6 SHRが終わり少し時間の経った今でも、部活に行く生徒や下校する生徒で未だに廊下はざわざわと賑わっている。 教室を出る際、担任の沢田先生に3人揃って「演習室」と一言言われ苦笑いを返すしかできなかった。 「…なんで俺達がこんな…」 「…なんで?カイジさん、そんなに自分のこと虐めて楽しいの?」 「言うなアカギ!…つか、朝から思ってたけど、お前頬赤くないか?」 「…条ちゃんに散々引っ張られてね」 「一条…!?」 よほど補習が気に入らなかったのか、昨晩はひたすら条ちゃんに数学を叩き込まれた。文句のひとつでも言えばぐんぐん頬が伸びていく始末だ。何気なしに両頬を抑えてみると、なんだか未だ熱を持っているように感じてしまう。…条ちゃんは昔から容赦がない。 一条という天敵の名前を聞いたカイジは表情を歪め、その隣のアカギは興味なしとでも言いたげに欠伸を噛み締めていた。かく言う私も、昨日は遅かったから少し眠い。 「平井先生遅いね」 「いっそ来なけりゃいい」 「利根川先生来たらどうする?」 「げっ…」 時折アカギを起こしながらそんなことを話していると、ふいに前方の扉が音を立てて開いた。並んで座る三人の視線が一斉に集まったせいか、そこにいた人物は動きを止めて目を見開いている。 ここまで現実になるとは…。思わず、頭を抑えたくなった。 「零、どうしたんだ?」 「補習って、カイジさん達のことだったんだ。これ預かってきたよ」 宇海君曰く、多忙の平井先生から預かったプリントを全て埋めて提出するのが補習内容らしい。そして、宇海君はお届け役だけではなく、私たちのお助け役も任されているそうだ。 年下から教えてもらうということに、カイジは複雑そうに顔を顰めていたが、問題の難しさに負けたのか、結局涙目でお礼を述べていた。そういえば長い付き合いでしたよね。 「それでね、ここはここの辺と同じだから…」 プリントに向き合って、大分経っただろうか。爽やかな笑みで渡されたそれに、向けようにも一向に意識が向かなかった。何気なくペンを滑らせていたが、これは上手くいかないな。何が違うんだろ。シャーペンで額を軽く叩いたところで、ふと声がかかった。 「水野さん、どうしたの?」 「え」 「手、止まってたみたいだから」 「ああ…、なんでもない」 何かあったら遠慮なく言ってね、と優しい言葉をかけてくれる宇海君。悪い人じゃないんだろうけど、イマイチつかみどころがないというか…。普段じゃ目も合わないのに、こういった場面では当たり前のように声をかけてくれる。当然カイジ達は屋上での一件を何も知らないから、別に違和感も何もないんだろうけど。 宇海君って、なんなんだろう。 自分でもよく分からない疑問と、追い打ちをかけるようにやっぱり合わない計算にため息をついた。 ◇◇◇ 「終わったーっ!」 「っ!」 「カイジさん煩い」 「お疲れ様」 窓から差し込む光が茜色に染まってきた頃、カイジが大きく椅子を引き、ぐっと腕を伸ばした。突然だったそれにアカギと非難の視線を向けても、よっぽど疲れたのか気にする様子もなかった。 「ありがとな零…!お前がいなきゃ絶対終わらなかった…!」 「あはは、どういたしまして」 「カイジさんは零の答えを写してただけだからね」 「お前はその俺の答えを写してただけだろっ!」 「アンタ等なんなの」 気づかない間にそんなやり取りが行われていたのか。結局私は、例の一問が解けずに残ったままだ。やり方間違ってないはずなんだけどなー…。じっとカイジの用紙を見つめると「高いぜ?」と嫌に得意げに裏返すものだから、無言で足を踏んでおいた。 「っ…お前あと何残ってんだよ…」 「最後だけ」 「じゃあ、先にカイジさん達荷物持ってきなよ」 「零は?」 「俺はここにあるから…ほら」 「そっか、悪いな。コウ、お前鞄持ってくるだけでいいのか?」 「ん、よろしく」 「カイジさん俺のも」「お前は来るんだよ!」なんて会話を聞きながら気づく。あれ?もしかして宇海君と2人きりなのでは?引きづられていくアカギと目が合い、思わず口を開きかけたが、ぴしゃりと音をたて扉は虚しくも閉まってしまった。 「……。」 「……。」 どうしよう。 取り敢えず、問題を解くか。そう思い視線を机上に落とした。自然にというか、私のプリントを覗くために宇海君は私の向かいへと来る。少しの沈黙のあと、綺麗な指がひとつの計算式を指した。 「ここ、この計算が違う」 「あ、…本当だ」 指摘された計算をやり直すと、ばっちりそれらしい答えになった。 ありがとうと口にして顔を上げたはいいが、そこには予想外というか、予想通りというか。先ほどとはまったく違い、笑顔の片鱗も窺わせず頬杖をつく宇海君がいた。 「意外だな」 「え?」 「アンタ、そんなに勉強苦手だったんだ」 「…たまたまだよ」 毎回補習なんて受けてるわけではないし、事実だ。 「ふーん。まぁ、確かに他はすらすら解いてたみたいだし」 「どうも」 さっきまでの様な艶のある声ではない。それでも、他に間違いがないかを確認してくれているあたり、やっぱり悪い人ではないのだと思う。宇海君って、これが素なんだろうか。 「…なに?」 「宇海君とまともに話すのって、初めてだなぁと思って」 「は?」 「宇海君って、これが素?」 「…関係ないだろ」 「まぁ、そっか」 ここまで宇海君に睨まれるのは、本当に涯君のことだけなのかと、最近疑いたくなる。何度も言うが、涯君とは他人も同然だというのに。 「…別に涯君のこと取ったりしないのに」 頭に浮かんだ言葉が、意に反して口から零れてしまった。 それを聞くや否や、宇海君の大きな瞳がぱちりと開き私を捕らえる。突然なそれに一瞬驚くも、少しの沈黙の後、宇海君はゆっくりと目を細めた。 「そうだな」 「そうだよ」 「多分、それだけじゃないんだ」 「それだけ?」 「涯君のことがなくても、俺はこうだったと思うよ」 こうだったというのは、私に対する宇海君の態度のことだろうか。聞きたいと思う反面、その続きを宇海君が言わないことをなんとなく察していた。私には分からないが、宇海君から見れば、私とは相容れない何かがあるんだろう。そうは思っても、嫌な感情は湧かなかった。ただ、宇海君という存在が不思議で、掴みどころなくて。 私が一番分からないのは、宇海君という人物との距離感なのかもしれない。 そう思った。 20120304 ← ×
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