自業自得の代償


静寂が包む廊下に、自分の足音が響く。
試合結果は、変わらなかった。


氷魔は、水地によってアリエスもその心をもズタズタに傷つけられた。竜牙と対戦したヒカルは、エルドラゴの攻撃を正面から受け、今は気を失っている。

どうすれば、良かったのだろうか。

何度振り払っても、消えるわけがない。そして分かってる、これに結論は出ないのだ。皆を守りたいと思うのに、その方法が分からない、なんて。
胸を占める真っ黒な感情は消えない。だけどこれも分かっているんだ、いつまでもこの状態でいるのは、よくないと。負の連鎖に陥りやすい頭を振り、大きく息を吸った。


「戻ろう」


エルドラゴの必殺転義により、一部損壊した会場は、既に静けさを取り戻している。明日の二回戦に向けて連絡事項があるため、皆は今頃どこかの部屋に集まっているはずだ。
ちょっとトイレ、なんて言ってまどかには先にエントランスに行っててもらったが、あまり待たせるのも申し訳ない。



よし、と意気込んで足を進めた、瞬間。




腕を、引かれた。




突然なそれに反応できず、かけられる力のまま、通路から逸れた暗がりに入り込む。
え、はっ、なんだ?!
大きく心臓が跳ね、手首に絡む指の感触に気づく。ぞわりとしたものが背筋に走り、反射的にその手を払った。すると、意外にも簡単にその手は外された。

淡く色を放つ自動販売機の光が、手の主の顔を照らしていく。
その顔を見ると、また、心臓が大きく跳ねた。


「み、水地…」
「久しぶりだね、美羅」
「そう、だな」
「ひどい恰好だね」
「…いや、それはもういいから」


な、何故水地がこんなところに?!今頃は打ち合わせのはずじゃ、と一瞬思ったが、そんなものに大人しく出るタイプではないか。そもそも、大会運営委員長が大道寺なわけだし。


その顔を見れば、嫌でも思い出す。
水地の笑い声、氷魔の泣き声、崩れていくアリエス。


分かっていたのに、分かっていなかった。私の中の水地の印象は、いつの間にか、あの暗い部屋で出会っていた彼に大きく塗り替わっていた。狂気的な側面があると分かっていたはずなのに、あの気だるげな姿がそれに変わったのを見て、その振り幅に言葉が出なかったんだ。


相変わらず、前髪でその表情は見えない。
だけど、今目の前にいる水地は、あの部屋で見た水地だ。

まるで何事もなかったかのように、さらりとしている。だからこそ、ふっと沸き上がった感情が、口を突いて出そうになった。だけどそれは、自分にも向けられてしまいそうな言葉で、情けなく飲み込んだ。


「…んで、なんで水地がここに?」
「美羅を迎えに来たんだ」
「はっ?」


一瞬、頭が真っ白になった。
え、待って、どういうことだ?そのまま顔に出てしまったのか、水地が首を小さく傾ける。揺れる髪は、僅かな明かりを受けぼんやりとした赤だった。


「だって美羅は、僕らの味方でしょう?」


………。

そ、そういうことかーー??!!!


追いついた理解に、全身に嫌な汗を掻く。水地は多分何も知らないのだろう。私がどんな経緯で暗黒星雲に来て、今、どんな状況にあるのかを。仮に知っていたとしても、それを聞かせる相手は恐らく大道寺だ。なら、変なことを吹き込まれてても可笑しくはない。な、なんだこれ気まず!!他のどんな暗黒星雲組よりも、とても気まずいし、説明しにくい展開じゃないか!!


毎日のように会っていたんだ。急にいなくなって、しかも敵側として会ったのなら、疑問に思うのも無理はないのだろう。そしてまどか、今更だけどやっぱり変装は意味なかったよ。


「いや、水地、私はな…」
「私は?」
「元々、銀河たちの……、仲間なんだ」


そう口にして、思わず視線を落とした。何に対してかも分からない気まずさに、口元が引き攣る。

沈黙が続き、水地からの返事はない。
その気まずさに耐えられず、どうしようかと思った時、「じゃあ、」と水地は言葉を続けた。


「美羅は裏切り者なんだ?」


その言葉の軽さと、中身がどうにも伴っていない。ただ、耳が痛いことは間違いないので、顔を顰めてしまう。あまりにあっさりと言った水地の心情は、分からない。何か返事をしなくてはと思うのに、肯定も否定もなんだか違うような気がしてしまって。

ただ、何か、言葉にしなくちゃ。
あっさりとしたその表情を想像し、答えを出せないまま、顔を上げた。





「……っ…」





息が、できなかった。

その顔が、あまりに綺麗に弧を描いていて。




真っすぐにこちらへ向く瞳から、目を逸らすことができない。全身が、凍り付いたように動かない。なんだこれ、知らない、こんなの知らない。上手く息が吸えない。唇が震えて、声が出せない。
あまりに楽し気に口元を歪ませる水地は、初めて向き合う姿だった。


「ねえ」
「ッ、あ、」


一歩迫る足に、反射的に下がる足。
数歩下がれば、すぐ様背中は壁へと当たり、ひんやりとした感覚が背中に伝う。近づいた顔から覗く金の目に、体が動かない。


「嬉しいなァ、これでやっと壊していいんだ」
「ッみ、ず」
「ずっと楽しみだったんだ、早く壊したいって、ずっと思ってた」


細い指が顎に絡み、その冷たさにまたぞくりと震える。視線を逸らすなとばかりに、指に力が込められる。全身に鳥肌が立つような感覚。そもそも逸らすことなんてできなくて、石のように動かない体で辛うじて息を吸うとその指が頬へと滑った。



「…君もそんな顔するんだァ」



どんな、顔をしているんだろう。
自分でも分からない。



でもそれより、ねえ、今のは何。

ずっと捉えていた水地の瞳が、急に曇ったかのように見えなくなった。その言葉が頭の中で文字としてだけ残り、もう繰り返し再生することができない。今、水地はどんな顔をしてた、どんな声だった?


この硬直を解きたくて、喉から絞り出した声が音声になる直前、





「そこで何をしている」





声が、聞こえた。


ふと全身を襲っていた圧力から解放され、声の方向に視線を向ける。数メートル先のその姿に、思わず息をついた。


「あーあ、邪魔が入っちゃった」
「そいつから離れろ!」


翼の言葉も気にせず、水地は変わらず歪んだ笑みを浮かべている。水地の体が離れた瞬間、止まっていた時間が動き出したかのように心臓が嫌に音を立てる。大きく息を吐くと、その目がまたこちらへと向いた。再び硬直する体に、伸びる腕。反射的に目を瞑ると、その手は目元にかかりサングラスが外された。

僅かに明るくなった視界で、水地は笑っていた。



「君は僕がもらうから。必ずもらうから」



そう言って落とされたサングラスを、あまりに静か踏みつけ水地はさらに暗がりへと行ってしまった。
その姿が見えなくなった瞬間、どっと力が抜け座り込んでしまった。駆け寄ってくれた翼に背中を摩ってもらいながら、何とか息を整えた。


「大丈夫か」
「う、うん…ありがとう」
「何があった?」


何が、あったのだろう。
どくどくと嫌に心音が脳に響き、何も考えられない。


視界に捉えたのは、砕けたサングラスの欠片だった。



「…、ひっ、ひどいグラサン狩りだったな」
「…お前はそれで本当に誤魔化せると思っているのか?」



翼の大きな溜息に、私も大きく、息を吸った。













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