01



アリスという人物。
それは、とても幼く、無知で、純朴で、

そして、非常に我儘だった。


「ねーだからちょっと聞いてよ翼君」
「聞いてる聞いてる」


華やかな衣装を身にまとうアリスの前で、翼は溜息を飲み込んだ。
閑散とした大会運営本部の控室に、残された子供が二人。ひとりは本日の主役、もうひとりはそのサポート役として。
サポートとはよくいったものだ、最早これは完全なお守だろう。
目の前のテーブルには、使用用途も分からない化粧品が無造作に散らばっている。何故同じ色のものをこうも揃えているのか。翼には、以前その疑問を口にし、「全然違うじゃん!」とアリスから詰め寄られてしまった経験がある。まずは片付けろと言いかけた口は、その時の剣幕を思い出し力なく閉じられた。できることなら、話題にするのも避けたい。
口出しできない彼女の領域を一瞥し、翼の口からは今度こそ耐えきれず声が漏れた。


「だからさ、別に優勝者とだけじゃなくてさ、私も最初から参加して皆とバトルした方が楽しいと思わない?」
「運営側の意向なんだから仕方ないだろ」
「もーそれ聞いたよー。翼君ずっと同じことしか言わない」
「それは俺の台詞だよ」
「翼君なんでこんなところにいるの?」
「それも俺の台詞だよ」


つまんなーい、とテーブルに顔を突っ伏した彼女は、備え付けの小型テレビから流れる映像に視線を移す。白熱する試合や盛り上がる観客たち。そのなかに、彼女の団扇や応援幕、さらには服装や髪型を真似た少女たちの姿が映り込んだ。
よし、ナイスだカメラマン。
しかし、じっと画面へ見入る姿にホッとするも束の間、満足気に振り向く表情。にっこりと微笑む彼女に、翼はぎくりと肩を震わせた。いつもと同じパターンだ。そして、勝てたことは一度もなかった。なるべく視線を合わせないよう心掛け、翼は僅かに身構えた。


「あーあー、翼君とバトルしたいなー」
「ダメだ」
「翼君がバトルしてくれなきゃ、本番調子でないかもなー。うっ、なんだか具合悪くなってきちゃったなあーぁあー」
「さっきあれだけ全力で歌ってたのにか」
「あれはアリスが頑張ったからだもん」


ね?と首を傾げる姿に、翼は腕を組んで視線を落とす。いつもこのパターンでやられるのは分かっているので、今日こそはと固く目を閉じた。
続く猫撫で声を聞き流し数十秒、漸く静寂が訪れる。やっとか、と思い目を開けると、視界に飛び込んできたのはじっと自分を見上げる現役アイドルの姿だった。しかも、かなりの至近距離で。
思わず仰け反った翼の体に、彼女の両手が伸びてくる。捕らえられた右手は力強く包み込まれ、気を付けていたはずなのに、してやられてしまった。

「ね?」

その顔を見てしまったら、もう対抗策はないのだ。
今日一番の溜息をついて、翼は愛機の調子を確認した。


◇◇◇


翼は、彼女とのバトルが好きではなかった。正確には、好きでなくなった。
自分と同じくWBBAにスカウトされここにいる彼女は、初めこそ立場は同じだったものの、今ではその役割がまるで違う。優秀なブレーダーという点は変わらないが、なんというか、扱いに困るのだ。

世の中には、適材適所という言葉がある。WBBAに所属するブレーダーも、単純なベイの技術や腕前だけでなく、その性格や容姿、つまり人間性を考慮して任される仕事変わってくるわけだ。
彼女は言わば魅せ方に特化した人間だった。ベイバトルも、そして自分自身でさえも。世の中がその裏表のない天真爛漫な笑顔に、ブレーダー以上のものを求めたのは必然だった。そして完成したWBBAの広告塔、"アリス"は間違いなく、エンターテイナーとしてベイブレード界の頂点に君臨していた。


キンッ、と響いた不意の金属音に翼は慌てて顔を上げた。
スタジアムでは、彼女のベイがアクイラを攻め上げ、ギリギリの場所まで追い詰めていた。


「翼君ちゃんと本気でやってるー?」
「当たり前だ」


考え事に反応が遅れてしまったのは事実で、少しだけばつの悪い返事をしてしまう。
アリスの実力は高いが、自分にはまだ及ばない。アリス自身もそれを理解しており、だからこそ嬉々として勝負を挑んでくることは分かっていた。
翼はこれまで、一度も手加減をしたことはない。しかし最近、ひとつ気がかりなことがあって上手くバトルに集中できなかった。
カウンターを返せば、みるみる喜びに満ちていく表情。まるで星を散らす様な輝きに、どきりと心臓が動いた。


「ふーん、でも今日こそは勝っちゃうかな」


世界中の幸せを、集めたような笑顔。
いつ、誰がそんなことを言い始めたのか。ひとりの少女を形容する言葉に、翼は呆れながらも納得していた。世間に認知され、所謂有名人の仲間入りを果たした彼女がドヤ顔で雑誌を見せびらかしてくるも、その柔らかい雰囲気は健在だ。にじみ出る幼い人柄は、まだ汚い欲を知らないそれだった。


そして今、その笑顔に心臓が跳ねる。

その、危うくギラついた目に。


翼が素早くアクイラを走らせ、アリスのベイをスタジアムへとはじき出す。意表を突かれたアリスは、ぽかんと足元へと視線を落とし愛機を拾い上げた。状況を理解するや否や、「も〜〜!!」と地団太を踏み出すが、その怒り声すら翼にとっては安心する要素だった。


「翼君もうちょっと戦ってよー!」
「手加減しないと言っただろ。それにベイに何かあったどうするんだ」
「そういうことじゃないー!」
「そういうことだ。あと衣装皺になるだろ、放してやれ」


ぎゅっと握られたフリルの衣装が、本日一番の被害者といったところだろう。お馴染みの流れに、翼が彼女の両手を掬い上げる。悔しさを発散させる場所を失ったアリスは、間抜けに両手を取られたまま、キッと鋭い視線で翼を見上げていた。
しかし、満足したのか「あーあ、」と溜息をついて衣装の皺を直していく。そして「翼君なんでここにいるの?」と唐突且つ、全く脈絡のない質問をぶつけてきた。
怒っていいだろうか。
翼が人知れず拳を握りしめたところで、かちゃりと扉が開いた。顔をのぞかせた眼鏡の男性は、二人の姿を確認すると、心底安心したと言わんばかりに眉を下げた。


「いたいた…。もう本番なんだからちゃんと準備して」
「はーい」
「翼君いつもごめんね」
「いや、マネージャーも大変ですね」
「本当に。でも助かってるよ」
「翼君が言うのは違くない?」
「逆に誰が言うんだ他に」
「えー?」
「あはは、本当に仲良しだね」
「うん、仲良し!」


その言葉に、二人は同時に顔を見合わせた。まっすぐに射貫かれ、翼はうっと息を詰まらせる。否定したいわけではなかったが、なんとなく返事をしそびれてしまい、今更頷くのも恥ずかしさがある。そして不幸にも、アリスは黙って自分を見つめるだけで、それ以上言葉を続けようとはしない。
なんとも言えない居心地の悪さに、なんだよ、と顔を顰める。いや、今何かいうべきは自分のほうなのだろうが。それが分かりながらも口を開けない翼に、彼女は満足気にマネージャーへと向き直った。

「否定がないから、私と翼君は仲良しみたい!」
「おい」

ああもう、調子が狂う。
何度目かの溜息には、安堵の色が含まれていた。


◇◇◇


ー本番大丈夫?ちゃんと戦えそう?
ー大丈夫、私天才だもん!


冗談交じりの言葉も、繰り広げられるバトルを見てしまえば、傲慢だと笑うこともできない。
天性の才と、努力によって作り上げられたバトルは、完璧なショーだと翼は思っていた。しかし、それは只他者を楽しませるものではない。どんなステージに上っていこうとも、彼女は誠意を尽くし、勝負という根底を決して崩すことはなかった。
WBBAが求めた以上の最高のブレーダーを、彼女は体現したのだ。
相手を見下さず、手も抜かず、最高の瞬間を作り上げる。対戦相手を、観客を、全てを魅了して勝負を決める彼女のスタイルを、いちブレーダーとして尊敬していたし、こういうバトルもありだ、と思っていた。これが最高の形であり、アリスのバトルなのだと。


だからこそ、翼には最近の彼女が心配で堪らなかった。


彼女は天才だ。
そして、開花させた才能は、気づくべきではない本能も呼び覚ましてしまった。

時折見せる闘争心は、あまりに危うさを孕んでいる。いうなれば、喧嘩を知らない子供が力だけを手にしてしまったような、そんな感覚。振り上げた拳にどれほどの力があるかも分からず、でも試してみたい。自身を傷つけても、むしろそれさえも勲章のようで誇らしいと。
生き生きとした表情に、それは隠すことなく映し出されている。しかし、流石プロと言うべきなのか、こうした公式の大会に出ているときはその熱を抑えているようだった。


初心者向けの大会や、イベント事業での活動が多い彼女は、身を削るようなバトルに飢えているのだろう。先程のバトルを思い返しながら、翼はそんな可能性にたどり着いていた。
こちらを傷つける意図を持った目が、嬉々として向けられている。しかし分かっていた。彼女にそんなつもりは全くないのだと。だからこそ、どうしていいか悩んでしまう。
なんだかんだ付き合いも長いし、自分が手を貸してやるべきなんだろう。せめてその熱を、発散させてやるくらいには。仲良しの称号を得てしまった今、そうすることに特別な理由はいらないだろうと、翼は思っていた。







数日後、WBBAに響き渡る強烈な悲鳴。
翼が驚いて駆けつけると、スーツの男性が高い声で泣きそうに言葉を繋いでいた。
「なにこれどうしたの?!」「ねえ、何があったの?!」「だ、大丈夫なの?!残っちゃうんじゃないのこれ?」忙しく両手を動かす男の影から、「だから転んだだけー。化粧で隠すから大丈夫だよ!」と少女がひょっこり顔をのぞかせる。
こちらに気づいたアリスが、「じゃあ時間まで自由行動で!」と無責任な言葉と共に、自分の元へとかけてくる。近づく姿に、翼はぎょっと目を見開いた。
頬に張られた大きな絆創膏、だけじゃない。手足や額にまで、薄っすら伸びる赤い線は、できたばかりの傷跡だろうと想像ができた。涼し気なワンピースに対し、それらはあまりに不似合いで、何よりとても痛そうだ。


「ねえ、翼君!」


大丈夫か、そう声をかけたかったのに、先を越されたのは理由があった。その顔があまりに、笑っていたから。


「竜牙って人知ってる?」
「え?」

「あの人、格好よくない?」


アリスという人物。
それは、とても幼く、無知で、純朴で、

そして、非常に我儘だった。


20210830


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