繋がり離れて絡まって


歪む視界。


ぐらりぐらりと揺れる思考で、
視線があっちへ。こっちへ。


目の前に広がる光景に言葉が出なかった。室内へ静かに響く機械音が、耳を通り抜けていく。視線ばかりがぐるぐると動き、息をすることもできない。じわじわと体を蝕む何かが、突如抉るような不快感に変わったところで、漸くその息苦しさを理解できた。


「……はっ、」


零れるように、落ちた呼吸。
上手く力の入らない体で、一歩、前に進んだ。

なんだ、この部屋。


前も、


右も、


左も、


「…っなんで…」


今、分かった。
キョウヤは"これ"を見たんだ。

見上げた画面。分割されて映る、それぞれの映像。ボードに貼られた、写真。


その意味を、全部理解した。
全身に、鳥肌が立った。




「任務とは」
「ッ!!」
「それを遂行するために、全神経を研ぎ澄ませ…集中して行わなくてはなりません」

後ろから響いた声に、体が固まった。煩いほど跳ねた心臓が、どくどくと嫌な音を立て何度も体を打ち付ける。
この声は、大道寺だ。その理解がさらに、全身に警報を鳴らしていた。


「ですが私の部下には困った者がいましてね…写真が好きなんですよ。そうだ、丁度のその日も、彼は写真を撮っていたんです。ヘリから」


逃げなければと思うのに、足が動かない。
目の前の光景も、後ろからの声も、怖い。

カツ、とその足音がひとつ聞こえる度、飛びそうな意識が引き戻される。体大きく震えて、飲み込んだ唾が痛くて、首を絞められたように息が苦しくて。自分が今立っているのかも、分からなくなってきた。
只々得体のしれない恐怖と気持ち悪さに、体の中を何かが逆流しているような。でも、どうすることもできなくて、空っぽの頭で振り向いた。


「任務に趣味を持ち込むなど、言語道断。本当にダメな部下です。…ですがそんな怠慢が」


にんまりと笑う口元に、声が出なかった。
見ないほうが、良かったんだ。



「…こんな収穫をもたらすこともある」



そう言って見せ付けられた、私の始まり。
一気に蘇る、あの風を切る感覚。

大道寺の手には、三枚の写真が握られていた。

空に映る光。
薄っすらとした人影。
そして、


「空に現れた少女…」
「ッやめろ…」


近づく一歩に、離れる一歩。


「古馬村でお会いした時は気づきませんでしたよ。服装も大分変わっていましたからね」
「来るな…!!」
「戸籍もなければ、いくら探しても貴女に関する情報は何一つ掴めない。何一つ」
「…ッ」
「この世界で生きてきたのかどうかさえ、怪しいですよね?」


縺れそうな足でまた一歩と下がると、既に壁際まで辿り着いてしまった。こちらを覗く視線が怖い。背中に当たる冷たい感覚が、さらに全身を強張らせていった。


「だったら一体、貴女は何者で、どこから来たのか」
「……や、」
「研究者にとって、貴女の魅力は計り知れない。貴重な存在。唯一無二の研究対象」


肩に乗せられた手に、凍りつく。


「逃がしませんよ。中田美羅さん?」


部屋全体にあふれている、
"研究対象"として映し出されている私が、怖い。




「それにしてもよく来ましたね。盾神キョウヤ君からは何も言われなかったのですか?」


嘲笑うような声に、ハッと意識を戻した。
ずっと視線は逸らせないのに、思考が完全に止まってしまっていた。突如飛び出したその名前と向き合ってる現実のギャップに、心がぐしゃぐしゃに塗りつぶされていく。何か言葉にしたいのに、それが形を取ってくれない。


「彼がこの部屋に入ってしまった時には焦りましたが…まあ安心してください。彼もこれは知らないので」


突き出された写真には、眩しいほどの光が映っていた。その光を前に、耳に届くのは自分の心音と僅かな機械音だけだった。途端、目が熱くて何かが零れそうになった。
眩しく平たいその光は、今は、恐ろしいとしか思えない。


「貴女は一体、何者なんですか?」


キョウヤの言葉の意味を、漸く理解した。彼はこの部屋を、不気味なほど私で埋め尽くされたこの部屋を見たから、行くなと言ったんだ。当然だ、こんなの普通じゃない。

真っすぐにこちらを射貫く視線に、息を呑む。
どうすればいんだろう。こんなことになるなんて、思ってもみなかった。現実逃避のように、昨日までの楽しい日々が頭を過る。どうすればいんだろう。どうしてこんなことになってしまったんだろう。怖い、怖い。これは悪い夢だって、誰か、誰か、







ーー夢。


まるで、世界の音が消えたような。
一瞬だけ消えた思考に、視線を落とした。

あの写真は、見られてないのか。じゃあ、キョウヤには知られていない。一番大事な部分は、知られていない。

それは、……良かった。







「不気味ですねえ」


「…、はっ…?」
「ある意味恐怖ではないですか?貴女の存在は」


やっと吸い込んだ息が、また口零れてしまった。
束の間の安心を消し去るように、繋がれた言葉。理解したくないのか、できないのか、その中身を知ることができない。真っ白な頭で、言葉の輪郭を何度もなぞっていた。


不気味?


「異質と言いますか…異様と言いますか」


異様?


「知られたくないでしょう、彼等には」


ぐっと近づいた顔に至近距離で目が合った。だけど、目の前の奴がどんな表情をしているのかなんて、気にすることもできない。その眼鏡に薄っすらと反射する自分を、真っすぐに見つめた。

その姿が、ぐらりと歪む。


塗り固めていたものが、ぼろぼろと崩れていく感覚がした。


「気味が悪い。貴女のことを知ったら、彼らはどう思いますかね?今と同じように接してくれますかね」
「…違う」
「は?」


中を開けることもできない。
誰かの声で届いたその言葉は、ひどく不快で残酷な色をしていた。


「違うッ…!!」


大道寺の腕を力の限り掴む。ギリギリと力を込めるが、何か意味があるのかは分からない。
いつの間に息が切れてしまったのか、それ以上の言葉が出なかった。全身をざわつかせるこの感情に、頭も体も何も追いつてこない。

「ッ違う、…違う!!」

ふいに頬に生暖かいものが伝ってきた。だけど、それを拭うこともできない。
どんどん剥がされていく自分自身の何かが、怖くて、気持ち悪くて、叫びたい衝動はひとつの言葉にしか辿り着かなかった。でも、その言葉の意味を自分でもよく理解していなかった。


「そんなに怖い顔をなさらないでください。我々はただ、貴女を保護したいというだけなのですから」
「違う!!」


違う、全部違うんだ。
そう。そう言えば全部、なかったことにならないだろうか。
研究とか、秘密と、本当とか、嘘とか、不気味とか、夢とか、違うとか、同じとか。そんなことない。


「…ッッ」


ッそんなことないんだ!!!


「このままどうするつもりですか?何の目的で、貴女は今ここにいるのです?」
「五月蠅い!!」


皆に、会いたい。

おかしくなりそうだ、こんなところ。
再び襲ってきた静寂に、自分の苦しい呼吸ばかりが響いた。息が切れて、噎せ返る。頭がぼおっとして、何も上手く考えられない。力が入らない。
只、帰りたい。もうここにいたくない。


「やれやれ…まあいいでしょう。女性の涙には敵いませんからね」


私の腕を振り払い、大道寺は眼鏡を押し上げた。
自由になった両手でぎゅっと体を抱き込み、息を整える。その呼吸に合わせて、ぐじゃぐじゃになった感情が、真っ黒で不快なものになっていくのが分かった。
怖いだけではない感情が、靄から明確な揺らめきを持っていく。


「…以前の決着をつけませんか?」


聞こえた声にじろりと視線だけを向ければ、ムカツク程嫌な笑みだった。


「もし私に勝つことができたら、貴女のことは諦めます。いかがですか?」


これ以上、何も言わないでほしい。
関わらないでほしい。
触らないでほしい。


自分が一番分かってたはずなのに。
分かってるから、言わないでほしかったのに。



"その言葉"はひどく、残酷な色をしていた。



(ッ違う!!!)


明らかな挑発を、信じた。
私は、勝たなくちゃいけないんだ。
















「ほらほら、そんな攻撃でいいんですか?負けてしまいますよ?」
「五月蠅いッ!!」


鈍い金属音が響き渡る。
決定打を与えず、じわじわと攻めてくるヴォルフは、まるで狩りを楽しんでいるのかのようだった。
勝たなくちゃ、勝たなくちゃいけないんだ。勝ったら、そしたら、今日のことは全部なかったことにできる。忘れることができる。


「勝つんだ…!!」


がたがたに震える口で、一言そう口にした。

だけど、その一言を口にして分かってしまったことは、勝たなくちゃいけない事実とか、今置かれている状況とか、そうではなかった。

「……。」

負けたら、どうなるんだ?

一瞬だけ晴れた思考に、そっと口元を手で覆ってみる。触れた唇が異様に冷たくて、その冷たさにまた、張り詰めた糸が解けた。


「困りますねえ…本気を出してもらわないと、意味がないじゃないですか」


急に冷静になってしまい、逆に困ってしまった。

私、何してんの?
何のために戦ってんの?
勝ったらどうなんの?
負けたらどうなんの?

大体、今バトルをする意味ってなんだ。見逃す?なんでそんなありえない提案を呑んだ。

考えれば分かったんじゃないか。


「全然楽しくない…」


これは、罠だ。


「こんなバトル…したくない…!」


今この瞬間。狙われてるのは、ケアトスだ。


「…ほお」
「ケアトス!!」


ブレーダーの意地?プライド?
そんなの知るか!!

しかし、手を差し出してみても、ケアトスが戻ることはなく、その身をヴォルフにぶつけるだけだった。いつ以来だろう、ケアトスが自分の意志で動いている。それは、ケアトスと私の考えが大きくずれた時だ。

「ケアトス…?!」

なんで、今…!?取られてるんだ、データを。こんなバトルは続けちゃいけない。これ以上、ケアトスとあいつ等を近づけたくない。逃げるんだ。
回り続けるケアトスへと駆け寄ろうとした瞬間。ヴォルフが勢いよくこちらへ飛んできた。


咄嗟に腕で顔を覆うが、痛みが来ることはなかった。
最早限界に近いケアトスが、ヴォルフを弾いて、そして、欠けていた。


「…え」
「分かってませんねえ。貴女よりも、そちらのベイの方がよく分かってらっしゃる」
「何…が…」
「逃げる場所などないのですよ。貴女は戦うしか、勝つという選択肢しか残されていないんですよ」


もう、嫌だ。


力の入らない足で、もう立っていることもできなかった。簡単に崩れ落ちてしまって、膝から伝わる冷たさが気持ち悪い。

「ケアトス…」

呟いても、何も変わらなかった。

「…もういい」

目の前でぶつかり合うその様子が、コマ送りのように目に映る。徐々に欠けていく姿に、全身が内側から切り刻まれていくような気がした。


「もういいよ、もういいから!!」


なんで私は勝てない。
負けちゃダメなんだ、勝つしかないんだ。
なのに、なんで勝てない…!!


「ケアトス…!!」


弱い、勝てない。
そんな私なんて、守らなくていいから…!!


自分から突っ込んで、こんなことになって。勝手なバトルを呑んで。自分では何も出来なくて、大切なものを守ることもできない。結局、守ってもらってる。

全部、私が弱いから。


「勝ぢたいっ…」


そうすれば、全部上手くいくはずなのに。


守りたい、ケアトスを。
自分のことも、守れるようになりたい。



それができないから、また涙が溢れてくるんだ。



20110114








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