外れてほしい


窓に当たれば、それは小さな音を立てて跳ねていく。静寂な空間に広がる、静かな雨音。窓から覗き込んで見た空は薄暗く、どこか涼しさを感じさせるものだった。


「…いない」


進めた足は、あるひとつの扉の前で止まる。軽くその扉を二度叩いても、聞こえてくるのはかすかな雨音。
小さな溜息をついてから踵を返し、外へと繋がる扉を開ける。独特の雨の香りが広がった。


「美羅さん」


扉を開けすぐに見つけた後姿。振り向いた彼女の様子を見れば、しばらくそこにいたことは明らかだった。


「氷魔!どーした?」


髪から滴る雫を気にすることもなく、満面の笑みを僕に向ける彼女。

「どーしたじゃないですよ。風邪引きますよ?」

そう言って視線をふいに下へ向ければ、彼女の足元で駆け回る…(ああ、なるほど)

「いやーなんか雨と相性いいのかさ、こいつがいつもより楽しそうでさ!」

思わず、ね!!なんて言ってのけ、彼女はケアトス同様楽しそうに微笑む。
こんなやりとりをしたのも何回目なんだろう。それで美羅さんが風邪でも引いたら、意味ないじゃないですか。



あの時からずっと、自分の中にある疑問。

今でもそれは解けることなく、ずっと胸に留まり続ける。それなのに、明らかにあの時から、彼女、美羅さんを見る目が変わっていることに自分でも気づいていた。
初めてバトルをした時、正直、彼女の力は決して強くなかった。それに安心して、思わず気が緩んだ自分がいたのも事実。戸惑う彼女を見れば、彼女と暗黒星雲との関係なんてとても思いつかない。

いいえ、それでも油断は禁物。まだ安心してはいけない。

そう思って見た彼女は、先ほどとはまったく違う顔つきで。相手を怯ますというか、気迫というのか、明らかに変わっていた。でも、そこに感じたものは、恐怖でも危機感でもなく、純粋な驚き。

アリエスとぶつかるケアトスの姿は、彼女にも見えていた。戦いながら成長した、といことだろうか。あの姿は美しかった、本当に。


本気で、バトルをしてみたいと思った。今とは言わず、次でもその次でも。だけど、その考えが自分の首を絞めていることに気づく。彼女が暗黒星雲の一味なら、強くなってしまっては困るのに。僕は何言って…。


それでも、微かな期待が胸に降り注ぐ。

彼女は、暗黒星雲なんかじゃない
ただ一人の、普通のブレーダーなんだと。


試合が終わった後、彼女の見せてくれたあの笑顔は偽りなんかじゃない。漠然と信じている自分が、ひっそりと心にいた。そんな空想をかき消すように、鳴り響く警報。過ぎる不安。


その油断がまた、大切な人を奪うんじゃないか――


想像したくはない。それでも、彼女の仮面が外れ沈むその姿を嫌でも想像してしまう。それに何も感じなかった自分は、もういない。

彼女と過ごし
彼女と笑い
彼女の笑顔
彼女の思い

時折見せる、寂しげな表情も。
共に過ごした時間は、まだまだ短いけれど、


(信じたくなりました。)


自分では、勘が鋭いほうだと思っていた。それでも、今だけは思う。自分の不安が生み出す予感、どうか外れてほしい、と。





「…氷魔?」
「たまにはいいですかもね、こういうのも」


そう言って屋根の下から一歩出た自分に、冷たく染みを作っていく雨を今は少し嬉しく思う。そのまま不安も滑り落ち、何事もなかったのようにいつかは消えるものだと。自分には珍しく、随分と都合の良いように考えていた。降り注ぐこれは、もしかしたら不安の数かもしれないのに。


「…だね!いいかもね!」


そう言って両手を広げる彼女は、雨を止ませてしまうんじゃないかと思うくらい、とても輝いていた。




釣られて頬を緩める。

そして自分の期待が、少しずつ、空想から確信へと変わっていくことを祈った。




20100611








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