届かない底まで



しんと静まり返った部屋に、ぐずぐずと鼻を啜る音が響く。取り敢えず差し出したティッシュだけど、もう既に空だった。


「そうか…お前にもそんな辛い過去がのう…」


がしっと肩に置かれた手には、思いのほか力が入っていて引き攣った笑みを浮かべてしまった。いや、それは言いすぎだよベンケイ。

夜も更け、結局皆で氷魔の家に泊まることになった。
布団の場所決めの流れから枕投げまで発展していった空気は、今となっては嵐の後の静けさ。未だ握り締める枕が、妙に心地よくて手放せなかった。


「なるほど、ねえ…」
「記憶かあ。そんなの、想像もできないよ」


氷魔がこの場にいないのを良いことに、上手く言葉をまとめられた気がする。今の私は、あの湖で記憶を失って倒れてた私だ。空の下りは当然カット。ありきたりすぎた嘘も、今となっては私の真実と化してきていてる同然で、なんとも言えず苦笑いを浮かべてしまった。


「…まあ、銀河とかと初対面だったってのは、そういう理由だよ」
「なるほどっ」
「それで、何か分かったこととか…あったの?」


あるわけないんだよなあ。
まどかの純粋の瞳に、「うっ」と倒れこみそうなのを堪える。いろんなことがありすぎたせいか、もうヒヤヒヤとはしなかった。
何気なく見やった天井に取り付けられたライトは、ぼんやりと光が揺らめいている。なるべくそれを見ないように、ニカッと頭を掻いて。


「全然かなあ」


いつからだろう。話の内容はともかく、いつの間にか嘘をつくことへの躊躇いはなくなっていた。
塗り固めたすぎた色。元の絵は何だっけ、気にするとこもなくなるくらい、当たり前に摩り替わっていた武器を手に、ずっと手放せずに、振りかざしている。

「でも、別に寂しくもないし、悲しくもないさ。今十分に楽しいし」
「能天気な奴だぜ」
「楽しけりゃいいんだよ」

ぐっと突き出したブイサインの二本指。すらすらと口から出る言葉の意味を、あまり自分でも理解していないかもしれない。混ざり合いすぎて、逆にスッキリしちゃったり、ね。


「なっ?」


そう笑えば、皆も小さく笑みを零した。


「力になるわよ、私達」
「ああ!一人で探すより、皆で探した方がすぐ見つかると思う」


見つかりもしない。
探す気もない。

そんなものを、捕まえようとしてる。そんな我が儘がどこまで通じるのか、いつまで通じるのか。騙せるのか。

「サンキュ!」

繋げるのか。





◇◇◇




「がー…」
「むにゃむにゃキョウヤさん…」


小さく声が重なっていく中、口を閉じ真っ直ぐな暗闇へ。窓から差し込む月明かりに口元を緩め、覚めきっている目を二、三回瞬き。

枕投げ二回戦で乱れた室内の家具を踏まないよう足を動かし、薄く開いた扉の明るさに向かった。


「あ、起きてた」
「なんだ、起きてたのか」


自然とリビングへ足を進めれば、北斗と氷魔、それに眠りこけているなゆの姿があった。
氷魔が何気なく机上の荷物をどかしてくれたので、流れるまま向かい側に腰を下ろした。


「なゆ、寝ちゃったんだ」
「遊び疲れたみたいです」


机に伏せ、規則正しい寝息を立てるなゆの髪を静かに撫でていると、見慣れた愛用のマグカップが目の前に置かれる。


「ありがと」
「いえ」


頬杖でニッコリと微笑む表情にそう言ってしまえば、改めて懐かしさを感じずにはいられない。口にしたそれは、ほんのりと暖かくて胸の真ん中あたりを通っていった。

「どうだったんだ?」

唐突に切り出された北斗の言葉に、ピンッと頭の中で何かが光ったような気がした。言いたいことはが沢山ありすぎて、どれから手をつければいいか。


「すっげえ楽しかったよ!あれさ、皆と初めて会ったのはさ――」























「なるほどな」
「なっ!笑えるっしょ!」

思い出す限りの経緯を話しても、正直まだまだ言い足りないくらいだ。小さく笑い声を零す北斗の横で、氷魔がお茶のおかわりを用意すると言い席を立った。

「とにかく、元気そうで良かった。いろいろあったみたいだしな」
「そりゃあもう!」

思わず身を乗り出してしまったために、北斗にべしっと額を小突かれてしまった。それさえも嬉しくて、思い出すように次々に話したいことが後を絶たない。


「変わらないなあ、お前も。銀河も」


私はそうとしても、銀河もなんだ。銀河の昔のことなんて、一握りしか知らないもんなあ。いつか聞いてみたい。にししっと笑って、視線を上へと上げた。


「すっげえいろんなものを見た。なんて言うんだろう、世界が広がったっていうか…なんでもできそうな気がした!」


実際そうだ。私にとって"ここ"しかなかった世界が、色を持って広がった。待ってたって来なかった、何かを掴んだ。いろんなものを蹴飛ばして、いつの間にか不安もなくなって。少しのことじゃ、動じなくなった気がしなくもない。根がチキンなのは変わらないけれど。まあ、それはそれだ!


「そうだな」


ゆっくりと微笑む北斗の表情から、見逃さなかった一瞬の違和感。何か言いかけた仕草も、気づかないわけがない。

あ、と息を呑む。

言いたいことが分かってるから、私も何を言えばいいのかを分かってるわけで。それをどう伝えるかっていうのは、自分にしか分からないことで。


ハッキリとした結論を、先に言ってしまうのがいいだろうって思った。


口にするだけなら意外と簡単だから。
緩んだ口元をそのままに、すっと息を吸った。



「ばれたよ、暗黒星雲に」



直後に聞こえた、がしゃんという何かが割れる音。思わず視線を向ければ、対面式のキッチンで氷魔が視線を落とし固まっていた。北斗も似たような感じだった。


だから私は、笑うんだ。


「写真撮られてた。誤魔化しようがない」


不思議と落ち着いていた。
冷静になって考えると、アイツらがこのことを公言する可能性は限りなく低いと思うんだ。本当に私が持つ何かを欲しがるなら、むやみに情報を公開したりしない。

…バカだよなあ、何も持ってやしないってのに。

頬杖で浮かべた苦笑いに、北斗が静かに息をついた。氷魔と共に向けた視線は、その口の動きを見つめる。


「それで暗黒星雲は、なんだって」
「研究対象だってさ。ちっとも笑えない」


ひらひらと手を振ると、北斗はまた顔を伏せてしまった。
そんな顔、させたかったわけじゃないのに。だけど、黙ってた方が良くないんだって、なんとなく分かっていた。


「ごめん」


夜の静けさが戻ってきた。
二人がどれだけ怪しんでたのか、知ってる。それと同じくらい、どれだけ守ってくれてたのかも、よく知ってる。結局私は守りきれなかったんだ、それを。

身元が分からない、怪し気な少女。
突如空から現れた、異様な存在。

その本心を聞いたことはない。
だけど、その温かさに甘えていた自覚はあるんだ。


「お前が謝ることじゃないだろ」
「…知ってる」


仕様がねえじゃん。それで収められることだ。だけど、それじゃ駄目な気がして。何に対しての謝罪なのか、正直自分でも境界線が曖昧だった。


「だからさ」


全部、捨てない。



「強くなるから。自分のことも、皆のことも守れるくらい、強くなるから」



ぐっと握った拳から、もう何も零さない。つまんねえことは言わない。もう十分分かってる。

守るために、戦って勝つしかない。

そして、不気味だろうが異質だろうが、自分自身を否定しないためにも。
内側からも外側からも容赦なく責め立てる何かに、向かい合うには強くなるしかない。自然と上がった口元は、心からの思いだ。



「負けないよ。もう」



綺麗に並べすぎたくらいでいいんじゃね。本当にやりたいことなら、絶対に捨てたりしない。


「…これだけは言わせろ」
「ん?」


僅かに表情が緩んだ北斗に、ちょっと安心した。小さく首を傾げて言葉の続きを待つ。


「何を言われたかは分からないが、お前はお前だから。俺たちはよく分かってるから」


ひとりじゃないぞ、と。


ひとりになりたいなんて、思わないんだ。一番怖いことは、紛れもなくそれだから。だけど、もしかしたら避けられないことなんじゃないかって。

どんなに足掻いたって、突然とか急とか、そんな言葉で全てがまとめられてしまうんじゃないかって。



「…怖いな。幸せすぎていつか痛い目見そう」



たった一言が、私にとっての照らしだから。

嫌な想像は、その時まで蓋をして置くことにした。






20110331








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