ぐるりと宝石をちりばめて



泣き疲れて眠りにつき、そのまま迎えた朝。
変わらない夢を見て起きた朝なのに、朝日がやけに目に痛い。


昨日は結局もう遅いということで、クリスと共に最寄りの村で一泊させてもらった。
朝一で顔を合わせたクリスは、昨夜のことなど気にした様子もなく挨拶をしてくれる。正直言って、どんな顔で会えばいいのか分からなかった私にとって、それはありがたいことだった。

気まずい雰囲気にならなかったことは嬉しいが、なんだか、今でも尚甘えてしまっているような気がしてならない。
しかし、じゃあ何を言えばいい。こんな優しい人の想いに答えられない私が。今何を言おうとそれはクリスを傷つけるだけのような気がして、結局それ以上話をすることはなかった。




「じゃあな」
「うん、いろいろありがとう」

そうして、お世話になった村の方にお礼を告げ、それぞれ仕事に戻ることにした。といっても、私は帰るだけなのだが。
お互い中心街まで出る必要はあったので、クリスはついでだと空港まで見送りに来てくれた。こうして見送られるのは、これで二回目だ。

大きな荷物を持った人が行きかい、絶えず機械的なアナウンスが流れている。慣れてしまったその空間に、ああ、帰るんだなと心よりも早く体が思い出していた。滞在期間はそう長くもなかったのに、随分といろいろなことがありすぎたように思う。

じゃあと手を振り、クリスに背を向ける。
しかし、歩き出すことはできなかった。


これで、いいわけない。


何を言っても傷つけるだけ。じゃあ、何も言わない方がいい。
それは真実なのかもしれない。だけど、私は絶対何かを言わなければいけない気がしていた。


「クリス、あのさ」


もう一度クリスへ向き直ると、彼は不思議そうに首を傾げている。

自分の気持ちと向き合って、彼の告白を断って、尚その優しさに甘えている今だからこそ分かったことがある。
私の返事は、最初から決まっていたはずなんだ。それを、今じゃなくていいと、考えてみたらいいという言葉に甘えて先延ばしにしてしまっていた。きっと、迷った振りをしていただけなんだ。

それなのに、


「……あのさ、」


言葉が出なくて、唇を噛んだ。
情けない。
結局、それらしいことを頭で言ってみても相応しい言葉が出てこない。

いっそ責めてくれたほうが良かったのに。そう思っても、きっとそれすら贅沢なのかもしれない。だけど、これからもクリスと仲良くしたいのだ。我儘と言われても、良い友達でいたい。


何も言えずに俯いていると、クリスから名前を呼ばれる。顔を上げれば、そこには腕を組みやんわりと笑っている彼がいた。なんだか、全部バレているような気もする。
だけど、またここで甘えてはいけない。言葉は決まっていないけれど、勇気を振り絞り息を吸ったタイミングで、再度クリスが私の名前を呼んだ。今度は少し、意地の悪い顔で。


「キョウヤによろしくな」
「ッ、ハッ?!」
「違ったか?」


タイミングが最悪だったので、見事に咽てしまった。突然出たその名前も、原因の一つではあるけれど。
漸く咳が収まり大きく深呼吸を繰り返すと、数秒前までの重たい気持ちはすっかり消えてしまっていた。その代わりに、激しく動揺している胸は痛いし、顔は熱い。


なんで、なんで知っているんだ…?!


昨夜何か勢いで口を滑らせてしまっただろうか、いや、流石にそれはなかったはずだ。「なんで、なんで」とわなわな歪む口元も隠さず、クリスに詰め寄るも当の本人は只笑うばかりだった。


「またな」


見上げた彼が、やんわりと笑う。

ああ、やっぱりこっちの意図や心配事なんて全部バレていたのだ。それが分かって、不意に涙が出てきた。


「お前意外と泣き虫だったんだな」
「う、うう、うるさいな…!」
「電話には出ろよ」
「分かってるよ!」


じゃあね!!


と、背を向けて大股で歩き出した。

……流石に、大人気なかっただろうか。

鼻を啜って振り向くと、まだそこにいたクリスが軽く手を上げてくれた。それに大きく手を振り返し、もう一度歩き始める。


踏み進める毎にぎゅっと締められるのは、罪悪感だ。

手を振るクリスは、ひどく優しい顔をしていた。その顔がさらに、心を痛くする。
あの表情に、私は見覚えがあった。似ているという表現で合っているんだろうか。それは銀河を見ているまどかだったり、まどかを見ている銀河だったり。


昔、銀河と喧嘩した私を慰めてくれた彼、


キョウヤも同じ顔をしていた。


どうして今、こんなにも鮮明に思い出してしまったのか。

耳を通り抜ける機内アナウンスに、再度鼻を啜った。




◇◇◇




帰国して数日。
暫くは怒涛の業務に追われ、慌ただしく時間が過ぎていった。
ベイブレードの新しいシステム開発や、少しずつ開催され始めたイベント事業の数々。最盛期に戻りつつある活気と、これからの新時代を思い胸は躍るばかりだった。お互いへとへとであるにも関わらず、確実に来ている前進の波に、まどかと連日夜通し語り合ってしまうほどに。


そんな夢中の日々が過ぎ、漸く落ち着いた頃。考えないようにしていた、ある疑問と直面していた。



キョウヤは、私のことが好きだったんだろうか。



人気のない休憩室のベンチで、ひとり天を仰ぐ。

窓から覗く穏やかな空に対し、なんと傲慢な疑問だろう。しかし、そんな考えが抱けるのはあまり現実味がないからだ。


橙の空には淡い紫が掛かり、ゆっくりと日が傾いていく。
最近はずっと遅かったし、最後にメールだけ確認して今日はもう終わりにしよう。そう勢いをつけて立ち上がり、休憩室を後にした。
しかし、もう頭を占める仕事らしい仕事がないのは分かっている。だからこそ、無理やり切ったはずの思考が戻ってくるのはとても早かった。


「現実味、ないよね」


零れた独り言に、返ってくる言葉はない。

分からなくなる。
現実味がないと言いながら、思い出す彼の表情や行動に少しだけ思い当たるものを感じてしまっていたからだ。分かりやすい言葉は、一度もなかったけれど。


(……願望だったりして)



長い廊下で思わず溜息をついてしまうと、心配させてしまったのかすれ違った職員の方が飴をくれた。口に含めば、ほんのりと甘さが広がっていく。疲れた頭には甘いものが効くのである。


ころころと飴を転がし、記憶を辿る。
思い出す表情も行動も、それはもしかして動き出さない未来が見せている私の願望なのだろうか。私がいつまでも、あの日の夢を見てしまうように。だとしたら、非常に質が悪すぎる。


けれど、それが願望だろうと現実だろうと分かっていることが一つある。
仮にキョウヤが私を好きでいてくれていたとしても、それは過去の話なのだ。だって、実際興味がないと言われてしまっている。私とクリスがどうなろうとも、キョウヤはハッキリ「関係ない」と言ったのだ。

だったら、もう駄目だろう。

気づくのが遅かったなあ、自分の気持ちに。
思い出すいろんな場面で、想いを告げるタイミングは多分あったはずだ。最も、気持ちを自覚していなかった私にとって、それは無理な話なのだけれど。

いつまでも、確証のない過去に囚われているのは私だけだ。



二度目の溜息をつくと、自然と足がトレーニングルームの扉を潜っていた。
特に用事はないのだが、通り抜ければ近道になるのである。いくら近道とはいえ普段は遠慮していたが、もう夕方で人も殆どいないだろうと自分を甘やかしてしまった。

スタジアムやトレーニング機材が揃う広い室内には、自分と同じく通り抜けを目的とした人や、休憩場所として利用している人がちらほらと見える。軽く体を動かすのにいいと、休憩時間をここで過ごす人は少なくない。


その中で、少し離れた場所にいる女の子が目に入った。
顔は見えないが、あの制服は事務員のものだ。ベンチに腰掛け、俯きがちの彼女の肩は呼吸に合わせ大きく揺れている。そして、その顔には両手でしっかりとタオルが押し当てられていた。

もしかして、具合が悪いのだろうか。

声をかけようと足を進めたその時、奥の扉が勢いよく開かれた。勢いそのまま飛び込んできた女の子は、慌ただしく視線を彷徨わせると、ある一点を見つめ走り出した。


「ちょっとアンタ、これどういうこと?!」


どうやら目的の人物は、座り込んだ彼女だったらしい。
同じ制服を着用した女の子は、物凄い剣幕で携帯画面を彼女に突きつけている。さらに両肩を掴み、前後にぶんぶんと振り回している。……だ、大丈夫だろうか。
全貌は分からないが、飛び飛びで二人の会話が聞こえてくる。只ならぬ雰囲気ではあるが、喧嘩ではなさそうだ。

友人関係なら、こちらから声をかけなくても大丈夫だろうか。
なんとなく二人の様子を気にしながら、奥の扉へと足を進めていく。

そうして会話がはっきり聞こえる距離まで近づいた時、とんでもない言葉が耳に入ってしまった。



「マジであの盾神キョウヤに振られたの?!」



え。


思わず止めたしまった足と、向けてしまった顔。
幸いにも、二人はこちらの様子に気づいてはいないようだった。


「はあー…マジ…無理…」
「え、ちょっと大丈夫?」


思い出した。

顔は隠れていたけれど、その涙声には聞き覚えがあった。
あの子だ、受付の彼女だ。
直接会話をしたことはなかったけれど、話にはよく聞いていた。キョウヤのファンだということも、割と有名な話だった。
いつも可愛らしい笑みを浮かべている、そんな印象の彼女。そんな彼女が、顔を隠すほどに泣き腫らしている。


キョウヤに、振られたから。


途端、さあっと青ざめていく感覚がした。


交わされる会話も耳に入らなくなり、只その場から動けずにいた。
すると、タオルから顔を外した彼女と目が合った。少しだけ化粧が崩れ、赤くなった瞳がこちらを見ている。
その視線に思わず、肩が跳ねた。そして、堪らず早足でその場から逃げ出してしまった。



◇◇◇


何故人はこういう時、逃げ場所にトイレを選んでしまうのか。
化粧台の鏡の前で、乱れた息を整えた。やけに煩い心臓は、何に対してこんなに跳ねているのか分かりもしない。

鏡に映る自分は、ひどく泣きそうな顔をしていた。先ほどのあの子の様に。



ーーいつまでも、確証のない過去に囚われているのは私だけだ



それは、少し嘘だった。
私は囚われているわけじゃない。自分から、動くことを拒んでいるだけだ。
だって動かなければ、そのままでいれば、少なくとも振られることはない。確証のない過去に、繰り返し見る夢に答え合わせをしないで済むのだ。

大切で堪らないあの瞬間を、美しいままにしておける。



「………あー、はは…」


そこまで気づいて、笑いが込み上げてきた。

ああ、きっとこれはあの時と同じだ。

何も知らなければ、気づかないでいられる。
信じたいものを信じていられる。
小さな世界に私ひとりではなかったと。
あの雨の日に、まだ二人でいるんだと。

でも現実はどうだ。少なくとも、大切な幼馴染と共有していた小さな世界は幻だった。
私ひとりの子供じみた、勝手に作り上げた世界。



なにも、成長してないじゃないか。



どうして分からなかったのだろう。
好きだなんて、分かってしまえばこんな単純気持ち。

私はずっと、気づかなかったんだろうか。それとも、気づかない振りをしていただけなんだろうか。今になって直面する感情に、心は乱されるばかりだった。



20210614


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