繰り返しを


すうっと吸い込んだ空気は、思いのほか冷たくて体の中でも尚、その存在を主張する。
声に出してその全てを吐き出すと、透明無色で目の前の色に混ざり合っていった。視界いっぱいに広がる青は、そろそろ瞳まで染めてしまうような気がして、なんとなく目を閉じた。


「あーっ!美羅お姉ちゃん寝ちゃダメだよ!」
「寝てないよー」


真っ暗な中届くその声は、頭上から綺麗に響いていた。浮んできたむくれっ面は、多分現実とリンクできていると思う。興味本位で片目だけ薄く開いてみれば、まさしくビンゴだった。


「…えへへ。お姉ちゃんまだつけててくれたの嬉しいな」
「当ったり前じゃん」


やんわりと緩んだ瞳の先を追うように首をずらしていくと、左腕で存在を主張する腕輪へとぶつかった。掲げた腕から重力に従い、僅かに揺れる落ちるそれは、相棒と同じ色を優しく放っている。


「切れちゃうんじゃないかって、ちょっと心配だったの」
「そうなの?…大丈夫、絶対切れさせねえよ!」


勢いをつけて起き上がると、今まで見えた世界が一転。広がる森の緑を視界に収め、なゆの頭をくしゃりと撫でれば、花が飛ぶくらい喜んでくれた。…和むなあ。




「氷魔さんたち、そろそろ帰ってくる頃かな?」
「かもね」

ベイの森へと行った皆。
ケアトスも負傷してるし、のんびりしたい気持ちもあって村に残った選択は間違ってなかった。

そういえば、緑の地獄でひと悶着あるんだっけ。
…なるほど、氷魔君が大人になって帰ってくれるわけですね。氷魔の銀河大好きっぷりは、今日昨日でよく分かった。銀河ってば幸せ者だな。別に悪いことじゃないし、責めることも何もないけれど。


「楽しみだな…」


片肘をついた呟きに、なゆは可愛らしく首を傾げてくれた。




◇◇◇




「あ、皆帰ってきた!」
「ただいまーなゆちゃん!」


数メートル先で聞こえた声に、まどかさんが大きく手を振って駆け出していった。僕の隣では、待ち望んだ再会を果した幼馴染も手を振っている。


遠くに感じていたその横顔が、なんだか急に近づいたような気がする。もちろん、目に見えるものではないけれど。
嬉しさと恥ずかしさが混じったような、そんななんともいえない気持ちに、清々しさと同時に少し参っていた。彼女が言っていた、世界が広がったという言葉をふと思い出すと、今の僕にもそれが当てはまるのかもしれない。



結局僕は、全然子供だったんだな、なんて。否定はしない。子供の独占欲でしかなかった自分の言動一つ一つが、鮮明にぽつりぽつりと浮んできて、頭を抱えたくなった。

銀河、そしてキョウヤ達。それぞれでしか立つことのできない立場の境界線がすっと外されて、嬉しさと空しさみたいな何かがぐるぐるとしていた。
それでも嬉しいと感じたあの瞬間は事実だから、きっとこの変化は悪い方へは向かわないのだと思う。


「おかえりー」
「美羅聞いてよ!あのね」


まどかさんに頷く彼女も、昨日より少し穏やかに笑ってるように思える。


「……。」


一連の出来事で、気づかされてしまった事実がもうひとつ。

正直に言ってしまえば、あれなのだ。そう、あれ。
きっと彼女の笑顔を守れるのは、自分だけなんじゃないか、なんて思っていた。……妄想もいいところだ。
全てでなくとも、誰よりも彼女の事情を理解しているからこそ、一番近い存在であると思っていた。いや、思いたかったのかもしれない。


だけど銀河達の側にある笑顔は、何も変わらなかった。むしろメンタルまで益々強くなって帰ってきたではないか。

嬉しいような、寂しいような。

なんだか今日の自分は、矛盾した感情に飲まれてばかりな気がする。
思わずこぼれた溜息も、今となっては後の祭りだ。



「ただいま、美羅さん、なゆ」
「おかえり」
「おかえり!」


だけど、やっぱりその笑顔が変わっていなくて良かった。

その微笑みを見てしまえば、ああもう、なんかどうでもいいや。
座り込む二人に、吹き出すようにこちらも笑ってしまった。いろいろと考え込んでた当て付けなのかもしれない。なんだか糸が切れてしまった。


「氷魔さんどうしたの?」
「いえ、なんでも」


見上げる表情が、ニヤリと綺麗に孤を描く。



「何か良いことあった?」



肩に残る、嬉しい重み。



「はい。とーっても良いことが」



うん。今日は、とってもいい日だ。






◇◇◇






「もう行くのか?」
「ああ!まだまだ沢山いる、すっげーブレーダーと出会わなくちゃな!」


日が暮れ。
夜が開け。

すっかり太陽が昇りきっている今、古馬村から街へ戻るため村の出口まで来ていた。名残惜しいけど、また帰ってくるし。今度はちゃんと道も覚えたからな!一人でもバッチリだ!
今更だけど、久々に行った自分の部屋は埃一つもなくぴかぴかで…………氷魔さん、これからもいろいろ頼みます。

「気をつけてな」
「おう!」
「ありがとね、ワンちゃん」

どっと笑いが起きる中、見送りに来てくれたなゆが小走りで駆け寄ってきたので、何気なく屈むとこっそり耳に言葉が転がってきた。


「あのね…内緒だけど、美羅お姉ちゃんがいなくなってから、氷魔さんすごかったんだよ」
「何が?」
「なんかね、魂が入ってなかった」


想像して、止めて、もう一度想像して、吹いた。嫌だなあ、照れていいもんなのかなこれ。大げさにリアクションを取るなゆの頭に軽く手を置いて、自分よりもずっと小さいその耳に同じようにひっそりと囁いた。


「じゃあ、なゆに任せるよ。あいつ等のこと、よろしくね」
「うん!」


にししっと、二人だけの内緒だ。


「じゃあ、いろいろありがとう」
「世話になったのう!」
「また来るから!」


街へ戻ったら、ハンバーガーを食べたい。現代っ子で何が悪い!!
じゃあ、行きましょうか。三日振りの都会へなんて笑い話が出た時、ふと氷魔に呼び止められた。おっ、と顔を向け、小さな手招きに引かれすたすたと。


「どした?ひょ…まああああ???!!!」


あとほんの数歩ということろで急に腕を引かれ、見事にその胸にダイブする。ケンタとベンケイの曖昧な叫びを耳に捕らえ、状況を理解して反射的に離れようとしたけど結果はノーだった。急激に熱くなる体温と、し、心臓が!!大丈夫かおまっ!!


「ひょひょひょひょまさん??!!チキンへの挑戦状ですか?!何なんですか?!?!」


一言一言がかなり喉を痛めて、口が上手く動かない。恥ずかしさと羞恥心と極度の照れが全身を支配してだらだらと汗が、って全部一緒だとかもうツッコむ余裕すらない。


「放せ氷魔あああ!!」
「何言ってるんですか美羅さん!」
「はい?!」
「家族がしばらく会えなくなるんですよ…?!それなに、抱き合わずにいられますか?!家族なのに?!」
「え、あ、は」
「つまりこれは、当たり前のことであって、まっったく恥ずかしいことでも照れることでもないんですよ!!」


きりりっ。
そんな効果音がつきそうなほど、真剣な顔だった。もう既に上がりきってしまった熱が、体中をぐるぐるしていく。なんだこれ、恥ずかしすぎる。……いや、待てよ。そうか、そうなのか!!"まっったく"なのか。もしかして、こんな恥ずかしがってるのは私だけ?いや、私だけ?え、何それやだ恥ずかしい。自意識過剰もいいとこじゃね?そうか、そうだったんだ…!!!


「なるほどなああ!!私も寂しいぞ氷魔ああ!!」
「美羅さあああん!!」
「「止めろお前等」」
「いでっ!!」
「銀ちゃん痛い…」


相変わらず、キョウヤの鉄拳は素晴らしかった。
銀河に何やらがみがみ言われる氷魔を横目に、なんで私までという呟きは、荒ぶる獅子からのさらなる一発を意味していた。普通に痛い…!!












「じゃあなー!!」

その声で、村を背にした。
広がるのは、変わらない緑、緑。ふと、一人で駆け出したこの道を思い出した。何だか随分と、自分自身が小さかったように思えてしまう。

くるりともう一度、Uターン。

「氷魔、なゆ、監督!」

数歩先にいる皆には聞こえない。それでも、ハッキリとした響く声で。


「いってきます!」


今度こそ進みだした先には、やっぱり皆がいて。どうしようもなく嬉しかった。



20110412








×