眸でも交換してみる?



眉間に刻まれる怒りの皺が、時間と共に増えていく。基本穏やかな彼にここまでの表情をさせるのは、いつも決まって一人だ。
静かに威圧感を放つナイルに、ダムレと一緒に息を呑んだ。ダムレ曰くよくある光景とのことだが、何度見ても怖いものは怖いらしい。うん、その気持ちはよく分かる。


慣れない土地への遠征続きに頭も体も悩んでいた頃、ナイルからメッセージが入った。どうせこっちまで来ているなら、寄っていったらどうだ、と。もちろんすぐに返事を返した。単純に会いたい気持ちもあったのだが、なにより、慣れない土地での探索に知識も経験も足りないと痛感したばかりだったので、現地の彼らに聞いてみたいことが沢山あったのだ。この仕事を続けたいなら、学ぶべきことは山ほどある。

帰国が数日遅れることを本部へ告げ、早速ナイルとダムレに会いに行った。
ネメシスクライシス後、二人も共にアフリカ地方をまわっていたが、それも随分落ち着いたようだ。初めこそ行動を共にしていたキョウヤだが、彼はお父さんの会社を受け継ぐ話もあり一年足らずで日本に帰ってきた。しかしその時の経験は、きっと今でも活きているのだろう。
最近では、アフリカを拠点に活動する話も出ていたはずだが、どうなるのだろう。実際、ここ一年キョウヤは日本とアフリカを度々行き来していた。



あとはキョウヤか。ナイルのその言葉から一時間。待ち人、来ず。



まあキョウヤも忙しいしな。時間を守る奴でもないし。と初めこそ笑っていたのだが、メッセージにも反応がなく、電話にも出ない。
流石にちょっと不安になり、何かあったのかな?と言うと、ナイルは心配する様子もなく静かに笑っていた。その口元は、ある感情にひくひくと引き攣っている。どうやら珍しいことではないようで、ダムレも眉を下げ、今日は寝てるパターンかな?と言っている。他には、特訓に夢中になりすぎているパターンもあるらしい。うーん、凄くキョウヤだ。

私も連絡してみようか、そう言いかけて、連絡先を知らないことを思い出した。ナイルに聞けばいいのだろうけど、知らない番号だと出てくれないかもしれない。
悶々と頭を抱えていると、突然ナイルが立ち上がった。その勢いに思わずダムレと飛び跳ねると、キッとした瞳がこちらへと向いた。


「心葉、写真撮るぞ」
「え、あ、うん。急だね」
「アイツに送り付けてやる…。」


慣れない動きで自撮りを試みるナイルに、とりあえず同調してポーズを取る。よし、と写真を確認した後、ナイルは怪しい笑顔でメッセージを打ち込んでいる。三人ぞれぞれに別の表情を浮かべた、なんとも面白い写真だった。あとで私にも送ってくれないだろうか。

「…よし、これですぐ来るだろ」
「来るかな?」
「来るさ、絶対」
「本当に?」
「ま、まあ仲間外れはよくないからね」

乾いた笑い声を零しているダムレは、写真同様に困った笑みを浮かべている。隣に視線を移せば、ナイルも先程とは打って変わりスッキリとした笑みを浮かべていた。そんなに上手くいくだろうか。
半信半疑で待つこと15分、見慣れたシルエットが近づいてくる。引き攣った表情のキョウヤを確認するや否や、ナイルは大声で笑いだした。



◇◇◇



街中だというのに、星がよく見える。

どっぷりと包みこむ星空は、ちっとも眠気を誘ってくれなかった。
淡い街灯に生みだされた影が、石壁へと映し出される。立ち止まって右手で形を作り、見た目よりも立派な狼が一歩前の背を追いかける。振り返ったそれに大きく口を広げるも、
「ガキかよ」の一言で戦意は喪失。指を解いた。短い命だった。



ホテルまでの道のりを、ぼんやりと歩き進める。風の音、足音、日常とは全く違うそれらのなかで、見慣れた人物が傍にいるという不思議な感覚。
「一人で帰れるよ?」「日本じゃねえんだぞ」本心で言った言葉には、盛大な溜息三つ分が返ってきた。確かに、今この道をひとりで歩いていたとしたら、大分景色の見え方は変わっていたかもしれない。夜の闇に包まれた街並みも、石壁に伸びる大きな影も、足元に絡む土埃も。

立ち止まって振り返ると、まるで風の流れが見えるようだ。なんて静か。話し込んでいる人達も、お店を片付けている人も、背景に溶け込んでしまっている。日本じゃないんだなあ、当たり前だけど。


呼ばれて振り返ると、少し先でキョウヤがこちらを見ていた。小走りで戻り、思ったことをそのまま伝える。彼は、鼻で笑っていた。


「平和ボケしてんな」
「いいことじゃない」
「まあな」


並んで歩きながら、思いついた事をそのまま話していく。キョウヤは適当に相槌を打っているだけだが、なんだかんだお喋りに付き合ってくれる。今更無言が苦しいわけではないけれど、久しぶりに会えたということもあり、話題が尽きなかった。

そんな非日常の中の日常は、確かに心を落ち着かせるものがあった。随分と自分が切羽詰まっていたことを知り、ぐっと伸びをする。
すると、カバンから聞き慣れた着信音が聞こえてきた。

一言断って携帯を取り出し、画面を見て、固まった。

緩やかな波に乗っていた心臓は、急に激流にでも投げ出されたようだ。鳴り響く携帯と睨み合い、顔面がみるみる強張っていく。「出ないのか?」と問われたので、「出るよ」と返した。言ったからには、出なくちゃいけない。恐る恐る画面をタップし、耳元へと当てる。鳴り止んだ着信音は、退路が断たれたようでなんとも恐ろしかった。


「…もしもし」
『出ないかと思ったぞ』
「直球じゃん…」


驚いたように言うクリスだが、その理由が分かっているのか、まあいいと笑っていた。その声が鼓膜を揺らす度に、落ち着かなくなる。仕事で何度もやり取りしたことはあったが、電話がくるのは初めてだった。過敏になるなという方が無理な話だ。
空いた右手が手持無沙汰で、指の腹を何度も擦り合わせていた。


『安心しろ、別にお前が思っている内容じゃない』
「う、うん」
『別に話してもいいが』
「やっややめてよ」
『冗談だ、仕事の話だ。…今平気だったか?』


隣を見ると、キョウヤが不思議そうに首を傾け「なんだよ」と言っている。その声が届いたのか、クリスが僅かに反応したのが分かった。別にキョウヤなら大丈夫な気もするが、話の長さも分からず、なによりこの状況でまともに話ができるとは思えなかった。
そして、さっきから小声になってしまうのは何故なのか。


「ごめん、後でかけ直すよ」
『誰かと一緒か?』
「うん、今キョウヤと一緒で」
『キョウヤ?』


食い気味で届いたクリスの言葉に、ワンテンポ遅れて返事を返した。すると暫く音が止み、なんともいえない静寂が訪れる。その数秒も耐えきれず、もしもし?と言うと『キョウヤに代わってくれ』とすぐに返事が返ってきた。その声は、分かりやすく楽し気だ。というよりも、語尾は既に笑ってしまっている。
恐る恐る携帯を手渡すと、当然のように怪訝な顔が返ってくる。電話口の相手がクリスだと伝えると、キョウヤの顔はさらに険しくなった。あれ、この二人仲悪かっただろうか?
キョウヤは受け取った携帯を暫く見つめ、しっかりとそれを耳元へ当てた。


「なんだよ」


キョウヤは数言交わすと、後は低い声で返事をしている。クリスに何か言われているのだろうが内容までは分からない。しかし絶対良いことではないのだろう。「は?」「うるせえ」「黙ってろ」とリズムよく続く文句と、増えていく青筋。最終的には、関係ねえだろ!と完全に切れた様子で通話を切っていた。

呼吸に合わせ上下する肩を見つめていると、携帯を突き返される。私の携帯だが、扱いになんとも同情してしまう。舌打ち付きだ。喧嘩でもしたんだろうか。少なくとも、クリスにそんな雰囲気はなかったと思うのだけど。

携帯を仕舞い込むと、キョウヤは既に早足で歩き出していた。みるみる離れていく背に呼びかけても、一向に距離は広がっていく。


「待ってよキョウ、っわ、」


慌てて追いかけると、慣れない地面に足を取られた。まずい、と思って突き出した両手が地面につくことはなく、覚悟した衝撃も思ったより呆気なかった。
分かり切って顔を上げたはずなのに、思ったよりもずっと近くにキョウヤの顔はあった。


「何やってんだよ」
「あはは、ありがとう」
「……変わんねえな、本当」
「それを言うならキョウヤだって」
「あ?」
「ずっと優しい」


本心だった。なんの飾りも、偽りもない。
それなのに、月明かりが滑る表情は先程までの怒りをどうしたのか、随分と色がない。
捕られた右手と肩に乗る手が、なんだか知らない人の手のようだ。その指に力が入ると何故か体が震えてしまう。だけど、暖かい。

中途半端な体を起こし、キョウヤへと視線を返す。黙ってしまったキョウヤに、何故かこっちまで口が開かなくなってしまう。右手から行き来する熱が段々恥ずかしくなり、思わず引いてみるがびくともしなかった。
開けない口の代わりに首を傾げて見せると、その口が小さく動いた。聞き取れずに再度首を傾けると、真っすぐな瞳がこちらを見ていた。


「クリスの奴どうすんだ」
「ッは?!」


それは、予想外だ。言葉足らずな内容でも、意味がしっかり伝わってしまった。自分でも驚くほどの声量だった。


「なんで、知って、え、……もしかして、さっきクリスが?」
「ちげえ」
「じゃ、じゃあなんで」
「あー…、色々だ」
「色々ってなによ色々って。ていうか、ちゃちゃんと断ったよ」
「へえ、」


慌ただしく零れる言葉に、どれほどの説得力があったのか。しかし、必死なのだ。無駄に切れている息がその証拠に。
ずっとうるさい心臓に、難しいことが考えられなくなる。悲しい気持ちなんて何もないのに、目の奥がじんわりと熱い。情けなく視線を泳がせていると、「まあ、」と気の抜けた声が飛んで来る。見上げた先の表情は、私と同じで良く分からない場所を見ていた。


「別に、関係ねえけどな」


一呼吸置いて、ふーんと返した。
目の奥の熱さはなくなっていた。


「…そういうキョウヤだって、WBBAの受付の子とどうなのよ」
「はあ?」
「可愛いもんね、受付嬢最高だよね」
「誰だそれ知らねえ」
「あれだけ話に出てて知らない訳ないでしょ。昔からキョウヤのファンらしいじゃない、良かったね」
「てめえこそ、こんな時間に電話してくるなんざ随分クリスと仲良くしてんだな?」
「ちっがうよ、電話なんて初めてだしそもそも仕事の話だって言ってたよ」
「ハッ、どうだかな」
「大体キョウヤにそんなこと言われ、」


そこで、ぴたりと止まる。向かい合う口を閉じたのは、ほぼ同時だった。


「なんでこんな話してるんだろうね」
「本当にな」


つらつらと続いた言葉に、苛立ちも怒りも何もなかった。むしろ可笑しさが込み上げてきて、僅かに口元が上がってしまう。
ぽつりぽつりと、余りに静かな言い合い。これはきっと、大人になったからではない。だって少なくとも、未だにキョウヤは感情的になると、全力でそれをぶつけてくるはずなのだから。


「ありえねえだろ」


喧嘩とも呼べない、只のお喋りだ。


「うん、ありえないよ」


いつの間にか手は離れ、もう一度横に並んで歩き出す。広い通りに出たところで、キョウヤがあたりを見回した。「ホテルはあっちの通りにあるから、こっちだよ」と続く道を指を差せば、彼はこちらへと足を向ける。しかし、一歩進んで、ぴたりと止まった。

「…なら、こっちのが早えだろ」
「そっか」

正しい道へと向き直った彼に、私も後ろをついていく。

知ってる。ちゃんと言葉にできるなら、こんな私になってない。



20210521


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