決心


「ふっっかああああつ!!!」

ああ、健康って素晴らしい!
包帯が全て取れた体で、思わずベットで大ジャンプをしていれば、氷魔は相変わらずの笑みで拍手をしていた。


「そういうわけで、強くなろうと思う」
「なるほど、どういう訳ですか?」


高らかに宣言した直後、見事に突っ込み。さすが、抜け目ないぞ。

「やっぱりさ、あいつらに挑むのにはもちろん、自分でも、もっと強くなりたいと思ってるんだ」

天才じゃないからさ、と言って笑えば氷魔はどこか苦笑いを浮かべた。その笑みの意味はなんとなく分からなかったが、やる気に満ちたこの心は、もう止まらない。

「そのためには、やっぱり特訓だと思う!」
「そうですね」
「だから体力付けに山道走ろうと思う!」
「山で道に迷えば、なかなか危ないですよ」
「森でベイの特訓!」
「熊とか猪とか出ますよ」
「…ス、スタジアムで特訓」
「公共物ですよー」



…………。



「ま、そんなに落ち込まないでくださいよ」

落ち込むなって…おまっ…。床に崩れ落ちると、慰めるように背中を擦ってくれた氷魔。いや、ほとんどお前の発言のせいだよ…?!

「だったら、こうしましょう」
「え?」
「森や山道での特訓でしたら、僕もご一緒します。それなら心配ないでしょう?」
「いや、なんか悪くね?」

嬉しい申し出ではあるけど。特訓っていえば、なんかこう、孤高の一人旅的なイメージあるから、合わせちゃうの申し訳ないなー…。

「問題ないですよ、最近僕も体がなまっていたので」

確かに、山のエキスパートと一緒に特訓すれば、結構レベルは上がるかもしれない。簡単には強くなれない、それなら、頑張るしかない。

「ん、じゃあ頼むよ」
「はい、頑張りましょう」

意気込んで拳を作る中、氷魔が何やらいろいろ考えていたのを知るのは、もう少し先の話。

この時は、この発言がまさかあんなことになるなんて、想像しても見なかった―――




◇◇◇



「三日前の私…、溶けろ」
「馬鹿なこと言ってないで、ほら、行きますよ」

頬が汗を伝う中、重たい足を無理やりに動かして山道を登る。

「相変わらず…汗すらかかないのな」
「慣れてますからね」

涼しく言う氷魔を見て思う。やっぱり只者じゃないぞこいつ、強え、村の人間強えええって。

「でも大分美羅さんも慣れてきたじゃないですか」
「ま、ね」
「一日目は途中リタイアでしたからね」



特訓を始めて早三日。
そう、ただ走ったり、山菜取ったり、ベイで岩砕いたり、山菜取ったり、崖上ったり、山菜取ったりしてるだけなのに。……あれ、山菜取るの多くね?これ確実な策略じゃね?


「いやいや、そんな馬鹿な」
「?」


気のせいだ、うん。


とにかく一日目は途中リタイアで、まさかの倒れるっていう悲劇。話に聞けば、氷魔に負ぶってもらって帰ってきたそうで…、情けない。
てか、実際あんな絵に描いたような特訓、聞いたときは絶対無理だと思ったけど、やってみると、人間何でもできるもんだなあ。

「基礎体力もベイには必要ですからね」
「分かってるよ」

恨めしげに氷魔を見れば、涼しい顔で返される。何がなまってるだよ、十分すぎるくらい体力あるじゃんか。

「辛い分だけ…自、信がつ、く」
「その意気です」











それから数十分、なんとか山頂まで登り切り、どっと息をつく。

「ちょ、っと、休憩…!!」

さすがにキツイッ…!!大きく息を吐いて肩を降ろせば、続けて肺に冷たい空気が入り込んでくる。なんとか呼吸を整えて顔を上げれば、広がる青と緑は、まさに絶景だ。


「綺麗だな…」


こんな大自然、見たことなかった。広大とか、美しいとか、いろんな言葉が出てきても、どれも物足りなく感じてしまうくらい、目の前の景色に圧倒された。こんなに綺麗な場所が、この世界にはまだ沢山あるのだろうか。こんな、夢みたいな世界が。

私が見ているのは、切り取られた世界じゃない。あの森の先に、空の先に、まだ世界が広がっている。


「いい場所ですよね、ここ」


その声に振り向けば、氷魔の柔らかい髪が小さく風に踊っていた。


「氷魔はさ、なんでベイしてんの?」
「え?」


なんか、急に聞きたくなった。只の興味みたいなもんだった。そもそも理由なんてあるのかな、いらない気もするけどさ、別に!
静かに風が吹く中、氷魔の声が凛と響く。

「理由なんてないですよ。ただ、好きだから、ですよ」
「……だよな!」

うん、私も一緒。一つ一つのことに、いちいち理由なんてつけてたら、それこそ面倒くさいよな。





◇◇◇


少し先の様子を見てきますね、と氷魔がこの場を去ったところで、ごつごつとしと岩場に寝転がり、空を仰ぐ。ちぎれちぎれの雲が只ゆっくり流れていた。見渡した景色は変わらず、未知をひらつかせている。


外、か。


「美羅」
「ん、あっれ北斗?」


突如自分にかかった影。首だけ動かして見れば、上から北斗が覗き込んでいた。珍しいな、北斗がこんなとこにいるなんて。

「特訓中じゃなかったのか?」
「休憩中ー」

そうか、とだけ短い返事があり、また静寂が戻ってくる。澄んだ空気を思いきり吸い込むと、それを吐き出す前に、北斗が口を開いた。


「外」
「え?」
「外、出てみたいんだろ?」
「なっ…」


ドキリとした。いや、きっと気のせいだろう。


「全然、ここで幸せだし」


ほら、ちゃんと言えたし。


「気づいてたぞ」
「え…?」
「お前が村の外を見たがってること」
「そ、そんなことねえよ」


なんだ、それ。そんなこと、思ってない。
そう思ってもう一度口にしようとしたのに、何故か言葉が出なかった。村から出たい?そんなこと思ってない、本当だ。だって、そんな我儘…。……ん?いや、我儘ってなんだ?それじゃまるで、まるで、


「それでも、村から出たくもないんだろ」
「……っ」



否定の言葉なんか、出なかった。
大正解、だった。



「言ってみたらどうだ」
「…や、それは…」
「家族、だろ」


向けられた目があまりに優しくて、思わず溜息が零れてしまった。そして、その優しさに気づかされた本音が、あまりにも簡単に言葉になってしまう。


「村、出てみたいんだ」


部屋で寝込んでる時から、ずっと考えていた。甘えすぎてた気がするんだ、"異質"に"記憶喪失"に。

自分はイレギュラーな存在だから、記憶喪失という体で、今この場にいることを許してもらえている身だから。余計なことはしなくていい、しちゃいけない。なにより、大好きなベイを思いきりできたんだ、こんな嬉しいことってあるか。これ以上何を望むんだ。



知ることから逃げていたかもしれない。


目の前に広がる夢を、夢のまま続けていくために。



だけど、この世界で過ごして本気で笑って、本気で怒って、本気で泣いて。
気づいてしまった、私はちゃんと、ここにいる。


まっすぐに伸びる、大好きな物語。
ねえ、欲が出た、なんて。

生かされるんじゃなく、

ちゃんと、生きてみたいなんて。



「この世界、見てみたいんだ」



こっからは完全なる我が儘。
それでも、見てみたいんだ。実際に見て、話して、触れて、大好きになった世界でもあるのだから。それは本当だから。


「いろんなブレーダーと戦ってみたいとか、街を見てみたいとか、…暗黒星雲ぶっ潰したいとか」


考えれば考えるほど、止まりはしない。


「それでも、皆と離れるのは嫌…なんだ」


だけど、それとこれとは話が別だ。古馬村はとても優しい場所だ。疑いの目はあったにも関わらず、私を受け入れ一員として接してくれた。そんな優しい場所を、離れることはとても怖い。なんだか、もう氷魔やなゆ、北斗と会えないんじゃないかと漠然とした不安に駆られてしまう。そして、折角の好意を踏みにじってしまうようで。



何だかんだで、行ったり来たりの思考の繰り返し。

太陽を隠す雲が流れて、またかかって、流れて。
北斗は、只黙って話を聞いてくれた。破片ばかりが飛び散って、答えが形にならない。結局私は、何がしたいんだ?自分でも分からない。


「…それで、悩んでるのか」
「……うん」


絡まない視線のまま返事をすれば、言いようのない溜息が漏れた。


「記憶、戻ったのか?」
「いや、まったく」


ほら、また嘘をついた。



「…いろいろと言いたい事はあるが、まずこれだけ言っておく」


何を言われるのか疑問に思い、少し体を起こす。


「馬鹿者」
「ばっ…」


予想外の言葉。そして、頬を叩く小さな手。(…いや、足?)別に痛くはないけど、その行動に"?"を飛ばせば、北斗は再び溜息をついた。


「お前の事だ、どうせまた遠慮とかしてるんだろ」
「別に遠慮なんて、」
「してるんだよ」


言葉を遮られ、思わず黙ってしまう。


「お前がそれを言って、怒る奴なんか誰もいない…寂しがる奴はいるがな」


一人の少女の顔がちらつく。最近、笑顔がとても増えた。その笑顔が増えるほど、離れがたくなる。やっぱり、嫌だ、寂しい。



「難しく考えすぎじゃないのか。帰りたくなれば、帰ってくればいい。只それだけのことだ」
「…そうかな」
「記憶はなくても、帰る場所はできたろ」



帰る、場所。



「決意なんてそう簡単に固まるものじゃないぞ。今見ないで、いつ見に行くつもりだ」


「自分で感じたことを大切にしろ、誰も責めやしない」



視界を埋める温かさに、
光が滲んだ。



「あとはお前がどうしたいかだ、美羅」



誰にも、言ってもらえないと思ってた。
その選択をしてはいけないと思っていたから。
考えすぎだって?分かってるよ。だけど、その言葉を誰かの口から聞けることを、こんなに望んでいたなんて。


「北斗」
「ん?」
「ごめん、ちょっと、ひとりで泣く」
「…ああ」


足音が遠ざかる。


あとは、私がどうしたいか。

いいんだよな。
私という存在を、残してもいんだよな?


何度も零れる粒は、笑っちゃうくらい暖かった。



◇◇◇



「分かってるだろ、お前も」
「…。」

背を預けていた岩から離れ、彼の前に姿を現す。

「支えてやれ、氷魔」

僕は何も言えずに、その場にいることしかできなかった。



◇◇◇





進める、足。


「!、帰ったのか」
「北斗」


闇の中、微かに星が瞬いていた。

ひとりじゃない、皆がいる。家族が、いる。
嬉しかったんだ、偽りはないよ。だから、裏切りじゃない。


いつか、この選択を後悔する日が来るんだろうか。
でも、きっとそんないつかも、笑って、消し去って見せるから。


迷いのない、一点の光


「私、村を出るよ!」



綺麗な笑顔だった。



20100812








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