僕らの答え合わせ



桜咲く春。人は、出会いと別れの季節だという。
いつも通りの帰り道。夕方と夜の境界が、桜並木のトンネルを緩やかに包んでいる。遠くから聞こえくる夕焼け小焼に、ふと空を仰いだ。まだ明るい。陽が長くなったなあと、暢気にそんなことを考えていた。

なんてことない春のいち風景。強いていつもと違うことを挙げるなら、これから幼馴染と会う約束しているということだ。
最早出会いの場面も覚えていない幼馴染とは、どれほど同じ春を迎えたのか。正確な数は分からない。そんな仕様もない話も含めて、久しぶりの再会に話したいことは沢山あった。
しかし、それらは一旦後回しである。それよりも先に、聞きたいことが山ほどあるのだ。

昨夜、電話口で告げられた一言。
それは、小さな宝物のように胸を満たしていた。

『珍しいね、銀河から電話なんて』
『いやー、実はさ』
『うん』
『まどかと結婚することにしたんだ』

固まって数秒。電話の向こう側にあるであろう、はにかんだ表情にヒュウと口笛を吹いた。

桜並木は続く。人は、出会いと別れの季節だという。
けれどこの時、"別れ"の二文字が過ることはなかった。


◇◇◇


「ほ、ん、と、に、嬉じい…」
「何回目だよ」

テーブル越しの銀河は、頬杖を突きながら苦笑いを浮かべていた。初めこそ照れたように笑っていたが、店に入って数十回は繰り返しているやり取りに、流石の彼も慣れてしまったようだ。
乾杯を求めてグラスを突き出すと、銀河も高らかにグラスを掲げてくれる。ちなみに現在のグラスで三回目、合計で五回目の乾杯だった。

行きつけの小料理店では、個室の外からも賑やかな声が聞こえてくる。喧騒とは遠い、心地よささえ感じる賑わいは、店員から客層まで店そのものの雰囲気を表しているようだった。
隠れ家的な装い且つ、上品ながらも格式高すぎない雰囲気が、WBBA内でも噂になっている人気店だ。料理も美味しい。このお店に出会って以降、まどかとは度々入り浸ってしまっている。給料日の後に。
ご褒美で来られる気軽さも去ることながら、何より、良くも悪くも有名人な友人たちとの食事には持って来いの場所なのである。正しく、理解ある店長の神対応というやつだ。聞いた話によると、ケンタのファンらしい。今度また連れてきてあげよう。

出汁のきいた卵焼きを箸で挟み、口の中で存分に味わう。感覚という感覚が、嬉しいや楽しいや美味しいや、分かりやすい幸せで満たされていった。

「大人になったんだねえ…」
「実感ないけどな」
「そうだねえ…」

なんともいえない表情で、互いにうんうんと頷き合う。

ゼロ君や忍君。ベイブレード界は確実に新世代へと移り変わっている。昨年行われた第二回世界大会を通して、最早完全に移り変わったといえるだろう。それも相まってか、大人なったと感じる瞬間が日に日に増えてきたように思う。
しかし今でも、世界のどこかで銀河は必要とされ、銀河自身もベイブレードに対しての熱量は変わらない。只、役割が変わったというだけなのだ。皆がそれぞれ、今の自分にできる事で、今の自分にしかできないことで、ベイブレードへ関わり続けている。時間ができるどころか、むしろ忙しさは増すばかりだった。

ネオバトルブレーダーズ、DNAとの激闘、第二回世界大会。駆け抜けた数々の日々も、まだ鮮烈な記憶のままである。


「でも、銀河から言われるのは吃驚した」
「どういうことだ?」
「だって、言われるとしたらまどかからかなあって思ってたから。銀河の方から報告されるのはちょっと意外」

その言葉に、銀河は「ああ」と納得したように笑った。その意味が分からず続きを促すと、しみじみとした口調で、銀河は再び口を開いた。

「俺が言ったんだよ。心葉には俺から言いたいって」
「へえ」
「なんか心葉には、一番に言いたくてさ」

ふーん、と返してみるが語尾に嬉しさを滲ませてしまう。一番乗りというのは、やっぱり嬉しいものだ。幼馴染冥利に尽きる。しかし、妙な照れくささがあるのも事実で、つい笑い話へと転換してしまう。

「あ、でも氷魔に泣かれそう。一番乗りずるいって」
「いや、氷魔にも今と同じ感じで報告するから」
「お前が一番乗りだって?」
「うん」
「んふふっ最低じゃん」

最早純粋な嘘である。しかし、その光景を想像するとどうにも笑えてしまうのだ。自分が一枚噛んでいることも、さらに拍車をかけてくる。氷魔には申し訳ないが、後で盛大にネタ晴らしと自慢をさせてもらおう。


ひとしきり笑い終えたところで、不意に携帯の着信音が響いた。一度だけ軽快に音を弾ませたそれは、メッセージの受信を意味している。聞き慣れた音に視線を落とすと、表示された文面に笑みが隠せなかった。

「誰?」
「キョウヤ。帰る頃に連絡くれたら、迎えに来てくれるって」
「ふーん」

ん、と気づいた。その声に、揶揄いの意図が含まれていることに。
慌てて携帯から視線を上げると、銀河はグラスに口をつける振りをしながら、にやついた口元を隠していた。
きゅっと顔を引き締めるが、時すでに遅しというやつだ。自分でも分かりやすく浮かれてしまった自覚があるので、特に反論はない。しかし、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。キッと睨みを利かせてから、返信を打つべく再び携帯へと視線を落とした。

「俺も乗せてもらおっと」
「多分最初からそのつもりだよ」

必要最低限の言葉しかない、白黒な文章も見慣れてしまったものだ。しかし、ふとした瞬間に込み上げる初々しいまでの感情は、これからも不意に私を襲うのだろう。関係が進み、少なくとも一年は経っているというのに。彼はずっと、優しいままだ。

心地よい無言のなか、携帯へと文字を打ち込む。銀河がじっとこちらを見ていたが、特に気にはならなかった。

幼馴染と刻む、緩やかな時間。
そして、その言葉は突然やって来た。春に吹く風のように、急に。


「俺、心葉と結婚するんだと思ってた」


弾かれた心に合わせ、パッと携帯から顔を上げた。
今は凪いだ心の一番奥底。そこに打たれた波紋が、遠い記憶を運んでくる。その言葉を、ひどく知っているような気がしたのだ。

満足気な笑みを浮かべている銀河の頬は、アルコールのせいかほんのりと赤い。こちらの様子に気づいているのか否か。呆けて言葉の出ない私を他所に、銀河はさらに言葉を紡いだ。

「別に変な意味じゃなくてさ。なんか、心葉とはずっと一緒にいるんだろうなって思ってたから」
うん。
「まあ、結局お互いこんな感じだし、自分でもなんていうか正直よく分からないんだけど」
うん。
「只さ、心葉は心葉なんだよ。ずっとさ」
うん。
「幼馴染ってこういうもんなのかな」

うん。

気が付くと、繰り返し何度も心で頷いていた。そう、そうなのだ。言葉では説明できないけれど、そうなのだとしか言えなかった。
見つけた、そう思ったのだ。
急に晴れた世界で、今しっかりと着地したような達成感があった。ずっと探していた答えがあったのだ。いつの間にか諦めて、諦めたことも忘れてしまっていたけれど。

銀河は二ッと歯を見せ、すっきりとした表情で笑っている。その笑顔に、確かに満たされるものがあった。上手くは言えない。けれど、例えるなら、そう。もしも私が神様で、いつか世界が終わるというなら。きっと今、ここで終わらせていた。
あたたかな終着を感じながら、ゆっくりと手を伸ばす。不思議そうに銀河は首を傾げている。ニッと笑い、その鼻を親指と人差し指できゅっと摘んだ。

「私も」

そう思ってたよ。

「いたいっ」と返ってきた間抜けな声に、さらに力を込める。
銀河も同じことを思っていた。それ以上の答えなんて、もういらないのだ。


◇◇◇


「………で、なんでこうなってんだよ」
「あらあら…」

テーブルに突っ伏した二人分の寝顔を見て、キョウヤは溜息をついた。その隣では、まどかが苦笑いを浮かべている。

心葉からの連絡を受け、店まで車を走らせていると、夜道を歩くまどかの姿を発見した。どうせ銀河を送り届ける予定もあったので、そのまま乗り合わせて共に迎えに来てみれば―――この光景である。

偶然とはいえ、二人で来て良かった。
胸中で独り言ちつつ個室に入り込み、キョウヤは心葉の肩を揺すった。しかし、むにゃむにゃと曖昧な反応しか返ってこない。続けて銀河の頭を軽く叩くが、こちらもむにゃむにゃと同じ反応である。
寝顔だけじゃなく、ベタな反応まで瓜二つなのか。何度見ても驚く幼馴染の性質というものに、キョウヤは顔を引き攣らせた。
そもそも、むにゃむにゃってなんだ。仮にもお前は大の男だろ。なんとなく腹が立ち、今度は力を込めて頭を叩いた。「がっ」と短い悲鳴が零れたが、起きる気配はまるでない。降参とばかりに、キョウヤは頭を掻いた。

「おいまどか。会計してくるから、こいつら起こしとけ。特に銀河。流石に運べねえ」
「そうねえ……あ、店長さん私カシオレ!」
「はいよ!」
「、おい」

様子を見に来た店長へ、まどかは慣れた様子で注文を入れる。「そうねえ」と言いながら、あまりに自然な流れでやってのけた謀反に、流石のキョウヤも反応が遅れてしまった。

まどかは銀河の隣につき、ニコニコ顔で自分も座るよう促してくる。今更何を言っても状況は変わらないだろう。渋々と、キョウヤは心葉の隣へ腰を下ろした。

「…俺飲めねえぞ」
「ありがとう運転手さん」
「てめえっ…」

分かってやってんのかよ。キョウヤは静かに圧を放つが、まどかは平然と店員からグラスを受け取っている。続けて、店員とまどか二人分の視線が、そっちは?と音もなく問いかけてくる。数秒考え、キョウヤはコーラを注文した。その声に覇気はない。完全に戦意は喪失していた。
どうせ明日は仕事もない。店が閉まるまでは時間も余裕がある。二人を起こすのは、一杯飲んでからでも構わないのだろう。自身を納得させながら、届いたコーラで乾杯に付き合った。

「キョウヤに話したいことがあったのよ」
「なんだ」
「銀河と結婚することにしたの」
「………は?」
「心葉が取られちゃったから、キョウヤには私から言っちゃおうと思って」

目を見開き呆けているキョウヤに、まどかは楽し気に笑いかけた。今正に口をつけようとしていたグラスは、右手に支えれられ、完全に中途半端な位置で止まっている。流石にタイミングを計ってくれたのか、飲み込む瞬間は避けてくれたようだ。

驚きはしたが、意外でも、不思議でもない。暫く固まって、何度も言葉を噛砕く。そして自然と浮かんだ言葉をキョウヤは口にした。

「良かったな」
「ありがとう」

言葉の意味は知っている。しかし、具体的なことが分かるかと言われれば、そうではない。仕事の付き合いで参列したことはあるが、こういうものなのかと何となく理解した程度だ。
普段なら耳を通り抜けていく、まだ他人事であった二文字。近しい人物の口から聞くそれらは、曖昧なかたちをしながらも、初めてキョウヤの頭に現実のものとして留まった。

「……式、とか決めてんのか?」
「ううん、そういうのは全然。というより、多分暫くは何も変わらないわ」
「どういうことだ?」
「結婚しよう、って決めただけだから」
「んだそりゃ…」

呆気らかんとした表情に、キョウヤは呆れて姿勢を崩した。同時に、先程感じた質量のある現実味が、急に重さを失っていく。
ふと、キョウヤは自分が少しだけホッとしていることに気が付いた。それが妙に悔しく、紛らわしいと苦々しく視線を投げた。それでも笑みを絶やさないまどかは、良くも悪くも、隣の男に似てきたと言わざるを得ない。未だ寝こけている銀河を一瞥し、キョウヤはコーラを口にした。

「ガキの口約束かよ」
「ふふっそうね」

でも、とまどかは続けた。

「言葉にするのが大事なんじゃない」

凛と深みを持った声色に、キョウヤは返事ができなかった。
本当に嬉しそうなまどかの笑みには、少なくとも無邪気な子供とは言い難い色が含まれていた。
外野から見ていれば、二人の関係が今後も続いていくことは当然の様に思えていた。しかし、未だに世界を飛び回り続ける銀河の口から、その言葉を、その誓いを受け取った事実は、まどかにとって単なる口約束ではないのだろう。

乙女心など微塵も分からないが、雰囲気くらいは察することができる。
キョウヤは、居心地悪く視線を逸らした。目の前の二人が、急に自分よりも随分大人に思えてしまったのだ。
そして、まどかの言葉には自分個人に向けられた意味もあることに気が付いていた。悪かったな、口にできない奴で。つきたい悪態は、炭酸と一緒に飲み干した。

まどかは絶えず、じっとキョウヤを見つめている。先程と違い、その色が好奇心に変わったことを悟り、キョウヤは意地でも目を合わせなかった。
無言のまま回答拒否を示すが、まどかの視線は諦めない。むしろ輝きを増していく瞳に、逃げ場はどんどんなくなっていく。そのまま数秒。無音のまま突き刺さる「そっちは?」に、いよいよ耐え切れずキョウヤは口を開いた。

「お前等と一緒にすんじゃねえ」
「ええー」

照れ隠しでも、逃げでもなく、言葉通りの意味だった。
長年恋人としての時間を重ねた二人と比べれば、自分と心葉は、まだ始まったばかりなのだ。
「まあ、二人共随分時間がかかったもんね」いや、半分くらいはお前と銀河のせいだからな。出かかったツッコミを、キョウヤはなんとか抑え込んだ。自覚があろうがなかろうが、口に出してしまえば面倒なことに違いはない。


「でも、本当にキョウヤ頑張ったわね」
「………別に俺は何してねえよ」


寝こけた頭から滑る心葉の髪を、まどかは一束掬って撫でた。その動きに釣られ、キョウヤも視線を隣へと移した。

晴れて恋人同士となり、具体的に距離が近づいたことは間違いないだろう。柄にもなく飲み込んだ言葉を、躊躇った行動を、これからは遠慮しないでいいのだ。しかし、隣に並ぶことも、こうして気の抜けた表情を見ることも、今更新鮮なことでもなかった。
何か変わったかと言われれば、きっ互いにNOと言うのだろう。周囲がどう思っているかは分からないが、キョウヤ自身にはそう思えていた。

頑張った、か。
どうにも不似合いな言葉を、キョウヤは鼻で笑った。


「未練がましく、ガキのまま成長できなかったってだけだ」


心葉を一瞥し、キョウヤは目を細めた。
何も変わらない。しかし確かに、不意に胸を打つのだ。夢じゃないんだなと、噛み締めるように。

キョウヤを視界に収めながら、まどかは短く相槌を打った。茶化すつもりはない。けれど、言うか言うまいか少し迷っていた。そんな幸せそうに言われてもね。なんて。


20211003


(戻る)

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -