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「おい」


この式はこの辺についていってるんでしょ。だから、ここをこう、線を引いて…点Bと交わって…。そこから垂直に下ろして、それで…あ、ここか。こことAを結んでできた図形に色を塗って……あ、はみ出した。まぁいいや、それで…えー…。


「おい」
「……。」
「おい、コウ」
「……。」
「おい」
「…っあー…そっか、だから」
「コウ!!!」
「っうおおおお…!」


突如耳元で響いた自分の名前に反射的に間抜けな声を上げ、背筋をぴんっと伸ばす。吃驚した、鼓膜が殉死してしまうかと思った。隣でくるくると回る扇風機の音にほっとしつつ後ろへ振り返り、もう一度息を呑む。うわぁ、整えられた眉が綺麗につり上がっている。随分とご立腹なようだ、条ちゃん。


「じょっ、じょっ、条ちゃいててててっ」
「あぁそうだよ、お前の大好きな条ちゃんだよ。お前のこれはなんだ?なんのためについてたんだ?さっきから何度呼んだって気づきやしねえ。使い物にならないならいっそ取っちまうか?」
「ごめんごめんよ条ちゃん」


た、大変だ、このままじゃ耳が千切れてしまう…!手を合わせ必死に謝り漸く離された耳は、鏡を見ずとも真っ赤なことが想像できる。あんまりだ、容赦がない。両耳を抑えて条ちゃんに睨みを効かせるが、なにやらその口元が動いたので大人しく両手を耳からはずした。さすがに二回も同じ目にはあいたくない。


「珍しく机に向かってると思ったら、何してんだお前」
「…テスト勉強」
「はぁ?なんの」
「期末」


「お前まだ…」と紡がれた言葉の続きは想像ができる。確かに、テスト勉強を始めるにはまだ少し余裕があるだろう。だけど、今まで遅れを取った分、甘えて入られないのだ。だって今回は、どうしてもやりたいことがあるから。いや、やらなくちゃいけないことがあるから。口は半開き、ぽかんとした条ちゃんの頬をシャーペンでつついてみると、今度は頭を叩かれた。痛い。


「お前…」
「条ちゃん暇なら教えてよ。数学、全然分かんないんだ」
「それは別にいいが…」


条ちゃんの表情は、なんだか晴れない。その理由は、なんとなく察していた。だけど、敢えて口にするのも気が引けて、誤魔化すようにぐっと教科書をつきだした。受け取った条ちゃんは教科書を一瞥、間もなく私を一瞥。そんな動きを繰り返し、何か言いたげなのは明白だった。だけど、自分から何も言うことができないのは、言葉が思いつかないからだ。


「…お前、大丈夫なのか」
「うん、大丈夫だよ」
「だってお前、それで…。いや、つうかなんで急に…」
「どうしてもね、取らなきゃいけなくなったんだ」


大分使っていなかった頭を使うのは、ひと苦労だった。それでも、ここ数日の頑張りのおかげか感覚は取り戻しつつある。徐々に理解しつつある数式は、この前のテストで失敗してしまったものだ。大丈夫、やればできる。今までだって、ずっとそうだったんだから。



真っ白なページに数式を並べ、そこから導き出される答えを書く度頭にちらつく表情。今にも泣き出しそうな深い青が、胸を突き刺してとても痛い。私は、ひどいことをしてしまったんだ。私の何が、彼をそんなに傷つけてしまったのかは分からない。あれからずっと考えていても、答えは見つからない。だけど、気づいたことがあった。私は、彼にひとつだけ嘘をついてしまっていたんだ。


「…なんだかさ、今度は知らないうちに誰かのこと傷つけちゃったみたい。嘘ついちゃったからかも」
「誰に」
「内緒。だけど、それを訂正したいから頑張るんだ」
「…で、勉強?」
「うん」
「はぁ?」


訳分かんねぇと呟いた条ちゃんは、怪訝そうにしつつも心配そうな表情をこちらへと向けてくれた。その表情を、私は知っている。多分最後に見たのは、数年前のあの日だ。そういえば、条ちゃんには心配をかけてばかりな気がする。


「条ちゃんいつもありがとう」
「…なんだその軽い礼は」
「えー…大分心込めたんだけどなぁ」


小さく笑いつつ、参考書に向き直る。
ノートの脇で淡い光を放つ携帯を開くと、そこにはシロップのかかったかき氷の写真。南郷さんが作ってくれた、という本文に良かったねと打ち、アカギの家の方向へ携帯を向け送信ボタンを押した。




20131119








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