Lady,ready go! 雲一つない晴天。 突き抜ける太陽が、肌をじんわりと焦がしていく。夏の匂いを吸い込むと、ひと際大きい風がお気に入りのワンピースを揺らした。 ふと、耳で捉えたプロペラの音に顔を上げる。眩さを背景にこちらへと飛んで来るヘリは、私が待ち望んでいたもので間違いない。 込み上げる興奮を零さないようきゅっと口元を引き締め、仁王立ちで腕を組んだ。 ヘリポートへ着陸したヘリから、ひとりの少年が下りてきた。太陽に透ける金髪からは、深い碧眼が覗いている。 こちらに気づいた彼が、進めていた足をぴたりと止めた。視線が合って数秒、彼はやんわりと微笑んでから目を伏せる。言葉はなくとも伝わった意思に、私も大きく頷き返した。 彼はゆっくり顔上げる。 私は足に力を込める。 そして、 「帰る」 「待ってええええ!!帰らないでえええ!!」 「おい放せ!足にしがみつ…、っこら!やめっくそ意外と力強いなコイツ」 「撤収―!!今のうちに撤収―!!!」 「あ、くそっ!」 光の速さで彼の足に飛びつき、背後のヘリへと撤収指示を出す。我が家専属の運転手は、上手くやれよと親指を立てそのまま飛び去っていった。流石だ、話が早い。 右足にしがみつく私を引きずりながら帰ろうとする彼、クリス君も、流石にヘリが行ってしまったのでは帰りようがないだろう。 都会から離れ海辺の崖沿いに建つこの別荘は、船やヘリでの移動手段が主だ。彼の退路が完全に断たれたことを確認してから、その足を離した。 今日一番の難関だと思われた、クリス君引き止め大作戦も成功し、ひとり勝利の汗を拭う。そんな私の隣で、クリス君は無の境地で離れ行くヘリを見つめていた。 気を取り直してワンピースを叩き、「いらっしゃい!」と声をかけると、クリス君は壊れた機械の様にぎこちなく振り向いた。 「……オーナーは」 「パパは今日一日仕事です」 「………俺は、オーナーから依頼のメール受けた」 「私がパパのパソコンから打ったんです」 感情を抑え込んでいるのか、クリス君はゆっくりと一言一言丁寧に言葉を放っている。偉い、自分の感情をちゃんとコントロールしようとするなんて、私には到底できない。 暑いから早くお屋敷に戻りたかったけれど、クリス君が何やら考え込んでいるようなので、ちゃんと黙って待っていた。それくらいの我慢はできる。暇だったので彼の靴紐を解いて遊んでいたが、その間も反応はない。そしてついに決まったのか、クリス君は迷いのない瞳で顔を上げた。 「帰る」 「ヘリ行っちゃいましたよ」 「……徒歩で帰る」 「街まで何日かかると思ってるんですか。いいですか、この別荘はひいおじい様が都会の喧騒に疲れたクリス君に休んでほしいな〜私と沢山遊んで欲しいな〜って願いを込めて建てた別荘なんですよ」 「そんな訳ないだろ」 「だからひいひいおじい様のためにも、今日は私と一緒に遊びましょう」 「子供と遊んでいる程、俺は暇じゃない」 「なんですか!ひいひいひいおじい様に逆らうんですか!」 「嘘でもせめて設定を統一しろ…」 肩を落としたクリス君へ、とりあえず中に入りましょうと声をかける。 知っている、こういう時は戦意を喪失させた方が勝ちなのだ。既にどうにでもなれといった状態のクリス君の手を引き、応接間へと案内した。 シーザー・コンツェルンと並び世界的大企業となっている父の会社は、年々多岐に事業展開を進めている。世界を熱狂させ、そして一時は破滅にも導きかけたベイブレードもそのひとつだ。クリス君と父がどういう経緯で知り合ったのかは分からないが、クリス君がブレーダーである以上、恐らく仕事関係で知り合ったのだろう。 しかし、私にはそんなこと正直どうでもよく、偶に家にやってくる年上のお兄ちゃんという存在が気になって仕様がなかったのだ。遊んでほしくていつも周りをちょろちょろしていたのだが、彼はいつも忙しいと相手にしてくれない。だから今日は、強行手段に出たのである。 運ばれてきた紅茶は薄っすらと湯気を立て、甘いクッキーの香りが鼻を掠める。テーブルの上のそれらを見つめ、暫くは黙っていた彼だが恐らく完全に糸が切れたのだろう。紅茶へと手を伸ばし、溜息をついた。 「アンタがオーナーの娘じゃなかったら、こうはいかない」 「一族の血にマジ感謝です」 「そもそも、なんでお前があのアドレスから連絡を寄越した。オーナーもグルか?」 「いえ、パパは何も知りませんよ。私がクリス君と会いたかったから依頼を出しただけです」 「これは依頼とはいえない」 「え!」 「現状のどこに仕事要素がある」 「だっていつもパパがメールをするとクリス君が来て、お話して帰ってるじゃないですか」 「それがどうした」 「お金を払えば会えるシステムなんだと思ってました」 「そういうシステムではない」 「仕事の打ち合わせをしているんだ!」と、クリス君は怒りながらもカップを静かにソーサーへ置いた。偉い、怒っててもちゃんと食器を丁寧に扱うなんて、私には到底できない。 「これを飲んだら失礼する」 「え!」 クリス君の本気の声に、私は焦った。 お茶の一杯に付き合ってくれただけでも、今日は確かに大成功といえる。しかし、ここまで来れたのなら、さらに彼との関係を進めたいと思うのは必然といえよう。せめて、もう少し私に興味を持ってほしい。 なんとか彼を引き止める方法を考えるが、これといった案は浮かばない。 そんなこちらの焦りなど気にも止めず、クリス君は紅茶のおかわりを勧めるメイドさんに、あくまで丁寧断りをいれていた。偉い、相手の気分を害することなくちゃんとNOが言えるなんて、私には到底できない。 パパとクリス君はお仕事……つまりお互いに利益になることがあるから、良好な関係を築けているはず。 つまり私も、何か彼にとって利になることを差し出させればいいのだ。先生が言ってた!自己PRには、自分の情報にプラスして、相手にとってのお得情報を付け足すのが定石だよって! だとしたら、私にできることはひとつである。 今にも立ち上がりそうだったクリス君は、私の目を見てぴたりと動きを止めた。 当然だ。私は今、マジなのである。 「…クリス君、どうして私がパパのパソコンからメールを送れたのか気になりません?」 「は?ああ、まあ」 「パパのパソコンのパスワードって、私の誕生日なんですよ」 「言っていいのか」 「つまりどういうことだか分かります?」 怪訝そうに首を傾げ、さあと曖昧な回答が返ってくる。勘の悪いクリス君へ、身を乗り出して耳打ちをした。 「私の誕生日に興味を持ってくれれば、パパのパソコンいつでも開き放題ですよ!!」 「父親にリスクを背負わせすぎだろ」 なんでそこまでと言うが、私だってこんな真似はしたくない。普通の過程を経てお友達になりたいのだ。 しかし、時間はまだある。自己PRは終わり良ければ全て良しだ。これも先生が言ってた。 「気になりませんか…大企業の社長のプライベートパソコン…」 「それは…」 「ネタバレをしておくと、画像フォルダは私の成長過程でいっぱいですよ…」 「今ので興味が無くなった」 「え!」 「興味が湧いても問題だぞ!」 「どうして!私が六歳の時に企画した、顧客データ流出ドッキリとか爆笑必至ですよ!」 「トラウマになるだろ」 「パパは今でも偶に夢を見るそうです」 「トラウマになってるだろ」 話が違うよ先生!!!!クリス君全然興味持ってくれないよ!!!! 今日一番の溜息をつき、クリス君はいよいよ立ち上がった。去り際に、メイドさんへ紅茶のお礼を述べている。偉い、どんな時もお礼を忘れないなんて、私には到底でき……もしかして私できないこと多い?これは反省しなくちゃいけない。 スマートな対応に思わず見とれてしまったが、慌ててその後を追いかける。いつも通り足にしがみつくが、今度は引きずられることなく「放せ」と諭されてしまう。怒った風でもなく、子供に言い聞かせるように。この対応をされるということは、そろそろタイムリミットだ。 今日は随分と遊んでくれた方だ。実はもう満足しているのだが、やはり離れがたいものはあってついつい話を引き延ばしてしまう。 「知ってるんですよ、クリス君最近お友達が沢山できたみたいじゃないですか!」 「……それがどうした」 実は知っていた、随分前からクリス君の雰囲気が凄く優しくなったことを。だからこそ、私だってクリス君ともっと仲良くなりたいと思ったのだ。そして何より、今なら大抵のことは許してもらえそうな気がしていた。少なくともいきなり靴紐を解いても怒られなかった。クリス君は優しい。なんだかんだ、ここまで付き合ってくれたことが良い証拠だろう。 父伝てに聞くと、クリス君も先の大事件のなかで、素敵な仲間に出会えたらしい。私の言葉に特に否定をしないあたり、きっと本当に良いお友達ができたのだろう。 単純にすごく羨ましい。絶対私の方が長い付き合いだというのに、そのお友達はクリス君のいろんな面を知っているのか。 クリス君はお友達と、どんなことをして遊ぶのだろう。ずっと顰め面の彼が、お友達と笑い合う姿を想像して、ひどく悔しい気持ちになった。 「ずるい!!」 「ん?」 「私だって借金まみれのクリス君に約束手形を渡したり、ゴールギリギリで宇宙旅行へ追いやられたクリス君を見てお腹の底から笑いたいです!!」 「おい、俺は何をさせられてるんだ」 「パパは仕事で忙しいし、平日はずっと習い事だし、そんなんだから、お休みに一緒に遊んでくれるお友達もできないし…」 「……。」 「ひとりは寂しいです」 きゅっと口を結び、じっとクリス君を見上げる。クリス君の瞳には、随分と駄々をこねた子供が映っているのだろう。 それにしても、足にしがみついているもんだから、見上げるのも一苦労だ。じっと瞳の攻防戦に勤しんでいたが、そろそろ首が限界である。先に折れたのは私だ、くそう、次は負けない。 「……ごめんなさい」 立ち上がり頭を下げた。首が痛いから恐る恐るだ。悔しいけれど、敗者としてきちんと礼儀を尽くさなくちゃいけない。 じっと黙って返事を待ったが、クリス君からの反応はない。……もしかして帰っちゃった?!慌てて顔を上げたら、幸いなことにクリス君はまだそこにいてくれた。そして首は痛い。 「……今日だけだ」 クリス君が、不意に言った。 「え」 「今日だけは付き合ってやる」 そう言って、私の横を通り過ぎ応接間へと戻っていく。 その背中を見て、胸がきゅっとなる。込み上げてきた感情が言葉になりそうだったが、なんとかそれは飲み込んだ。 クリス君…… …ちょっっっろいな?!?! どうしよう、咄嗟にそれっぽいこと言っちゃったけど、実は明日もお友達とお買い物からの海水浴からのバーベキューからの花火からの天体観測という陽キャも胸やけする遊び尽くしなんだ。 人の優しさにつけ込んでしまった……。これが、悪い女になるっていうことか……。ひと夏の経験だ。心がほろ苦い。 「どうした、遊ばないのか?」 「遊びます!!!」 振り返ったクリス君に、両手を上げて返事をする。嬉しいものは嬉しい。とりあえず、今はこの設定を貫くしかない。そして、そうだね、うん。 よし、忘れたふりして三か月後くらいにまた呼びだそう。 次回の作戦を考えながら、その背中を追いかけた 20210828 ← ×
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