昼には見えないパラフィンの羽



真っ暗な視界のなか、意識がだけが鼻のまわりに集中している。じくじくとチクチクの間のような痛みは、先程まで流れていた鼻血の所為だ。
顔面に被せた濡れタオル越しでも、照りつける太陽の熱がよく分かる。屋外スタジアムにて皆の試合を観戦していると、暑さの所為なのか興奮なのか突然の流血事件だ。確かに白熱した試合ではあったけれど、流石に恥ずかしいのでどうか前者であってほしい。止まったタイミングを見計らい、そのまま寝転がっていると頭上から声が響いた。


「鼻血止まった?」
「止まったよー」


その声にタオルを外すと、青空を背景に心配そうなまどかの表情が飛び込んできた。ゆっくりと体を起こすも、鼻の奥がまたずきりと痛んだ。


「吃驚したわよ、もう」
「もう暑いからね。まどかも気をつけて」
「ふふ、試合で興奮したんじゃないの?」
「…可能性がゼロじゃない分、否定しにくいんだよ」


やっぱり、と声を上げて笑うまどかに言い返せる言葉はなかった。いやあ、結構恥ずかしい。
それから何気なく、今日の試合はどうだった、誰々は調子が良かったなんて話題で盛り上がり、いつの間にか鼻血のことはすっかり忘れていた。まどかの感想に食い気味に反応してしまうと、また鼻血が出ると注意されてしまった。やっぱり興奮が原因なのか、嫌だよそれは。


「本当、皆ベイブレード馬鹿なんだから」


そう言って笑ったまどかの視線が、スタジアムへと向けられる。そして、それがある一か所で柔らかいものに変わった。その視線の先は、確認しなくても分かっていて、釣られるように私も口元が緩んでしまう。知らなかった、恋する乙女の瞳はこんなにも可愛いのか。

結論から言ってしまうと、周りが何もしなくたって銀河とまどかは所謂両想いというやつなのだ。きっと恋人同士になるのも、時間の問題なのだろう。いろいろ聞いてみたい気もするけれど、なんとなくそれは憚られた。多分、何も知らない状態だったらバンバン聞けたんだろうけど、周囲に謎の三角関係疑惑をかけられてしまった今、何をどこまでまどかに聞いていいのかが分からない。そもそもこれについては、まどかが知っているのかどうかすら分からないのだ。


「(……まどかと恋バナがしたい…)」


生憎こちらから提供できる話題は何もないのだが。
ここ数日で、すっかり愛やら恋やらの話題に悩まされている身としては、悩みを言葉にしてスッキリしてしまいたい部分がある。ガールズトークをしたい。
どう切り出そうか悩んでいると、まどかの視線が再度こちらへと向けられる。そこには、先程までと違い弱々しくも真剣な表情があった。雰囲気が変わったこと、そして何よりなんとなく察してしまった話題に、ぎくりと心臓が跳ねた。

「心葉は、さ」
「、うん」


「銀河のこと、どう思ってるの?」


ずるいなあ。真っ赤に染まった顔すら、こんなに可愛いなんて。




◇◇◇




「………キョウヤかな?」
「…なんで分かんだよ」

体を預けるベンチがぎしりと揺れたので、なんとなく思い浮かんだ人物を言ってみると、どうやら正解だったらしい。真っ暗な視界のなか、自分と反対側の端に腰掛けたであろうキョウヤの視線を感じる。直接的にではないにしろ、見られ続けるのは少し気まずい。


「まだ鼻血止まんねーのかよ」
「いや流石に止まったよ」


濡れタオルを顔面から外すと、何故かキョウヤは微かに笑っていた。それは何笑いなんだ一体。文句のひとつでも言おうと口を開くが、それは彼の方から飛んできた缶により、言葉を発するには至らなかった。緩い曲線を描いていたとはいえ、突然だったので思わず慌ててキャッチした。よく見れば、キョウヤの手にも同じデザインの缶が握られている。
くれるのだろうか、やった。お礼を言ってプルタブに手をかけたところで、ん?と思いもう一度よく銘柄を確認する。あまりに露骨だったのか「炭酸なら投げるわけねーだろ」と呆れ声が返ってきた。ごもっともな上にバレバレだった。


遠巻きにスタジアムを眺めながら、無言のまま数秒。試合中の荒々しさと違い、キョウヤは静かな時は本当に静かだ。そして、この空気感は妙に落ち着く。
そのおかげか、先程までのざわついた心が少しだけ落ち着きを取り戻してきた。視線の先には、まどかを含め皆がバトルに盛り上がっている。その顔が笑顔であることを確認して、思わずふーっと長めの息をついてしまった。多分これは、安堵と、一種の情けなさだ。


「ねえ、キョウヤー」


間延びした声に、視線だけが返ってくる。


「恋愛って難しいね?」
「ブッッ」


盛大に吹き出した彼は、見事にむせ返っている。想像以上の反応に少し驚いたが、まあ、キョウヤなら大丈夫だろう。
少しの間をもって落ち着いたであろうキョウヤは、顔に黒い影を落としながら「あ"?」とこちらに怪訝そうな表情を向けた。


「私はもうね、分からないよ」
「……話相手間違えてんじゃねえか」
「いいじゃん、飲み終わるまででいいから付き合ってよ」


とは言ったものの、何か明確に言いたいことがあったわけでもなかった。愚痴のように溢れてしまう言葉を、誰かに拾ってほしかっただけなのかもしれない。そして、彼はなんだかんだ言ってこういう時付き合ってくれると知っていた。


思い出す、先ほどまでの緊張感。



『銀河のこと、どう思ってるの?』



頭の中は、真っ白どころかフル回転。

あのね、まどか。私にとって銀河は、すごく大切な幼馴染だよ。自分勝手に、大人になってもずっと一緒にいるんだと思ってたよ。でもね、別に恋愛の好きってわけじゃないんだよ、信じてくれる?二人の邪魔をする気なんて一切ないんだよ。でも、少しだけ寂しいって思っちゃったのは本当だよ。だけど、ねえ、これは絶対恋じゃないはずなの。だから、ねえ、まどか、信じてくれる?

だらだらと浮かぶ言葉は、どれも輪郭が曖昧で口に出した瞬間壊れてしまいそうだった。私が本当に伝えたい意味では、伝わらない気がしたんだ。それを悟って、言葉を呑んで、でも何か言わなくちゃいけなくて。行き着いた言葉は結局これだ。



『全然、何とも思ってないよ』



それは、嘘だった。




同じ言葉でも、私の心で感じるそれと、まどかの心で感じるそれはきっと別物だ。相手の重荷にならないためには、多少嘘をつかなくてはいけない部分もあるのだろう。だけど、後ろめたいことが何もないなら、正直に言ってみてもよかったのでは?なんて考えも頭を過ってしまう。

心配しなくていいよ、応援してるよって伝えたいだけなのに、相手を不安にさせてしまうかもしれない。そんなことを気にし始めたら、必要ない嘘まで沢山ついてしまいそうで。実際、嘘をついた。



「私きっと向いてないのかも」



恋愛というたったひとつの事情が入り込むだけで、こんなに人と心を通わすことが難しいとは思わなかった。そして同時に、あまりに自分の経験が乏しいことを思い知った。…もう少し大人にならなくちゃいけないのかもしれない。

本日二回目の溜息をついたところで、ふと先日の遊の言葉を思い出した。私が失恋すると、どうやら喜ぶ人もいると。それなりに意味は考えたが、もしかして全然的外れだったのかもしれない。実は、もう子供じゃないのにそんなガキみたいなこと悩んでるのかよダセー!とか、幼馴染が絶対に勝つわけじゃないんですね!とか、そんな悪い方の話なのかもしれない。だとしたら、それを態々報告してきた遊はとんでもない小悪魔である。


「…キョウヤはさ、私が失恋したらどう思う?」
「はあ?」


いや、失恋じゃないんだけどね。という補足をつける余裕もないくらい、なんだか空しさでいっぱいである。思わず口から出てしまったじゃないか。
今すぐ遊の元へ行き、その頭をわしゃわしゃと乱してやりたい気分だ。もし無罪の時は私も同じく頭を差し出すので、どうか許してほしい。八つ当たりだ、わしゃらせてほしい。

ぎりりと遊へ視線を向けていると、途端、誰かに鼻で笑われた。当然、それができる距離にいるのはキョウヤしかいない。視線を戻せば、今度はキョウヤがスタジアムの方を見ていた。釣られてその先を追っても、何を見ているかはよく分からない。只、その表情は挑発的に笑っていた。


「ざまあねえな、って感じだ」
「ひどいなあ」
「ちげえよ」


遮られた言葉に、首を傾げる。
一瞬だけ笑顔が消えたのが見えた。それは、らしくない表情に思えた。


「俺がだ」


そう言って立ち上がったキョウヤは、振り向きもせずスタジアムへと向かってしまった。
すると、入れ違いでこちらへ駆け寄ってきた遊に「タテキョーと何話してたの?」と聞かれたので、答える代わりにそのオレンジを全力で乱しておく。

置き去られた空き缶は、タイムリミットを告げていた。



20210407


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