17 「え、今日も来てない?」 ああ、と頷いたカイジさんは後ろを振り返り、窓際のある席を一瞥した。アイツの机だと思われるそこには、本日使われたであろうプリントが重なっている。 夏休みに入り、一週間が経った。長い長いと思われていた講習も残すところあと三日だというのに、水野とはまだ一度も会えていない。 「そういや、お前最近よく来てるよな。コウに用事か?」 「いや、用事というほどじゃないんだ」 「アイツに連絡しとくか?」 多分、そうしてもらえるのが一番いいのだろう。だけど、そこまでしてもらうのは、必死になっていると自分で認めてしまうことのような気がして、やんわりと遠慮しておいた。 来たら教えるというカイジさんの言葉にお礼を述べ、その場を後にした。結局、今日も無駄足だった。 ◇◇◇ このままだと、水野はおそらく講習には出てこないだろう。つまり、会えるのは早くても夏休み明けか。冗談じゃない。一ヶ月近くも、俺はこんなモヤモヤを抱えていなくちゃならないのか。これが狙いだったんじゃないかと思うほど、いい嫌がらせだ。 今日こそはと思い時間をつくっていたから、午前の講習を終えた今予定がなくなってしまった。そのせいか、適当に入ったファーストフード店で何をするでもなくぼんやりとしている。昼時を少し過ぎた時間では、俺と同じように遅めの昼食を取る人や、小中学生の集まりがちらほらと見られるだけだ。 夏休みを満喫していると云わんばかりの彼らの笑顔が、今の俺には少し眩しく感じる。俺はあの頃、夏休みをどのように過ごしていただろうか。楽しかったという記憶はあるが、具体的に何をしたということは覚えていない。誰と過ごしていたかも、正直忘れてしまった。夏休みだからと改まって何かを始める気にもなれないし、今年はどう過ごそうか。 「やばい…本当にもう…どうしよう」 ふとそんな声が聞こえたかと思うと、覚えの無い制服に身を包んだ男子のグループが近くの席に腰掛けた。あれはどこの制服だっただろう、このあたりではなかったはずだ。 ピーク時を過ぎた店内ということもあるだろうが、興奮した様子の彼の話し声は耳を澄まさずとも自然に耳に届いた。 「え、なにどうしたの?」 「こいつさぁ、来る途中で中学の時好きだった女の子に出くわしたんだって」 「だ、だってまさかこんなところで会えると思ってなかったし!」 「えー、どんな子?」 こういった話題で盛り上がれるのって、男女共通なんだなぁと納得した。楽しげに話す4人組は、恥ずかしそうに顔を隠しているひとりに詰め寄っていた。思い出すと、俺は友人とこういう話はあまりしたことがない。涯君とも、こんな浮いた話はしたことがないし想像も出来ない。ぼんやりと聞き流しながら、炭酸飲料にささるストローを銜えた。 「明るくて、優しくて、すごく勉強もできたんだ……よく笑う人で、笑顔も素敵だった」 「ベタ惚れじゃねえか」 「恐れ多くて告白もできなかった…」 「ベタ惚れじゃねえか」 「高校どこ行ったか知らなかったし…聞けば良かった…」 ……涯君とこんな話かぁ。今後絶対そんな日はこないだろうなぁ。 でもまぁ、はぁ?と怪訝そうな顔をされるか、はたまた顔を赤くして押し黙るか。涯君がどんな反応をするかというのには、若干興味がある。 「お前中学一緒だろ?誰か分かんの?」 「ああ。水野さんだろ?」 「「ブッ!!」」 唐突に出された知り合いの名前に、男の子と同時に吹き出した。しかし、噎せ返った彼に注目が集まり幸いにも気づかれずにすんだようだ。 一瞬驚いたが、明らかに別人だろう。同姓なんて珍しくはないし、何より例の女の子の特徴は、水野に当てはまるものがひとつもない。 過剰に反応しすぎだ。吹き出したジュースを拭き取り、小さく息をつく。知り合いと一緒じゃなかったことに心底ほっとした。 「はぁ?!ななななんで?!」 「えー、だって皆知ってたし」 「バレバレだったのかよ!」 「え、名前は?」 「ちょ…!」 「コウ」 「ブッ!!」 今度は、俺がひとりで噎せ返る番だった。先ほどのように音が重なることもなく、誤魔化しようのないそれに思わず振り返ると、不思議そうに男の子のグループがこちらを見ていた。苦笑いで会釈をし、トレイを持って立ち上がった。突き刺さる視線も気まずいが、なによりこれ以上聞いていたらまずいような気がしたのだ。 店内を出て、思わず息をつく。 その女の子とは、本当にあの水野コウだろうか。いや、ない、絶対ないだろう。だが、同姓同名となると本人である可能性はぐっと高まってしまった。明るく…なんてあまりにも曖昧な表現だが、どちらかといえばアイツは明るいよりも物静かという表現をされるタイプではないだろうか(どちらかといえば、だけど) 足りない表情、淡々とした口調、それに…… アイツの特徴を思い出しただけ挙げていくと、わずか二つで止まってしまった。 「……。」 あの言葉は、どういう意味なのだろう。 アイツに対して、自分と近い何かを感じたことは事実である。 だけど、俺は水野コウという人物について何も知らないんだなと思った。 20141120 ← ×
|