9 「……。」 うっすらと開けた目に、光が入り込む。ちらちらと揺れる木漏れ日の穏やかさとは打って変わって、気分は最悪といっても過言ではなかった。聞こえる歓声をやたらと遠くに感じながら、氷袋を顔から離し体を起こした。 (…格好悪い) 先ほどまで赤い跡をつけていた鼻の下を指でなぞり、溜息をつく。まあ、ドッヂボールで顔面キャッチというやつだ。美心が慌てて保健室に連れてきてくれたが、そこまで深刻でないことに加え、熱中症なのか保健室が人で溢れかえっていたこともあり、校庭の木陰で休むことにした。本当は、クーラーの効いた保健室でのんびりできれば一番良かったのだけれど。そこまで我が儘は言わない。 まだ十分な冷たさを保つ氷袋を額へ移すと、ひんやりとした感触がなんとも気持ち良かった。 …ああ、なんかもう、戻るのも面倒臭いかもしれない。 自分のクラスはどの種目も順調に勝ち進んでいるようだが、正直この暑さで今から応援に戻るというのも面倒だ。…帰ろうかな。 よし、そうしよう。家の冷凍庫にあるアイスを想像し少し気持ちが弾んだところで、誰かの声が聞こえた。何気なしに振り向いたところで、無意識に、バッと全身の筋肉が強ばる。 「……あ」 「……。」 「……。」 「……ど、うかしたんですか?」 「…えっ、と…」 好き勝手に泳ぎ合わない視線を、手元の氷袋へと移した。何か言葉を選ばなくてはと思っていると、涯君はどうやら、それで答えを察してくれたようだ。大丈夫ですか、という言葉に、はいとだけ零して頷く。少しの間を置いて、涯君の右手が差し出された。 「あの、良かったこれ…」 「え」 「まだ、開けてないんで…」 握られたそれは、所謂スポーツ飲料でして。ああ、自販機の帰り道だったのかな。なんて呑気なことを頭の片隅で考えるも、事の大きさに気づいて慌てて頭を左右へと振った。それを見た涯君が、缶のイラストを一瞥し「嫌いでしたか?」と聞くものだから、それにも頭を大きく振った。 「その、悪い、ですから」 「いや、俺も別に、飲みたかったわけじゃないんで」 「え?」 「ああいや、その…」 えっと、と今まで表情の変わらなかった涯君の顔が、困ったものへと変わる。へえ、そんな顔もするんだ。何だか可笑しくて、小さく笑ってしまった。 するとどうだろうか。私の見間違いだったのだろうか。小さく弧を描いた口元は、幻か何かだったのだろうか。一瞬だけ笑ったように見えた涯君の表情を見つめ、ただ、本当に少しだけ嬉しさが溢れた。 「あの、本当にこれ、どうぞ」 再び差し出されたそれを、今度はしっかりと両手で受け取った。 「ありがとうございます」 嬉しい、な。 ◇◇◇ 少しだらけたような、それでも満足しているような。そんな空気で行われた表彰式に、残念ながら自分のクラスはどの種目も残っていなかった。アカギのバレーは惜しくも4位だったらしいが、アカギがバレー…?想像力が試されそうなので、あまり考えるのはよそうと思う。 バスケ優勝だなんて注目を集め、舞台へと登るよく知った姿は宇海だった。ああ、やっぱり運動もできるんだ。周りの歓声を受けながら、嬉しそうに、それでも凛とした宇海の姿は、まさに誰からも好かれる優等生のそれだった。 「……あ」 なんて保健室への道を辿りながら思い返していると、目の前には思い浮かべていた人物がいるではないか。 おめでとうくらい、言ってもいいはずだよね。 「宇海、優勝おめ…」 どうしてだろう。 誰もいない目の前の視界に、小さく振り向く。凛としていた背中が、今ではとても冷たく見えるような気がした。横を切った風が、冷たい。おかしいな、慣れてたはずなのに。 (こんなにも胸が苦しい) 20121007 ← ×
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