どうしようもない僕たちは 月が綺麗な、運命の日。 歩き慣れないヒールの音が、嫌に耳に障る。 携帯の画面を確認すれば、約束の時間は迫っていた。責任感に急かされスピードを速めるが、反比例に心はどんどん沈んでいく。そのうち止まっちゃうんじゃないの?これ。そう思える程に弱っていく内側を知りながらも、できることは何もなかった。 ショーウインドウに映る、整えられた美しい姿。 私はこれから、結婚の申し出を受けに行く。 ーーなんでこんなことになったんだっけ? あまりに盛り上がりの少ない一連の流れは、思い出すことすら困難だった。 友人に紹介された男友達。 趣味が合い、意気投合。 特定の相手がいない同士。 じゃあ、付き合ってみようか。 別に嫌じゃないから。そうしてなんとなく続けていた関係が、いよいよひとつの決断を迫ろうとしていた。 何か不満があったわけじゃない。けれど、一週間前の申し出に私は即答できなかった。だけど、まあ、受けるべきだよね、絶対。 覚悟を決めて今日の迎えたはずなのに、私の心はガタガタだった。格好ばかりが立派で。 いいのかな、これでいいのかな。 一歩一歩と踏みしめる毎に、降ってくる言葉。これって後悔なんだろうか。 思わず立ち止まってしまうと、向かいから歩いてくる人は迷惑そうに私を避けていく。ごめんなさいね、と思いながらも足は固まったままだ。 すると、小さく携帯が鳴る。 画面に映されたメッセージに、思わず顔を上げた。 「苗字」 「……宇海」 目の前にいた宇海は、相変わらず嫌味なくらい綺麗な笑顔を浮かべていた。 「派手に失敗したなあ、お前」 「なんの話?」 「なんで俺に相談しなかったの」 ぐっと、口をつぐんだ。 全部分かってると言わんばかりな、その表情に。 かつてのクラスメート、宇海零は不思議な人物だった。多分私たちは、所謂仲良しという間柄だ。 宇海が高校を中退した時も、大怪我をして再会した時も、変な世界に入り込んでいった時も、何故かこの関係が崩れることはなかった。偶に連絡を取り合って、なんてことない会話をして、じゃあまたねと別れる関係。 運命の日に登場するには、あまりに場違いじゃないだろうか。 「お前ずっと言ってたのにな、少女漫画みたいなドラマチックな恋がしたいって」 「…いつの話してるのよ。あれから何年経ったと思ってるわけ」 「確かに」 学生時代は、誰だってそういう夢を見るものだ。今更それを突かれて、羞恥心が込み上げる程若くもない。 そう、私たちはもう立派な大人なんだ。あっけらかんと笑う彼だって、それを分かって笑い話にしている。 「ていうか、未だに訳分かんない世界にのめり込んでる宇海に、失敗とか言われたくないんだけど」 「訳分かんないかあ」 「訳分かんないっていうか、やばいじゃん」 「あはは、否定はできない」 「神童の将来がこれだなんて、誰が想像できるのよ」 あ、と思ったが遅かった。 ぱちりと目を見開いた宇海は、少しの間をもってから再びニッコリと笑っている。 気が立っていたとはいえ、反省するべき内容だった。彼のそれとは違い、私の言葉は相手を傷つける意図を持っていた。 ああもう、最悪だ、何してるんだろう。 綺麗な笑顔に、謝るタイミングを見失ってしまった。罪悪感に思わず視線を逸らしてしまったが、恐らくそれも分かっているんだろう。 しかし、彼には珍しく「そっかー、訳分かんないかあー」と、態とらしい言葉を繋いでいる。ちくりと痛んだ良心に、彼へと向き直った。 変わらない笑顔と、目が合う。 だけど、何故かほんの少しの違和感があった。謝罪も忘れ、それを問いかけるより先に宇海が私の名前を呼んだ。 「一回しか言わないから、聞いて」 「何?」 「俺と一緒に行かない?」 「……え?」 「プロポーズなんて受けるなよ」 それは、どういう意味。 ポカンと、間抜けな顔で彼を見てしまう。言葉のままに捉えていいのか、何も分からない。けれど、何故か僅かに音の戻った心臓が、どくどくと鼓動を刻んでいる。 乾いた唇から音が零れた瞬間、ぴろん、と音を鳴らす携帯電話。カバンの中では、メッセージを受けたそれが淡い光を放っていた。 今日というこの日、この時間に私にメッセージをくれる人物はひとりのはずだ。だって待っているのだから、私を。そうだよ、ひとりのはずだったんだ。 カバンへ伸ばした右手が、誰かに掴まれる。 分かり切って顔を上げれば、宇海はやっぱり笑顔だった。 「行こうよ」 私はこの時、初めて聞いた。 「俺と行こう」 彼のこんな、泣きそうな声を。 「……一回しか言わないんじゃなかったの」 運命の日。 本当に場違いなのは誰だったんだろう。 宇海も、こんな風に泣いたりするんだ。 そんなことを思いながら、弱弱しく震えるその手に左手を重ねた。 20210606 ← ×
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