雨あがり、そして世界は



「それじゃあ改めて、翼の本部長就任を祝ってかんぱーい!」

陽が沈み、星の輝きが見え始めた頃。翼のWBBA本部長就任を祝うべく、B-pitにはお馴染みのメンバーが集まっていた。
当時のように両手を広げて走り回ることは叶わないものの、それぞれが足を伸ばし快適な時間を過ごしている。窮屈には変わりない。けれど、大人の仮面を一時的に外し、安心できる居場所に間違いはなかった。

本日の主役である翼、家主のまどか。そしてヒカル、ケンタ、ベンケイ、遊、私の七人は盛大にグラスを弾かせた。

「バタバタしてて、結局お祝いできてなかったもんねー」

その言葉と同時に、不意に二本目のクラッカーを打ち鳴らす遊。一本目は、翼がB-pitへ足を踏み入れた際に既に終えている。
完全に油断していたであろう翼は、大きく肩を跳ねさせ、頭上から降り注ぐ紙テープを浴びていた。しかし、その顔は緩んでいる。

「銀河も来られれば良かったのにね」
「今どこにいるんだっけ?」
「確かアメリカだったと思うけど、その連絡も貰ってから大分経ってるし…分からないわ」
「コハルンも知らないの?」
「私もヨーロッパの復興祭で会って最後だから、さっぱり」

まどかと苦笑いを零し合うなか、所属員のスケジュール調整も行っているヒカルは「連絡を入れろ…連絡を…」と頭を抑えている。銀河だから仕様がないという共通認識は、最早諦めに近い形で全員の胸に宿っていた。情けなし、我が幼馴染。

「キョウヤは仕事が終わったら来るみたい」
「え、来るのか」
「キョウヤも丸くなったな…」
「キョウヤさんは元々義理堅いお人だからな」
「まあ、盾神コーポ―レーション代表として、WBBA本部長のお祝いに来ないわけにはいかないよねー」
「遊言い方…」

飛び出した名前に、思わず心臓が跳ねた。しかし、それは一度きりに留まった。
月日とは凄い。時間が解決してくれるなんて言葉があるが、取り乱した感情は、時の流れに合わせて確かに着地点を探し始めていた。名前と自覚を持ってしまった想いは、もうふわふわと漂うことはできない。どこかで、ひっそり、終わらせなくてはいけないのだろう。

じゃあ、それはいつか。

その結論を出すには早すぎて、気を逸らすよう酎ハイへと手を伸ばした。すると、隣に来たまどかが「付き合うわ」と親指を立て笑っている。まどかは結構なお酒好きだ。
最終的には翼も巻き込み、どんどん飲み進めていく。最近は忙しさから笑顔の減っていた翼も、ベンケイの仕様もないギャグに声を上げて笑うくらいには気が抜けてきたようだ。それだけでも、今日の会は十分大成功といえる。

そうこうしている間に、キョウヤがやって来た。「お土産は?」と無茶ぶりをする遊の頭に、キョウヤは会社のパンフレットを乗せる。「え〜いらな〜い」と口元を歪ませれば、第一ラウンドの開始である。そんな見慣れた光景すらも、今日はとりわけ楽しく思えた。

ふと、目が合ったような気がした。偽りなく楽しい気持ちで、だらしなく笑い返しておいた。





「お酒が足りないわ!」

グラスを鳴らして、大分時間が経った頃。
ほんのりと頬に赤みを帯びたまどかが、ノリ良くそう口にする。テーブルを挟んだケンタは、見慣れない姿に驚いているようだった。一方私は、普段から二人で飲む機会多かったので、こうなったまどかを見るのは決して初めてではない。そして、同じく完全に酔いの回っている頭で、できる返事はひとつだった。

「はい!心葉、買ってきます!!」

勢いよく右手を上げ、カバンを持って立ち上がる。

「心葉大丈夫か?私も一緒に、」
「大丈夫、ちょっと風にぶつかりたいし」
「当たるんじゃなくてか?」

実際、思考が鈍るほど酔っているわけではない。ふわふわと楽しいのは事実だが。
心配そうなヒカルに、えへへーと笑いかける。きょとんしたヒカルが何か言っていたが、それはBGMに入り口へと早足で向かった。早足になった意味は特にない、多分ちょっと走り出したい気分だったというだけだ。
ドアをくぐれば、火照った顔を涼しく風が撫でていく。酔いを醒ますには、丁度良かった。




「誰か捕まえて!酔っ払いよ!」
「ひどいな」
「キョウヤ追いかけて一緒に行ってきて!」
「なんで俺が」
「一番入り口に近いからよ!」
「………。」

財布だけ持ち、短い溜息と翻った背中。
見えない背後で笑顔がひとつ、ふたつ、――――。


◇◇◇


「ふん、ふーん」
「黙って歩けねえのか」
「ふんふん」
「どっちだよ」

軽やかな足取りで、街灯に照らされた道を進んでいく。車も少なく、耳を掠めるのは自分の鼻歌と二人分の足音だけだった。

キョウヤが追いかけてきた時には驚いてしまったが、歩き始めてしまえば、呆気ない程にいつも通りだ。当然と言えば当然。だって私たちの間に、何も変化は訪れていないのだから。私ひとりが、想いを自覚したというだけなのだから。
一人きりになると、思考は深みへとずるずる引きずられてしまう。しかし本人を前にしてしまえば、悲しい程に"今まで彼と向き合ってきた私"を演じることができてしまうのだ。それくらい、大人になっていた。
始められなかった二人に、一人が今更泣いただけ。それだけのことだ。

そんなわけで、お酒の力もゼロではないが、至って心は穏やかだ。
浮ついた気持ちに紛れた、拙い恋心を溶かしていくことも今ならできるだろう。塞がらない穴を空けたまま、今は只この時間が愛おしく思えていた。


コンビニまでの道のりは僅かだ。角を曲がって見えてきた公園を突っ切れば、もう目の前である。当然、通らないという選択肢はない。

「公園だよ」
「……そうだな」
「近道だよ」
「そうか」

たたっ、と小走りで公園の入り口となる緩い斜面を駆け上る。数歩遅れ、キョウヤは斜面と並んだ短い階段から公園へと足を踏み入れた。
夜も更けた公園内に人気はない。アスファルトの道のりとは違い、囲んだ草むらからは小さく虫の声が飛んで来ていた。
申し訳程度の外灯にあまり意味はなく、月明かりによってシルエットを映す遊具たちは、不気味と言うより神秘的に見える。心の従うまま滑り台に駆け寄り、登り、滑り落ちる。確かな満足があった。
こんなに堂々と、公園の遊具で遊んだのなんていつ以来だろうか。堪らず二周目を終える頃には、滑り終えた先に呆れ顔のキョウヤが待ち構えていた。

「いつまで遊んでんだ、酔っ払い」
「大分醒めてきた」
「じゃあ行くぞ」
「もう少し」
「おい」

背中にかかる声を無視し、ブランコを漕ぎ、石のトンネルの潜り、未だに遊び方がよく分からない切り株をジャンプで渡っていく。シーソーも座っては見たが、彼が頑なに反対側へ座ろうとはしてくれなかったので、早々に諦めた。

ぐるりと遊具を一周し終え、そのまま奥のベンチへと腰を下ろした。
懐かしい、ここは私にとって思い出の場所に他ならなかった。別に、あの日から近づけなかったとか、そんな大層なものではない。今更この場所で、心が揺れることもない。それでも、何もないとは言い切れない場所だ。
胸が詰まって、大きく頭を振った。すこしだけクラリと来たのは、お酒のせいだけではない。ちょっと勢いよく振りすぎた。

深呼吸をして空を仰げば、ちらちらと星が瞬いている。このまま眠ってしまい気持ちを抑え、目を輝きに浸していく。
すると、正面の暗がりから静かに足音が近づいてきた。視線が合うや否や、キョウヤはぴたりと動きを止めた。そのまま微妙な距離を保ち、立ち尽くしている。妙な空間には無音だけが流れていた。

キョウヤの視線がふと地面へ落とされる。そして、再び上げられた表情からは、先程までの強張りが削ぎ落されていた。
埋まらなかった空間を踏み進め、その足は私の目の前で止まった。


「行くぞ」


美しい姿だ。月明かりになぞられた、大切な人の姿。
うん、と言いかけた口をきゅっと結んだ。同時に、言うつもりもなかった言葉たちが、頭に浮かんできてしまった。魅せられてしまったのだ。今ならきっと、美しく終わらせることができるのではないかと。


「ねえ、キョウヤ覚えてる?」


見上げた表情に変化はない。
もう覚えていないかもしれない。それでも、言えるとしたらここしかない。終わらせて、また始めるんだ。始まった先に、例え君がいなかったとしても。
幸せな記憶を思い出に沈めるには、あまりに綺麗な夜だった。

「昔、傘を持ってここに迎えに来てくれたこと会ったよね」
「…あったな」
「キョウヤ傘一本しか持ってなくてさ、もう笑っちゃって…」
「……。」
「そしたら、態とだって言ったらどうする?って」

カチカチと、心の中で音がする。秒針を刻んでいる。進めているのか戻しているのか、方向は曖昧だ。
私を見下ろすキョウヤの背中から、青白い満月が覗いていた。零れた光が曝け出した心根を冷たく滑っていく。
あの時と変わらず、キョウヤが私を見ている。私もキョウヤを見ている。見つめ合ったこの瞬間を、本当ならずっと大切に閉まっておきたい。これ以上進みたくなんてないのだ。
けれど、過去の自分を救うにはもうここしかなかった。何も分からなかったあの日の自分が、今更も罪悪感も全て投げ捨て、背中を押していた。

「あの時の質問に、今答えてもいい?」

小さく息を吸う。キョウヤはずっと黙っていた。
雨の音は、聞こえなかった。


「好きだよ」


面食らったように、キョウヤは僅かに目を見開いた。しかしそれも一瞬で、その目は静かに閉じられる。再び開いた目は、分かりやすく怒りに満ちていた。不思議と驚きはしなかった。けれど、静まっていたはずの心音はどくどくと音を立て始める。
無言のまま、時間だけが流れていく。両立するはずのない感情が、胸を満たしていく。怖い、けど幸せだ。

彼はあの日、立ち止まった私を無理やり引っ張るような真似はしなかった。だが、私達はもう大人だ。こんな直接的な言葉を、よく分からないとは言わせない。私はずるい、どんな言葉でも彼の口から引き出そうと、絶対に自分から口を開くつもりはなかった。
時間にすれば、恐らく数秒だったのだろう。動いた唇が、いよいよ止まっていた時を動かしていく。
紡がれた言葉は小さく、凛としていた。


「ふざけんなよ」


ああ、怒ってる。
頭上からの答えに、目を伏せた。

「なんなんだよお前」

分かっていた。分かっていたが、それは悲しくないというわけではない。
身勝手な想いも、今更な答えも、全て承知した上でせめてひとりで傷つくくらいは許してほしかった。止まない声に、小さく拳を握り締めた。

「今更だろ」
「……。」
「……はなっから、全部捨てるつもりだったのによ」
「……。」
「急に誰のものでもなくなりやがって」
「……。」
「……しかも、何時まで経ってもどこにも行きやしねえ」
「……。」
「第一あの日……、おい、それは何泣きだ」

気が付けば、止まらない涙に両手で顔を覆っていた。
怒っている。けれど、彼のこんなに弱弱しい声を聞いたことがあっただろうか。ない、きっとない。そして、それは私に一筋の希望を見せてしまうくらいには、手を伸ばしてしまいたくなるくらいには、柔らかな光だった。
顔を上げられず、手のひらの闇に包まれる。呼吸を落ち着けて、どうにか言葉を絞り出した。

「…いたよ、格好良いと思う人も、素敵だと思う人も」

どんなに心が揺れようとも、埋まらない感覚があった。あの瞬間が戻ってこなかった。
それはきっと、もう一度君と向かい合うためだったんだ。
今、泣き出し震えている感情は、確かにあの頃と同じものだった。

「けど、キョウヤなの」
「心葉、」
「キョウヤじゃなきゃダメなの」

ハッキリとした声に、いつかの自分が重なっていく感覚があった。何も言えなかったあの日、本当はずっとこう言いたかったはずなんだ。
過去と、繰り返した夢と、今。油断すれば、すぐに足元がぐらついてしまいそう。けれど、もうこの夢心地を夢のままにはしておけなかった。
両手を下ろし、ゆっくりと顔を上げる。
目を開けた先には、君がいた。君はまだそこにいてくれた。


「ずっとキョウヤが好きだったの」


私たちは随分大人になった。ずっと好きだと言いたかった、傘を持った幼き日の君はもういない。けれど、私はずっとこの人に会いたかったのだ。

不意に腕を引かれ、立ち上がった瞬間温もりに包まれた。キョウヤに、抱きしめられている。
初めての事に戸惑っていると、頭上から声が降ってくる。力強く回された腕と裏腹に弱弱しく紡がれた音は、それでも明るく光を零していた。


「……やっとかよ」


捨てられなかった未来を、世界で二人ずっと待ち続けていた。


20210906


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