるのだか、いいか?
もちろん試験に関係する事ではない。」

そう言った。
その言葉に私は顔を上げ、小さく頷く。

(詠の事、かな。)

きゅっ、と私は気付かれないようにドレスの裾を握り締めた。
クラピカの顔を真正面からしっかりと見る。
クラピカはその瞳に少しの愁いを滲ませ、静かに言った。


「フレイヤが会いたいと言った相手は、誰なのだ?」


一瞬、時が止まったような気がした。
確かに最初に聞かれた事ではあったが、まさかクラピカが再度聞いてくるとは思わなかったのだ。

――そう、そこに拘るなんて誰が予想出来ただろう。

大きく開いた目を瞬かせ、しかし私は次の瞬間には目を閉じゆっくりと息を吐き出すと、しっかりとクラピカを見据えた。


「4年前に離れ離れになってしまった、私の恋人です。」


嘘偽りなく、そう答える。
この事に関して誤魔化すという選択肢は無い。

シャルは私の恋人。最も、愛おしい人。

例えクラピカの一族を殺した盗賊だとしても、彼が私に与えてくれた優しさも幸福も本物だから。
それだけは、誰にも否定はさせない。


「そう、か。フレイヤには恋人がいたのだな。」
「えぇ。もう4年も会えていないけど、ね。」
「何故、離れ離れになってしまったのだ?」

クラピカの問いに、私は陽が高くなり始めた空を見つめた。

「・・・彼が仕事に行っている間に、私、襲われたの。
それで逃げる時に崖から転落して...まぁ、幸いな事にまだ生きてたみたいで。
親切な人が拾ってくれて、っていうかそれが私の師匠なんだけどね。
・・・目が覚めたら知らない場所にいたわ。」

クラピカが小さく息を呑んだのが分かる。
そして悲痛な面持ちで、私へと問う。

「襲った奴に、復讐しようとは思わなかったのか?」

その問いに私はクラピカへと真っ直ぐな視線を向けた。

「初めは・・・そうね。師匠から強さを学び戦えると自惚れて、復讐してやるって思ったこともあった。
その度に師匠は私をボコボコにしたわ。“アンタはまだまだ弱いのだ”と。」

その時の事を思い出して、私は懐かしむように笑う。

「師匠に、言われたわ。復讐を望むのは私が弱いからだって。心も体もとっても弱いから吠えるのだと...」




『いい?ルーエル。復讐することしか考えられなくなったら、その先の強さは絶対に手に入らないわさ。
確かに怒りという感情は一定までは人を強くする。だけどね、それで育てた強さは中身の無いガラス球。膨らめば膨らむほど、割れやすくなるわさ。
もっと視野を広くなさい。大切なのは世界を小さく捉えないことよ。
アンタが本当にやりたいことは何?望むものは何?

――それを、良く考えることね。』



「最初は意味が全く分からなかったわ。でも、今なら分かる。
自分の強さに絶対的な自信を持っている今なら。」

「それは、何故なのだ?それだけの強さがあるなら、私は、迷わず復讐しにいく。」

クラピカの瞳には疑問と困惑の色が浮かんでいる。
そんなクラピカに私は柔らかく微笑み、だけど絶対的な冷たさを持って答えた。

「簡単に殺せちゃうから、かな。」

クラピカが、小さく息を呑んだのが分かった。
そんな彼から視線を外し、私は再び前を向く。

「襲われた時は、そいつの存在がとっても大きくて、とっても怖かったわ。
だけど不思議ね。今は、とてもちっぽけに見えるの。それこそ地面に這う蟻のように...簡単に踏み潰せてしまうように思うのよ。」

ヒソカと再開した時、とても怖かったの。
あの時みたいに殺されるんじゃないかって。

でも対峙して、戦って。

あぁ――、なんてちっぽけなんだろう。

そう思った。
そう思った瞬間に、怒りは消え失せた。


「ねぇ、クラピカ。
 憎む奴の為に自分の人生を潰すなんて馬鹿らしいと...そう思わない?」


私は、今どんな顔をしているのだろうか。

これは間違いなく私の本心。
だけど、詭弁だ。

もしシャルや旅団の皆が殺されたとしたら、私は今と同じ事をきっと言えない。
当事者じゃないから、言えるの。
でもだからこそ――、当事者じゃないからこそ、言ってあげられる事でもある。

「ーーーっ、それは、フレイヤの大切な人が生きているから言えることだろう。
私はそうは思わない!私は同胞全ての命が奪われたんだ!!
私の居場所はなくなった。私の生きる目的はあの日から奴らに復讐する事だけになったんだ。それしかないのだよッ!」

悲痛な叫び。
チラチラと緋色に染まりかけている瞳に、クラピカの怒りがどれ程のものなのかを知る。

本当に...私は自分勝手で、残酷だ。

クラピカの怒りを真正面から受け止め、それでも私の言葉は止まらない。

「ゴンは?キルアや、レオリオ。彼らは、クラピカにとっての大切な人にはなり得ないかしら?
人は、どれだけのものを喪っても必ずまた新しく出逢うのよ。
その人が誠実な人であればある程、ね。」

私がそうだった。
まぁ、誠実かどうかは分からないけど、でも私はビスケとウィングさんに出逢えたもの。

出逢わなければ、今の私はなかった。
だから私は前を向けるのだ。
あの日の出来事は私に必要だったのだと。

クラピカの同胞が皆殺しにされた事を必要だったとは思わない。
そんな残酷なことは、きっと起こってはならない事だった。
だけど、きっとそれが無ければクラピカがゴン達と出逢うことも無かったわ。

その事に、気づいて欲しい――。

「過去に囚われて今在るものに目を背けていたら、また喪ってしまうわ。
手の平から零れてしまったものがあるなら、次は零さないようにしっかりと握っておくべきよ。」

クラピカの瞳が揺れる。
しばらくお互いに目を逸らさず無言で見つめ合い、しかしそれはクラピカがぎゅっと目を閉じた事で終わりを告げた。

ゆっくりと目を開けたクラピカは、その瞳に切願の色を浮かべ私へと向き合う。
そして――、


「ならば、フレイヤ。君が、私の生きる意味になってくれるか?」


「―――え?」


一瞬、何を言われたか分からなかった。
しかし意味を理解した瞬間、私は顔を一気に染め上げ思いっきり動揺した。

「な、何言って、そんな、冗だ――っ?!」

冗談を、と言おうとして、しかしそれは思いっきり引かれた腕によって阻まれる。
バランスを崩した体はそのままクラピカの方へと向かい、そして――、


「――――っ、!?」


塞がれた、唇。
反射的に離れようとして、しかし後頭部に回された手がそれを許さない。
何度も何度も角度を変え、それは続けられる。

チュッ、という音と共に離された唇。
ゆっくりと離れていくクラピカの顔を呆然と見つめる私に対し、クラピカは真剣な眼差しで私の顔を覗き込んだ。

「好きだ、フレイヤ。」

その言葉に、今度こそ、私は言葉を失った。
代わりに溢れたのは涙で...。

「な、んで・・」

震える手で唇に触れる。
頭は真っ白だ。
クラピカは辛そうに顔を歪め、しかしそれを振り払うように首を一振りすると何処か突き放したように私を見た。

「私は、復讐をやめるつもりはない。」

冷たさを含んだ声音。
そして、そう言ったクラピカの瞳には確かな拒絶の色が滲んでいて...。
去って行くクラピカの背中を滲んだ視界越しに見つめ、私はその場に崩れ落ちた。

「「ルーエルっ!!!」」

シルフとディーネが私を支えてくれる。
力の入らない体は二人に支えられながらゆっくりと地面へとついた。
途端に体がガタガタと震え、咳を切ったように涙が零れ落ちていく。

「....っ、ぅ..ふ...っ」

必死に声を殺す。

(・・・初めて、だったのに...っ)

シャルと離れてから4年。
私は色んな事を学んだ。
そこには勿論、恋愛に関する事も含まれていて。

物語によく描かれている“キス”。

その殆どが王子様とのロマンティックなもので。
小さい頃の私はその光景に憧れ、歳を重ねていくにつれ次第にシャルと...と考えるようになった。

(恋人になった日に、私達は離れてしまった...あの日から、私の時は止まっていたのに・・っ)

ごめんなさい。

ごめんね、シャル。ごめん。
初めては貴方にって、決めていたのに...

私、守れなかった。

(――だけど、一番酷いのは、私だ。)

覆った両手から零れ落ちていく涙。
思い浮かぶのはシャルの悲しそうな顔と、深く傷付いたクラピカの顔。

(私は、私の言葉でクラピカを深く傷付けてしまった。)

あんな事をクラピカにさせてしまうくらい、私は彼を追い詰めてしまったのだろう。
ならば、これは当然の報い。

「ーーーっ!!」

泣きやまない私にディーネが勢い良く立ち上がったのを気配で感じ、私は咄嗟にディーネの腕を掴んだ。
出ない声の代わりに首を横に振って止める。
そんな私にディーネは声を荒げた。

「ーーーっ、なんで止めるんだよっ!アイツ、ルーエルを泣かしやがった!許せねぇ!」

「ま、って...ディーネ。だい、じょぶ...私は、大丈夫だから..」

そう、泣いてちゃダメだ。

私はゆっくりと呼吸を整え、心を落ち着かせる。
その時、ふわりと花の香りが私を包んだ。
その懐かしい香りに、私はゆっくりと顔を上げシルフを見た。

彼は苦笑しながら私の頭に手を置くと、気持ちを落ち着かせるようにゆっくりと撫でてくれる。
その温もりにそっと目を閉じ、私は徐々に心が落ち着いていくのを感じた。

「ありがとう、シルフ。」
「いいえ。落ち着きましたか?」
「お陰様で、ね。」

そう言って笑えば、彼は安心したように笑い目尻に溜まった涙を拭ってくれた。

「ごめんね、ディーネ。でも、クラピカのところへは私が直接行く。」
「大丈夫、なのか?」
「えぇ、勿論。クラピカに直接文句を言わなきゃ気が済まないもの。」

そう言って悪戯に笑えば、ようやくディーネも笑ってくれた。
しかし次の瞬間、その顔は申し訳無さそうに落ち込む。

「ごめんな、ルーエル。あの時、躊躇わずに飛び出してたらルーエルを守れたかもしれないのに...」

それはシルフも気にしていたことなのか、彼も目を伏せている。
そんな二人に苦笑して、私は首を横に振った。

「ううん、二人が出てきていたら余計に拗れていたわ。
これは私がクラピカと向き合う事から逃げた結果だもの。
自分で決着をつけなくちゃ。」

そう言って、グッと涙を拭うと立ち上がる。
心配そうに私を見る二人に大丈夫、と頷いてみせ、私は甲板を後にした。







 * *







ダンッと思いっきり壁に拳を打ち付け、私は先程自分のしてしまった事に対して唇を噛んだ。

(私は、最低だ――っ)

あのフレイヤの傷付いた顔が頭から離れない。
カッとなってやってしまった。なんて、まるで犯罪者の言い訳だ。

(許される事じゃない。ましてや、フレイヤには恋人がいるというのに・・・)

その事を思い出して、また気持ちが重くなる。
4年前に離れ離れに、か。
私の村が襲われたのも4年前だったな。

(そういえば、フレイヤは情報屋をしていたな。もしかして、クルタ虐殺についても知っているのだろうか...)

そこまで考えて、私は否...と自分の考えを否定した。
フレイヤには私がクルタ族である事を話していない。
ましてや緋の目になっている所も見せていないのだ。

(気付くはずがない。)

ふっと息を吐く。
先程のフレイヤの言葉。理解出来なかったわけじゃない。
冷静に考えれば、理屈はよく分かる。
でも、理屈じゃないのだよ。この感情は...。

私もフレイヤの言ったように、復讐に囚われず生きていけたら、と思う。
だが、それこそ許されぬ事なのだ。
失われた仲間の瞳を取り戻し、奴等に復讐して初めて、私は私の人生を生きられる。

「クラピカ?」

「ーーっ!ゴン・・と、キルアか。どうした?」
「どうしたって、ブリッジに行くとこ。クラピカもだろ?」
「クラピカがしんどそうに壁にもたれ掛かってたから声掛けたんだ。大丈夫?」
「あ、あぁ。少し立ち眩みがしただけだ。」

行こうか。そう言って、ゴン達と共にブリッジへ向かう。

「・・・・」

そんな私をキルアが見ていた事に、この時の私は気付かない。






「おー、クラピカ。遅かったな。
俺が起きた時にはいなかったからてっきり先に来てると思ってたぜ。」

「あぁ、ちょっとな。」

先にブリッジに来ていたレオリオに指摘され、それとなく返す。
ブリッジには殆どの受験生が集まっていた。
勿論、そこにフレイヤはいない。

「おはよーさん。早速だが今後の打ち合わせをするぜ。」
「あぁ、そうしよう。」

私は持っていた日誌を取り出し、あるページを開いた。

「昨日の嵐は第一波に過ぎない。今夜、第二派が来る。そしてそれは・・・」

私はゆっくりと上を仰いだ。
今は見えないが、軍艦より高い位置にある崖。
その岸壁には無数のフジツボが張り付いていた。
そこから推測される最悪の事態――、

「今夜、この海域から全てが消える。」

そう。この第二派によって海の水位はこの軍艦よりも高くなる。
そうなった場合、私達が助かる確率は“ゼロ”だ。
ブリッジにいる全員が、息を呑んだ。

ただ一人を、除いて。

「あらあら、皆さん。お葬式みたいな顔をしてますわね?」

ふふっという笑い声と共にブリッジに現れた人物に、私は目を見開いた。

「少なくとも後12時間後には海は荒れ始めます。今から海を渡れる船を探しても、ゼビル島までが約一日。その間に間違いなく波に呑まれてしまいますわ。」

ふぅ、と困ったように顔に手を添え溜め息を吐くフレイヤを誰もが注目していた。
そんな私達を一瞥したフレイヤはクスリと小さく笑い、とても綺麗に微笑む。

正直に言おう。見惚れた。

それはここにいる誰もがそうだろう。
薄らと頬を染めている男共の姿がチラホラ見える。

「皆さん、何かお忘れではなくて?私達全員が無事に逃げられる頑丈な船を、私達はもう手に入れてるんですのよ。」

どこか悪戯に笑う彼女に全員が首を傾げる。

―もう、船を手に入れている?

そんなはずはない。
この当たりには難破船しかないのだから。

ザワザワと受験生が疑問を口にする中、あーーーー!と一際大きな声が部屋に響いた。
見るとそこには笑顔のゴンが分かった!と手を打っている。

「これだよ!この船がある!!」

「ご名答。」

ホテルになっている軍艦船を指し示すゴンに、受験生達の声に希望が生まれた。

「この軍艦、エンジンは生きてますわ。後は動かせるように整備すれば宜しいかと。」
「よし!船の状態を調べるんだ。1時間後にまた落ち合おう。」

ハンゾーの言葉で周りの受験生達が一斉に動き出す。

「クラピカ、この船の操作について調べたい。操舵室に行こうと思うんだが、一緒に来てくれないか?」

あぁ、分かった。と言おうとして、それは横から聞こえた透き通った声に遮られた。

「それなら私が。職業柄そういう機械には強いの。
ハンゾーは・・そうね、砲弾室の方を調べてきて欲しいわ。
この船を切り離すのに大砲は必須。使えるかどうかで今後が変わるもの。」

「そうだな。分かった。」

頷いたハンゾーはすぐに砲弾室へと向かった。
その姿を見送り、フレイヤはゆっくりと私を見る。

「操舵室へ行きましょう、クラピカ。」

有無を言わせないフレイヤの言葉に、私は頷くしかなかった。








 * *







パタン、と操舵室の扉を閉める。
気まずそうに顔を背けているクラピカに私はツカツカと歩み寄り、そして――


パンッ!!


「ーーー!」

思いっきり、両手でクラピカの両頬を挟み込むように打った。

「私、キス、初めてだったんだから!」

次に挟み込んだ頬を、むにぃぃっと引っ張る。
クラピカの変な顔に思わず吹き出し手を離すと、クラピカは呆然と私を見た。

「なに?キス、したことあると思ってた?」

ぷぅっと膨れながら問えば、彼は慌てて首を横に振る。

「いや、違う!違う、が・・・すまない。私は、取り返しのつかない事をしてしまった...謝って、済むものでもないが...」

「そうね。私とっても傷付いたわ。4年間、彼の為に守ってきたものを奪われたんだもの。」

キッパリとそう言えば、目に見えて落ち込んだクラピカ。
そんな彼に苦笑する。

(クラピカが悪い人なら、許さないわ。だけど、違うから。彼はとても誠実で優しい人。だからこそ、謝るのは私の方...)

「だけど、あんな行動を取らせてしまうくらいにクラピカを追い詰めてしまったのは、私。
 本当に、ごめんなさい。」

そう言って、私は深く頭を下げた。

そんな私に慌てたのはクラピカで。
彼は私の肩に手を置くと、頭を上げてくれっと引き上げる。
そして目を伏せると、苦しそうに謝罪の言葉を口にした。

「違うんだ。悪いのは私だ。図星をさされ、カッとしてしまった。
あと...フレイヤに、恋人がいたということにも、動揺してしまった。」

「・・・ごめんなさい。」

そう口にすれば、クラピカは悲しそうに笑った。

「それは、先程の答え、か?」
「・・・それも、あるわ。」
「分かっては、いたんだ。会いたいという言葉を聞いた時に、気付いていた。」

そう言って、クラピカはゆっくりと目を閉じた。
そして次に目を開けた時、彼はその目に少しの冗談の色を乗せ、言った。

「私に乗り換えてみないか?悪くはないと思うぞ。」

予想外の言葉に私は目をぱちくりさせ、そして困ったように笑う。

「確かに悪くないわ。優良物件ね。だけど、私はもう住む家を決めちゃったから。
生きている間にこれ以上のものはもう見つかりそうにないの。
だから、ごめんなさい。」

私は幸せなのだと、微笑んでみせる。
そんな私に彼は参った、とばかりに大きく息を吐き、そして笑った。

「敵わないな。でも、そうか。フレイヤは幸せなのだな。」
「えぇ。」
「試験が終わったら会いに行くのか?」
「そのつもりよ。」
「そうか...では、私は試験が終わるまではアタックをしよう。」
「まぁ...ふふ。」

お互いに笑い合って、握手を交わした。
仲直りが出来て良かったと思う裏で、“本当の事”を話さずに済んだことにホッとしている私がいる。

クラピカが私に“自分はクルタ族だ”と言っていないことが、私とクラピカを繋ぐ唯一の細い糸。

せめて、そう...“試験が終わるまでは”言わないで。
・・・仲良しでいましょう。




こうして私達は操舵室を一通り調べ、時間通りにブリッジへと戻ったのだった。





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