「……。」


うっすらと開けた目に、光が入り込む。ちらちらと揺れる木漏れ日の穏やかさとは打って変わって、気分は最悪といっても過言ではなかった。聞こえる歓声をやたらと遠くに感じながら、氷袋を顔から離し体を起こした。


(…格好悪い)


先ほどまで赤い跡をつけていた鼻の下を指でなぞり、溜息をつく。まあ、ドッヂボールで顔面キャッチというやつだ。美心が慌てて保健室に連れてきてくれたが、そこまで深刻でないことに加え、熱中症なのか保健室が人で溢れかえっていたこともあり、校庭の木陰で休むことにした。本当は、クーラーの効いた保健室でのんびりできれば一番良かったのだけれど。そこまで我が儘は言わない。
まだ十分な冷たさを保つ氷袋を額へ移すと、ひんやりとした感触がなんとも気持ち良かった。




…ああ、なんかもう、戻るのも面倒臭いかもしれない。
自分のクラスはどの種目も順調に勝ち進んでいるようだが、正直この暑さで今から応援に戻るというのも面倒だ。…帰ろうかな。
よし、そうしよう。家の冷凍庫にあるアイスを想像し少し気持ちが弾んだところで、誰かの声が聞こえた。何気なしに振り向いたところで、無意識に、バッと全身の筋肉が強ばる。



「……あ」
「……。」
「……。」
「……ど、うかしたんですか?」
「…えっ、と…」


好き勝手に泳ぎ合わない視線を、手元の氷袋へと移した。何か言葉を選ばなくてはと思っていると、涯君はどうやら、それで答えを察してくれたようだ。大丈夫ですか、という言葉に、はいとだけ零して頷く。少しの間を置いて、涯君の右手が差し出された。


「あの、良かったこれ…」
「え」
「まだ、開けてないんで…」


握られたそれは、所謂スポーツ飲料でして。ああ、自販機の帰り道だったのかな。なんて呑気なことを頭の片隅で考えるも、事の大きさに気づいて慌てて頭を左右へと振った。それを見た涯君が、缶のイラストを一瞥し「嫌いでしたか?」と聞くものだから、それにも頭を大きく振った。


「その、悪い、ですから」
「いや、俺も別に、飲みたかったわけじゃないんで」
「え?」
「ああいや、その…」


えっと、と今まで表情の変わらなかった涯君の顔が、困ったものへと変わる。へえ、そんな顔もするんだ。何だか可笑しくて、小さく笑ってしまった。


するとどうだろうか。私の見間違いだったのだろうか。小さく弧を描いた口元は、幻か何かだったのだろうか。一瞬だけ笑ったように見えた涯君の表情を見つめ、ただ、本当に少しだけ嬉しさが溢れた。


「あの、本当にこれ、どうぞ」


再び差し出されたそれを、今度はしっかりと両手で受け取った。


「ありがとうございます」


嬉しい、な。




◇◇◇




少しだらけたような、それでも満足しているような。そんな空気で行われた表彰式に、残念ながら自分のクラスはどの種目も残っていなかった。アカギのバレーは惜しくも4位だったらしいが、アカギがバレー…?想像力が試されそうなので、あまり考えるのはよそうと思う。

バスケ優勝だなんて注目を集め、舞台へと登るよく知った姿は宇海だった。ああ、やっぱり運動もできるんだ。周りの歓声を受けながら、嬉しそうに、それでも凛とした宇海の姿は、まさに誰からも好かれる優等生のそれだった。


「……あ」


なんて保健室への道を辿りながら思い返していると、目の前には思い浮かべていた人物がいるではないか。
おめでとうくらい、言ってもいいはずだよね。



「宇海、優勝おめ…」






どうしてだろう。

誰もいない目の前の視界に、小さく振り向く。凛としていた背中が、今ではとても冷たく見えるような気がした。横を切った風が、冷たい。おかしいな、慣れてたはずなのに。



(こんなにも胸が苦しい)




20121007








×