夏の秘密の手紙をくれた



「………。」
「俺のせいじゃないぞ」
「………知ってる」


目的地の遺跡の前で鉢合わせた人物に、がくりと肩が落ちた。分かってる、偶然だ、分かってる。
振り返れば、ここまで乗せてきてくれた現地の方は、時間になったら迎えに来ると既に車を走らせてしまっている。今更どうしようもないが、少しだけ帰りたくなっているのは事実だ。

準備の余裕もなかった心臓は、最早諦めに近い音でリズムを刻んでいた。ある意味、良かったのかもしれない。大きく息を吐いて顔を上げれば、なんてことないような顔でクリスはこちらを見ていた。


「クリスはどうしたの、仕事?」
「まあな。そっちは?」
「仕事の延長だけど、まあ観光だね。歴史ありそうだし、面白そうだし」
「なるほど」


徐に視線をずらし、お互いに顔を見合わせる。観光できるか、これ。笑いながら零す彼の言い分は、最もだった。
観光地特有の賑やかさと無縁の一帯には、二人分の話声しか響いてない。歴史の重さに優劣をつけるつもりはないが、まるで世界から切り離されたようなこの雰囲気になんとなく察した。
外部の人間がこんな古ぼけた遺跡を訪れる理由なんて、あって二つだろう。仕事か、よっぽどの物好きか。間違いなく後者の私は、最早仕事と趣味の境目がぼやけるほど、随分と探求心が育っていたようだ。


クリスはここに、何をしに来たのだろう。仕事の内容によっては、手伝えることはあるだろうか。

そう思い、
口を開き、
目が合って、


「?、なんだ」


何も言わずにもう一度閉じた。

駄目だ、やっぱり落ち着かない。現状を整理し始めた心臓が、じわじわと忙しなく動きだしている。

相手の言葉に甘えて、返事を先延ばしにしてしまっている自覚はあった。だからこそ、次に会ったら必ず返事を言おう、そう考えていた私にとってこれはいきなりすぎるのだ。
苦し紛れにリュックを背負い直し、意味もなく腕時計に目を落とす。そんなに動いているわけない、知ってる。

申し訳ないけれど、ここは何も言わないでおこう。心の中で謝りつつ、「じゃあ行くね」となるべく自然を装ってクリスの横を通り過ぎる。逃げたい気持ちに急かされて、「行くのか」という問いにも立ち止まらずに頷くことしかできない。クリスが何か言っているような気もするが、気のせいと決めつけ足を進めた。

すると、力強く取られた右腕に重心が傾く。

肩越しに見えた碧眼が、言った。


「付き合え」
「ッえ?!」
「最近、遺跡荒らしの被害が報告されてるらしい。俺への依頼はその調査だ」
「……あ、ああ」
「ひとりで行くよりマシだろ、……どうした?」
「…なんでもない……」


とても目が合わせれなくて、両手で顔を覆うしなかった。
情けなさと羞恥心に、思わず泣きたくなった。



◇◇◇


数時間後。


テキパキと指示を出すクリスを遠目に、近場の石段へ腰を下ろした。保安官に引き渡された遺跡荒らしの三人組も、今では気の抜けた表情を浮かべている。ふと目が合うと、なんともいえない表情で頭を下げられた。確かに伝わった思いに、私もお辞儀を返すしかなかった。


空は既に夕焼け色に染まっており、時間の経過を表していた。しかし、この疲労感は時間だけの問題ではなさそうだ。
帰ってきた、ようやく帰ってきたのだ。
ふつふつと沸き起こる解放感に空を仰ぐと、足音が近づいてくる。視線を向ければ、珍しく疲れた様子のクリスと目が合った。苦笑いで返すと、彼はそのまま隣へ腰を下ろした。


「終わり?」
「ああ、役目は終わった」
「お疲れ様ー」


溜息をつくのは、ほぼ同時だった。
合った視界に映るのは、数時間前とは打って変わったお互いの姿。泥まみれの服、頬に伸びる煤汚れ、セットしたはずの髪は見事に乱れ切っていた。

耐えきれずに吹き出してしまうと、クリスも釣られたのか小さく肩を震わせている。いよいよ声を上げて笑いだしてしまい、収まる頃にはお腹が攣りかけていた。


「あー…お、おかしくない?今時あんなのさあ、…あはっ、ある?」
「な、ないだろうな…」
「んふっ、ふ、だよね…!」



そう、この数時間で、私達はとんでもない大冒険をしてしまったのだ。

遺跡の奥には、明らかに件の人物と思われる三人組がいた。クリスは仕事が早く片付くと喜び、彼らの前へと進み出る。事態を察した相手とこちらで、一発触発の雰囲気になるのも束の間、事件は起こったのだ。

逃げる三人組、追う私達、

足に絡む古びたロープ、

千切れるロープ、

バランスを崩し右手をついた壁、

何故か沈む壁、


そして、不穏な雰囲気と共に揺れだす遺跡。


そこからは、もう余りに必死すぎて細かくは思い出せない。急に床は傾くわ、地面は抜けるわ、転がる岩からは全力で逃げ伸びた。なにこれ、意味が分からなすぎる。突然の水流に飲まれかけた時には、思わず死を覚悟してしまったくらいだ。

ファンタジーさながらのトラップの数々に、もう笑うことしかできなかった。
そして、この遺跡に人が近寄らない理由もよく分かった、こんなの命がいくつあっても足りない。


「へ、へび…へび見て、クリス、ふふ、っはは…」
「笑いすぎだろ」


しかし、普段からクールなクリスのなかなか見られない一面を見られた事は、少しだけ良かったと思っている。
頭上から降ってきた突然の蛇に遺跡荒らしさんが驚いて腰を抜かし、その様子も見たもうひとりが、クリスへと全力で泣きついた。突然抱きしめられたクリスは、今まで聞いたこともないような声で悲鳴を上げていた。青い顔でかました右ストレートは、見事に決まっていた。


「あの人たちも大丈夫かな」
「大丈夫だろ」
「ちゃんと反省してくれるといいけど」
「心葉の言葉は……っ、届いてるさっ」
「ちょっと」
「まさか、あの場で説教始めて、くっ、ふ…そのうえ身の上話まで聞いてやるなんて…」


当然というべきか、私達五人は運命共同体としてこの魔の遺跡からの脱出に手を取り合ったのだ。昨日の敵は今日の友というやつである。

何度も訪れる絶体絶命。これは罰が当たったのだと悲観し始める三人に、何度も「生きてーー!!!」と力強く語ってしまったのは私である。その場の雰囲気もあり、えらく熱い言葉を放ってしまった。
さらに、彼らのここに至るまでの経緯も聞き「人生がつらい?!でも生きましょう!!!」とヤケで言ったのも私である。悪いことは悪いことだけれど、人生にはいろいろある。

最終的には、「もう悪いことはしない、更生する…」の言葉に「それがいいですよ…!!」とお互い涙ながらに肩を組んでしまっていた。こうして生まれた確かな絆によって、私達はなんとか生きて帰ることができたのだ。
そういうことにしておく。


肩を震わせながら、クリスはその時の言葉を繰り返している。余程ツボだったらしい。改めて冷静な頭で聞くと、支離滅裂な内容に流石に恥ずかしくなってきた。
微かに涙を溜めて笑うクリスが、はあー、と大きく息をついた。ようやく落ち着いたようだ、いや笑いすぎじゃないだろうか。


「そういうところなんだろうな」
「どういうところ?」
「褒めたんだ」


笑顔で言い切られたこの雰囲気に、なんとも言えない気持ちになる。
苦し紛れに服を払うと、大量の砂埃が舞った。思わず噎せると、クリスがまた隣で笑いだした。悔しいのでその背中を叩けば、同じように砂埃が舞い上がりまた二人で笑ってしまった。

「でもまあ、こうして笑っていられるのはクリスのおかげだ」
「ん?」
「クリスがいなきゃ、間違いなくどこかで終わりだったよ」


それは本当のことで、クリスの機転に何度も助けられた。極限状態の数時間を思い出して笑えるのは、彼がいたからである。どこでそんなこと覚えたの?と何度口にしたか分からない程、彼の知識や経験は豊富で、本当に安心したのだ。


「恩人だ、ありがとう」


ひとつの冒険を終えて、自分まで少し成長できたような気がしてしまった。
ニッと笑って見せると、クリスはパチリと目を見開いていた。そして、徐にその右手が頬へと伸びてくる。驚いて身を引くより先に、その指が頬を掠めた。反射的に瞑った目を開けると、離れる親指は煤で薄く汚れていた。
慌てて自分でも拭えば、どうやら大分汚れていたようだ。思わず笑ってしまうと、彼は柔らかい目でこちら見て、

笑っていた。



「ああ」



その瞳に、すとんとある言葉が落ちてきた。



「ねえ、クリス」



呼びかけたところで、声が飛んで来る。どうやら車の用意ができたらしい。暗くなる前に戻ろうと、私達も腰を上げた。
数歩進んだところで、「何か言いかけたか?」とクリスが聞いてくる。


「後で言うよ」


それだけ言って、一緒に車に乗り込んだ。





◇◇◇





時折揺れる車のなかで、漸く終わったのだと実感した。それに招かれてきた疲労感に、一気に眠気が襲ってくる。耐えれるかと思ったが、限界だった。


「…ごめん、ちょっと寝てもいい?」
「ああ、着いたら起こす」
「うん、ありがとう」



決めた。


向こうに着いたら、クリスに言おう。
付き合おうか、って。

すとんと穴に嵌った心に、迷いはなかった。

これは告白になるんだろうか。そう思うと、急に恥ずかしさが込み上げてくる。人生初めての告白だった。なんて言えばいいのだろう、好きだと言えばいいんだろうか。……そもそも、好きなんだろうか?

彼に対するこの気持ちがどういうものなのか、正直まだ分かってはいない。だけど、きっと進んだ方がいいような気がした。いつかそのうち、ちゃんと分かるようになるのかもしれない。そして多分、これが大人になるって、成長するってことなんだろう。

ー付き合ってみたらいいじゃないか

思い出した言葉に、今なら笑顔で頷ける。少しづつでも、進んでみよう。

少しだけ早く動く心臓は、いつかに比べればずっと穏やかで、きっと上手くいくのだと思った。

頬に当たる夕焼けが眩しい。暖かくて、そのまま微睡みに飲まれていった。













いつの間にか薄暗い空。
耳を掠める雨音は、ずっと、鼓膜を揺らしていた。

夢心地の世界で、ゆっくりと目を閉じた。境界線をなくした体に、ずっと雨音が響いていく。
何をしていたんだっけ、何かを待っていたんだっけ。でも、まあいいか。思わず緩んでしまった口元に、別の音が入り込んだ。

足音が聞こえた。

誰か来た。あれ、違うかもしれない。もしかしたら、最初からいたのかもしれない。
だけど、その音を知っている。私は良く知っている。私の言葉に、なんて返ってくるかも全部知っている。

名前を呼ばれたような気がした。
珍しい、いつもは私から言うのに。
壊れない夢心地に、ゆっくりと目を開けた。






「心葉」

「…クリス」

「もう着いたぞ、…っどうした?」


溢れだす涙が、抑えられなかった。

違った、ここじゃなかった。


車から降りると、空には既に星が出ていた。
そんなことさえ胸が痛くて、嗚咽を漏らしながら謝ることしかできなかった。私、何をしようとした。何を言うつもりだった。
最低だ、本当に最低だ。罪悪感に塗れた言葉は、零しても零しても足りないような気がして、止めることができなかった。


「ごめっ…ごめんクリス、本当に、っごめ…」
「どうしたんだ急に」
「わた、私っ、…ックリスとは、付き合えない」


拭った涙の向こうで、クリスがぴたりと止まった。伸ばしかけた腕を下げ、彼は黙ってこちらを見ていた。


「何故?」


どうして、そんな優しい聞き方をするのだろう。細められた瞳に、ずっと閊えていた言葉が掬い上げられた。




「気になる人がいる」




進みたくなんてなかった、私はいつまでも、ここにいたかった。




20210527


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