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王様気分とは、こんな感じだろうか。滑らせるペンの音が心地よく響き、遠くではセミが鳴いている。恐ろしい暑さであろうこの光も、窓一枚を通して見れば、夏だなあと趣深い気持ちになるだけだ。
人気のない図書館で、ひとり伸びをする。あまり利用したことはなかったけれど、ここは良いお休み……いや、勉強スポットかもしれない。

この広い建物内に、自分以外に数名しかないという状況は少し気持ちを大きくさせた。真ん中に堂々と陣取った自習用の大机も、利用しているのは自分だけだ。人目も気にせず思いっきり伸びてみちゃったり、息をついてみちゃったり。こういう場所だからこそ、なんだか妙な優越感が生まれる。


勉強なら家でもできるけど、ここに来たのには理由がある。
最近、机に向かっていると条ちゃんの視線がとても苦しいのだ。心配してくれる気持ちはとても嬉しいのだが、少々過保護すぎるのあの目に、私の小さな心臓は耐えられない。(…いっそ武力できてくれたほうが楽なのに)


条ちゃんが心配しているようなこと。
それは、もう絶対に起きない。


自分ではそう確信しているのに、それを伝えられないのは、納得させるだけの言葉が私には思いつかないからだ。何を言っても強がりや、無理した嘘に捉えられてしまいそう、で。
そんな私だから、どんな問いにも極力飾らず最低限で、大丈夫と答えることしかできない。


……ああ、ダメだ、良くない思考にはまってる。


完全に集中が途切れてしまったので、ペンを置いて机に突っ伏した。
公共の場でこんな大胆なことができるのも、今だけの特権だろう。ひんやりとした木の温度を頬に感じながら、思わず口からこぼれてしまった。


「……私、今結構幸せなんだけどなあ」


その言葉が切れるや否や、真横から響いた音。
え、もしかして聞かれてしまったかな。いや、流石に大丈夫かな。多少恥ずかしさを感じながらも机から顔を上げる。残念だ、ついにこの場は私だけのものではなくなってしまったようだ。

しかし、もう一度課題に意識を向けようとして、気づく。

こんなに空いてるのに、なんでわざわざ隣に座るの?



何気なしに目をやって、数秒後。



辛うじて、小さく息を吸う。




「………や、やあ宇海、久しぶり」
「そうだな?」
「………がっ、学校以来だね」
「そうだな?」
「……、夏休みだもんね」
「そうだな?」


こちらを見つめる深い青は、既に遠い思い出のようになってしまっていて、一瞬現実なのか疑ってしまう始末だ。全身から変な汗が出てきて、まわりの音が消えていく感覚。嘘だよさっきまで元気に鳴いていたじゃないか蝉たちよ。
もしまた会えたら、話せたら、その時はなんて言おうとずっと考えていた。でも、結局答えは出なくて、考えること自体止めてしまったんだ。
だから、ねえ。分からないよ。なんでこんなことになっているの。どうして宇海がここにいる。

何を言っても変わらない表情に、状況が全く掴めない。なにより、宇海があまりに笑顔で恐怖しかない。


「…宇海」


絞りだした言葉。
続きを待つように、宇海が僅かに首を傾けた。



「怒ってる…?」



その青は、初めて見た。



「そうだな」



何か意図があったわけではないが、無意識に離れようと体が動いた瞬間、宇海の右手が私を捕える。
熱いのか冷たいのか、最早感覚がないそこには、振り払えてしまう程度の力しか込められていない。逆にそれが宇海からの宣告に思えて、逃げる事は無理なんだなあと悟った。

自分の乾いた笑いが耳に届いたとき、また蝉が鳴きだした。



20201103








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