まあ偶には


「38度…」
「風邪だな」
「風邪だね」
「うー…」

目の前のベッドで横たわる銀河に、一言。なんとかは風邪引かないっていうのにね、ハハッ!なんて言葉を飲み込むほど、なかなか彼はしんどい状況のようだ。あれだ、腹なんか出して寝てるからだぞ。いや全く。

ベイパークでのベイトーナメント真っ最中。決勝戦を目の前にして、なんと銀河が急に倒れてしまったのだ。

「とにかく、お医者さんがもうすぐ来るから。注射の一本でも打ってもらえば、すぐ良くなるわよ」
「ちゅ、注射?!」

さーっと青ざめ、がばっと布団を被り直すその姿に、思わず吹き出してしまった。こ、小刻みに布団が震えてる…!!

「注射、イラナイ」
「何故に片言だし」

これ布団剥いだらおもしろいだろうなー…、いや、やんないけどさ、うん。

「もしかして銀河注射が怖いの?」
「やだ、格好わるーい!」
「あっはは!銀河ったら子供ー!」
「嫌いなものは嫌いなんだよ!」

というより、風邪で注射って打つのかな。あれか、新世界は何でもあり的なノリで、注射ってのは最高宝の医療器具なのかもしれないな。

「そんなに言うなら、美羅が代わりに打ってもらえばいいだろう」
「嫌だ、だって注射怖いもん」
「怖いんじゃねえか!!」

馬鹿だなあ銀河、なるべくならお世話にならないほうがいいじゃん。健康第一だよ、健康万歳。




そんなこんなで、銀河を落ち着かせ(むしろ煽っていたのは私達だが)、医者に見てもらったところ、只の風邪のようだ。とりあえず、注射は免れた。良かったね銀河、泣いて喜んでたねアンタ。


「…じゃあ美羅、ちょっとあとお願いしてもいい?」
「おう、任された」
「あ、まどかちゃん!サジタリオのことで聞きたいことがあるんだけど」
「?、いいわよ。あっちで話しましょう」


ぱたん、と音を立て扉が閉まる。二人が部屋から出て行ったのを確認して、思わずふうっと息をついた。
銀河を覗き見れば、整った呼吸を繰り返しており、すっかり眠ってしまったようだ。それをいいことにじっと顔を見つめれば、その姿はなんとなく幼く見えた。というより、可愛いなおい。眉毛引っ張りたいぞこの野郎。

「こんな少年がねえー…」

近くにあったイスに腰掛け、前のめりで頬杖をつけば、何だか微妙な気持ちになってきた。

こんなごく普通そうな…いや、十分個性的だけど。こんな少年が、あんなに辛い過去を持ってるなんて誰が想像するだろうか。
実際の年齢なんて確認したことないから知らないけど、少なくとも私よりは年下だろう。

「んー…っ」

私には無理だな。

唸ってみて、正直な感想。自分の身近な人が急にいなくなってしまう経験なんて、そうあるようなことじゃない。むしろ経験なんてしたくない。
確かにムカつく奴がいたとしても、自分の人生を変えるほど憎むなんてことは、ない。だってそうじゃん?大体旅なんて響きも、まずありえないようなことだ。

そう考えると、目の前で眠る彼が、自分よりも遥かに大人に見えてしまう。それが羨ましいとかそういうのではないけど…


「頑張れヒーロー」


にっと笑って、なんとなくその頬を突いておいた。



そうだ、今ここで銀河が風邪を引くということは、そろそろヒカルとのバトルってことか。てことは、…ケンタの出番ってわけだ。
最近ますます強くなってるケンタ。ここでまた、新しい力を手に入れる。二人のバトルが楽しみだ、ケンタの必殺転義も。

これから始まる試練と成長に、なんとなく口元が上がってしまった。








「…んっ」
「あ、起きた?」

微かに響いた声に顔を向けると、どうやら銀河が目を覚ましたようだ。

「…俺どれくらい眠ってた?」
「そんな経ってないよ。一時間ちょい」

意外にも早く目が覚めてしまったようだ。五月蠅かったかな私、ま、まさかまどかが置いてってくれたリンゴ食べたのバレたかな…?!いや、大丈夫だ。バレたって病人には負けないぞ!!

「っあー…、なんかずげえぼおーっとずる」
「銀河知ってる?それが世に言う風邪だよ」
「馬鹿にしてんのか」

なんだ、知ってるのか。だってなんか一度も風邪引いたことないでえす!あはっ!って感じに見えるじゃんか銀河って。人生は初の風邪に感動してるのかと思っちゃったよお姉さんは。
それにしても、つまみ食いはばれてないようだ。いやあ良かった、セーーッフ。

「…あはっ、なんて言わねえよ」
「エスパー…だと?!」
「全部声出てるから。つか食ったのかお前」

あらま、こりゃうっかり。次から気をつけよう。よし、次から本気出す。(ん、何か違うな?)
とまあ、そんな病人にツッコミをさせてしまったせいか、先ほどよりも疲れた表情の銀河は、寒いとか熱いとかどっちつかずなことを呟いた。

「タオル代えよっか。もうぬるいし」
「おお、サンキュー…」

銀河の頭から濡れタオルを取り、まどかが用意していた洗面器で固く絞る。よし、乗せるぞっていう瞬間。


「………美羅?」


いや、これ。どこに乗せるべきなんですか?

バンダナが非常に邪魔。いや、邪魔なんてレベルじゃないぞこれ。あれ?ちょっと待って、さっきまで一体どこに乗ってたのこれ。あまりにも自然な絵で気にもしなかったよ、おい。

「あのさ、とりあえずバンダナ取ってもいい?さもなくばタオルは乗せない」
「なんで脅しなんだ。まあ別にいいけど…」

ありがとうございます。
そう感謝して、ゆっくりとそのバンダナを外した。途中でいででっと聞こえたのはきっと空耳だろう。だって今日いい天気だもの。


「…おおー……うん」
「感想微妙すぎないか?」


念願のタオル置きを成功させ、その見慣れない姿をまじまじと見つめてしまった。髪、下がるとこんな風になるんだ。

「なんか、意外っつーか…」
「そうか?」
「うん。なんか例えて言うなら、熊が毛皮を脱いだ感じ」
「それは既に熊じゃないだろ」
「うん、違和感」
「それは直球すぎ」

普段どこぞの戦士みたく立ってる髪は、今はまるで銀河の体調を表してるかのようにへにゃりと垂れ下がっている。

「はあー…、なんかもう疲れた」
「ごめん、八割方私のせいでも許して」
「自覚あったのかお前!」

午後からヒカルと会う約束はしてるけど、それまでは暇なんだよね私!
銀河は病人だって分かってるけど、思わずいろいろとツッコミ役を任せてしまったぜ。ごめんねだぜ。


「バトルもできねえーし。本当風邪最悪だ…」
「アハハ、まあそう言うなって。偶にはゆっくり休みなよ」
「ちぇ」
「まあ私は、銀河のレアな姿が見れて面白かったけど。主に髪とか」
「お前絶対八割方それだろ」


残念十割それでしたー。というのは止めておこう。今更だけど、これ以上無理させたら申し訳ないからね。あははっと笑っておくことにした。
すると、本日何度目とも言える、ちぇー…と拗ねた声を上げた銀河は、仰向けだった体をずらし、こちらに背を向けてしまった。

「拗ねない拗ねない」
「拗ねてねー…」

若干弱くなった声に、多分眠いんだろうなと察した。医者に見てもらう前よりは随分楽になったみたいだが、まだまだ寝てなくちゃな。


「…俺の髪はそんなおかしくないぞ」
「まだ気にしてたのか」


寝言のように呟かれた声に苦笑いを浮かべれば、丁度いい具合に時計の針が動き、小さくリズム音が響いた。

「アハハッ、冗談だよ。結構似合ってる、格好良い格好良い」

そう言って振り向き時計を確認すれば、既にヒカルとの待ち合わせまでもう少しとなっていた。


「じゃあ銀河、ゆっくり寝てなね。私そろそろ……





…ん?」

「ん?」
「んん?」
「んんん?」


いや何してんだし。
振り向くと、先ほどまで背を向けていたはずの銀河が、こちらをガン見していた。その瞳は驚いたのかなんなのか、ぱちりと開いている。

「…どした?」
「いや、なんか今俺…ちょっと風邪引いてても良かったなと思った」
「?、まあ確かに偶に引きたくなるよな、マラソン大会とか」
「え…ああうん。そうだな、うん」

何故本人さえ驚いたように言うのだ銀河君。そして、顎に手を当てて自分の過去を探ってみたが、残念ながらマラソン大会はフル参加だった。

どこか納得したように言葉を繋いだ銀河は、また壁際に体を向け、今度こそ寝る体制をとったようだ。


「じゃ銀河、ちゃんと寝てろよ」
「がーー……」
「…心配いらずっと」



肩を竦め、静かに扉を閉める。
まどかに一声かけてから、私もヒカルとの待ち合わせ場所へ急いだ。





20101219








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