フェアリーテイルにご用心



 小さい頃、お母さんに読んでもらった絵本がある。
 森で迷った女の子が、出口を探しているうちにどんどん森の奥へ入ってしまう、不思議でちょっぴり怖いお話。女の子はどうなったのか。確かそこで出会った心優しい動物達や森の妖精の力を借りて、無事にお家に帰れたはず。そして、女の子はその小さな冒険話をお母さんに聞かせてあげるのだ。
 最後のページでは、興奮気味に話す女の子へお母さんから一言。今にして思えば、この言葉こそ作者が読者に最も伝えたいメッセ―ジだったのだろう。

 森で迷ったら無闇に歩いちゃダメよ、と。

「なあんで歩いちゃったかなもおおおお」

 お腹の底から出た嘆きには、鳥の羽ばたく音しか返ってこなかった。上空で不気味に響いたそれに顔を上げると、空は既に夕暮れに染まっている。じんわりと涙が浮かんでくるが、泣いたって状況が解決するわけじゃない。分かってる。

 友人達と野鳥観察へ訪れた森の中、街中では見ることのできない沢山の鳥たちに目を奪われていると、ひと際目を引く鳥を見つけた。青く美しいその姿は、幸せを運ぶというかの姿とそっくりだったのだ。
「ねえ、もしかして幸せの青い鳥じゃない?!」
「そいつ家の中にいるよ」
「ネタバレ地雷です!!!」
 双眼鏡を覗き込んだまま、流れるようにネタバレをかました友人。
 私は走った。私は友人が好きだ。けれどもネタバレに対しては、人一倍に敏感であった。
 しかし秒で気づいた。いや、これは普通に読んでなかった私が悪いな…?
 ハッとしてあたりを見回せば、そこは既に緑一色の世界だった。迷子だ。全部自業自得である。しかも、迷ったと気づいた時点で止まれば良かったくせに、不安が不安を煽り歩かずにはいられなかったのだ。残念なお知らせをすると、今も尚、歩き続けている。

 最早止まるタイミングを見失ってしまった部分もあり、同じ場所で行ったり来たりを繰り返していた。いい加減止まりたいのに、足が本能に従って動いている。どうしたものかと悩んでいると、少し先に大きな切り株が見えた。よし、あそこで休憩しよう。
 あそこまでいったら、絶対に足を止める。不安が不安を呼んでも絶対止まる。止まる止まる止まる止まる…
 そう心に決め辿り着いた切り株に、意を決して腰を下ろした。

 と、止まった……!!!

 パニックだったとはいえ、こんなにも非合理な行動をとってしまうとは思わなかった。
 本能とは恐ろしい。……本能?そこで、ハッと思い出した。そう、先週友人達と行った前世占いで私は前世はマグロだと言われていた。友人には「草」と一言で片づけられてしまったが、今全て納得した。私は進むしかなかったのだ。止まれなかったのだ。最早迷ったのは前世からの宿命といっても過言ではない。
 しかし、今私は立ち止まることができた。この輪廻を断ち切ったのだ。

「たっ……」

 断ち切るの遅いよおおおおおッッ…!!!

 ―――全部、遅い。
 むしろ、輪廻ついでに今生からも離脱しちゃいそうな状況である。それは良くない。
 ひと際大きな風が吹けば、重なる葉がいくつもの音を鳴らし、橙の世界に真っ黒な影が揺れている。恐怖心からぎゅっと拳を握りしめるが、覚悟はできていた。
 あの絵本のように、私は動物の言葉を理解することはできない。見かけた野うさぎに試しに声をかけてみたが、アイツ等ぴょんどころか鳴きもしなかった。でも可愛いから許した。
 動物達の力を借りられない以上、私にできることはひとつしかない。

 やるしかない、そう、妖精召喚を。

 腰かけていた切り株から立ち上がり、右ポケットに大量に詰め込んでいたドングリを広げる。拾い集めたこのドングリを捧げものに、妖精さんを呼び出す。左ポケットにもパンパンに入っているが、これはストックとしてまだ取っておく。ちょっとドングリ足りないよって言われた時の追加用だ。
 切り株の上に広がるドングリへ手を翳し、じゃらじゃらと混ぜながら目を閉じて念を込めてみる。ちなみに妖精召喚なんて方法も知らないしやったこともない。こういうのは勢いだ。
 確か記憶では、森の中に昔から住んでる大中小の某妖精もどんぐりを集めていたはず。だから多分妖精はドングリが好きだ、つまり可能性はゼロじゃない。だって森の大先輩も集めるドングリだよ?きっと年代問わずどの妖精にもヒットするはず。大物を狙おうとは思わない、この状況を打開できるだけの力、欲しいのはそれだけだ。

 すっと息を吸った。

「餌だよ〜楽しいよ〜美味しいよ〜」
じゃらじゃらじゃらじゃら
「拾いたてだよ〜ほやほやだよ〜」
じゃらじゃらじゃら
「あのー…」
「お、交信繋がって来たな」じゃらじゃら
「えっと、もしもーし」
「周波数ここっぽいな、なるほど」じゃら
「聞こえてますか?」
「こんにちは」
「こ、こんにちは…」
「突然すみません」
「は、はい」
「単刀直入に要件を申し上げますと」
「ええ」
「迷子なので助けてください」
「………わ、分かりました…」

 できた!!!
 人間やればなんでもできるもんだ。
 集中させていた念を解き、ぱちっと目を開ける。すると、切り株を挟んで正面に水色の髪をした男の子が私と同じようにしゃがみ込んでこちらを見ていた。
 目が合って、思わず息を呑む。実際に妖精を見るのは初めてだが、結構大きいというか、完全に人型だ。見た目だけでいえば、私と同じくらいの男の子にしか見えない。
 だけど、折角出てきてくれた妖精さんだ。人間として敬意を払わなくてはならない。
 勝手に手のひらサイズのフェアリーを想像していたので、ちょっとビビってしまっているのが本音だ。妖精界のことは分からないが、これだけの人型を取れるって割と大物なんじゃないだろうか。

「えっと、じゃあ、森の出口まで案内しますね…?」
「ありがとうございます!!」

 立ち上がった妖精さんに続き、私も立ち上がってカバンを背負い直した。妖精さんは切り株に広がるドングリをひとつ掴み、私の顔ときょろきょろと不安げに見比べている。遠慮しているのだろうか、なんて謙虚な妖精さんだ。
 ゆっくりと歩き始める妖精さんの背中を、私も同じ歩幅で追いかけていく。本当はいろいろとお話をしてみたいが、自分でもあまり頭が良くないのは自覚しているので何を話せばいいかが分からないのだ。失礼があってはならない。
 それに、漸く今になって本物の妖精さんに会えたという感動に胸がいっぱいなのだ。時折振り返る妖精さんに、隠し切れない笑みを浮かべてしまう。彼も結構無口な妖精さんだ。もしかしたら、彼もこうして人間と関わるのは初めてなんだろうか。だとしたら、ずっと不安げなその表情も頷ける。
 うんうんとひとり頷いている間も、妖精さんは薄暗い道をすいすいと進んでいく。悩むことなく進んでいくその様子を見るに、この森はきっと彼らにとって庭みたいなものなのだろう。頼りなるその背中に、込み上げてきた感動が思わず口から零れてしまった。

「妖精さんだ…」
「え?」
「あ、いえ、なんでも」
「そういえば、自己紹介がまだでしたね」
「あ、そうですね」
「僕は氷魔といいます」
「氷魔さん!」
「はい。氷山の氷に魔物の魔で、氷魔です」
「魔物だった…」
「え?」
「あ、あ、あ、いえ、ななんでも」

 やってしまったーーッッ!!!魔物だった!!!
 まさか、ドングリの儀で呼び出したのは妖精さんじゃなくて魔物だったとは。どうしよう、全然気が付かなかった。やはり素人の儀式はリスクが大きかった。
 サァッと血の気が引いていく。まずい、これはまずい展開なのでは…?!
 彼に連れられ歩き出し、結構の距離は歩いている。私、一体どこに連れていかれているのだろう。魔物だよ?絶対出口に案内なんてしてくれるわけないじゃん?!ダメだ、終わった――。

「そういえば、貴女のお名前は?」

 その質問とにこやかな笑顔に、息が止まった。
 知ってる、これって確か真名を教えるといけないやつだ。握られてはいけないやつだ。なんかのゲームで言ってた。
 絶望的な状況に変わりはない。けれど、僅かな抵抗として自分の名前ではなく憧れの先輩の苗字を名乗った。人としてはダメだが、乙女としては正直満たされた。人生最後かもしれないんだ、これくらいの我儘は見逃してほしい。

 ぽつりぽつりと会話をし、暗がりの道を歩き進めていく。
 逃げ出したい気持ちでいっぱいなのに、既に闇へと包まれた空間では後戻りすることも、立ち止まることも怖くてできなかった。そういえば私前世マグロじゃん、止まれねえんだわ…宿命だから…。
 断ち切れない輪廻の重みを感じながら、重たい足を動かしていく。すると、氷魔さんの足がぴたりと止まり「着きましたよ」と声をかけられる。
 顔を上げた先は恐らく魔物の住処だ。でも、これも全部自業自得。せめて痛くしないでくれええ―――必死に涙を堪え、顔を上げた。

「え?」

 目の前には、見覚えのある大きな通りが広がっている。間違いない、友人達と歩いてきた道だ。なんなら遠目には、懐中電灯の明かりがちらついており私を呼ぶ友人達の声が僅かに聞こえてくる。
 思わず氷魔さんに振り返ると、にっこりと笑いかけられた。

「あとはここを真っすぐ行けば、明るい通りに出られますから」
「え、あの」
「あの明かり、恐らくご友人ですよね?」
「は、はい…」
「それなら良かった」

 もしかして、氷魔さんは魔物じゃなくて本当に妖精さんだったのではないだろうか。だって、実際私は助かったのだ。森から出ることもできた。
 じっとその目を見つめれば、不思議そうに首を傾げられる。私、随分と失礼なことを考えてしまっていたようだ。そうだよ、こんな優しい目をした人が魔物なわけがないじゃないか。謝りたいけれど、魔物と勘違いしちゃいましたなんて敢えて言葉にするものおかしな話だ。
 わたわたと口を動かしていると、友人達の声が近づいてくる。その声は氷魔さんにも届いたようで、安心したように頷いていた。

「それじゃあ、僕はこれで」
「あ、あの」
「はい?」
「お礼はドングリでいいですか?」
「お気持ちだけで十分です」

 また遠慮してる!!この謙虚さ、絶対妖精さんだ……。
 しかし、今私が差し出せるのはそれくらいしかないのだ。お詫びと感謝の印にせめて受け取ってほしい。
 慌てて左ポケットからドングリを出そうとするも、パンパンに入っていて上手く取り出すことができない。何とか両手いっぱいのドングリを出し終えた頃には、氷魔さんの姿はなくなっていた。音もなかった。

「絶対妖精さんだ……」

 残されたのは、両手いっぱいのドングリと幻を見たような不思議な感覚だけだった。



 そんな不思議体験から数か月後。
 私はベイブレード好きの友人に誘われて、バトルブレーダーズへと来ていた。友人曰くお席が二席ご用意されたが、一緒に行くはずだった子が体調を崩してしまったらしい。私がベイブレードにちょっと興味があると言っていたことを覚えてくれていたようで、声をかけてもらえたのである。あと、席に穴を空けたくなかったとか。うーん、ファンの鑑。
 といっても、当の友人は急用で開場時間に間に合わず揃って途中入場だ。今日の一回戦は殆ど見れないが、明日以降もお席はご用意してもらえたらしいので二回戦からはしっかりと観戦できそうである。
 初めての大会観戦にドキドキしながらスタジアムへと足を踏み入れ、思わずえっ、と声を上げてしまった。そこで戦っていたのはなんとあの時の妖精さんだった。

「妖精さん…?!」
「え?」
「い、いや、なんでも」

 友人に悟られないよう、どくどくと煩い心臓をなんとか落ち着ける。
 え、なんで妖精さんがここに…?!
 妖精さんもベイブレードするんだとかそういう疑問も勿論なのだが、なんというか、気になるのはそれだけでなかった。大会初観戦の私にだって分かる、この異様な空気。試合というよりこれは、どう見ても妖精さんが痛めつけられているのだ。
 全く飲み込めない状況に、胸がざわざわと不安に染まっていく。友人がいろいろ解説してくれているが、全く耳に入ってこない。
 止まない妖精さんへの攻撃に、ひとつの可能性へ行き着いた。

 まさか、妖精さん、人間に捕まって…?

 これはベイバトルと称した、何かこう、秘密裏に行われている儀式の一環ではないだろうか。だってそうじゃなきゃ、妖精さんが態々人間界に降りてきてベイブレードをしてる理由なんて考えられない。なに、一体ここで何が行われているんだ。
 しかし、それが分かったところで私にできることはなかった。見るに堪えない攻撃の数々に、情けない悲鳴が零れるばかり。途中からは直視することもできず、ぎゅっと目を瞑り残酷な破壊音を聞くことしかできなかった。
 彼は、妖精さんは、多分強いられているだけなんだ。こんなの試合じゃない。私だけが知っているのに、妖精さんはあの時私を助けてくれたのに、何もしてあげられない。苦しくて、涙を堪えることはできなかった。
 試合終了後も、会場はなんともいえない空気に包まれていた。

「いやあー、初観戦がこれってなかなかハードだったけど…。どうだった?」
「人間は……醜いッ…!!」
「哲学的だねえ」
「ベイバトルって、何…?」
「哲学だなあ」

 妖精さんが何をしたっていうんだ。対戦相手の男の子は、客席からでも分かるくらい不敵な笑みを浮かべている。当たり前のように飄々としている。妖精さんひとりを痛めつけるのにこの調子なら、きっと人間はいずれ成し遂げてしまうだろう、神殺しの大罪をも。
 スタジアムへ視線を戻せば、控室へと戻っていく妖精さんの姿が見えた。
 友人の声を背中に受けながら、控室を目指して走り出す。勝手なお願いだが、人間も悪い奴ばかりではないということを伝えたかった。そして何より謝りたい、人間代表として。
 細長い廊下を進んでいくと、少し先の扉の前で赤い髪の少年が立っていた。あの人は、確か試合後に妖精さんに駆け寄っていた人のひとりだ。となると、妖精さんはあそこにいるのかしれない。
 乱れた息を整える間もなく、目の前の彼へと声をかけた。

「あ、あの妖精さ……氷魔さんはこの中に?」
「そうだけど、君は?」
「その、わ、私…」

 目の前の男の子が、怪訝そうにこちらを見ている。
 そういえば、目の前の彼は人間と妖精どちらなのだろうか。駆け寄ったあの姿を考えるに、恐らく氷魔さんと親しい間柄であることは間違いないだろう。ということは、妖精である可能性が高い。
 だとしたら、私は彼にも謝らなくちゃいけない。人間代表として。

「その、私、あ、謝りたくて…!」
「え?」
「ごめんなさい、あんな、あんな酷いこと…」
「なんで君が謝るんだ?」

 焦った様子で、赤髪の妖精さんが狼狽えている。しかし、何か思い当たることがあったのかその表情が不意に真剣なものへ変わった。

「まさか、君もアイツらの仲間なのか…?」
「(人間なので)広い意味ではそうなります…!」
「っ、なんでお前達はあんな酷いことができるんだよ!」
「ごめんなさい、私何も知らなくて、なんでこんなことになってるのか、全然わ、わがらなぐて…でも、酷すぎます、普通じゃないでずこんなの…」
「!、え、泣いてるのか?」
「本当にごめんなざい…!!」

 鼻を啜りながら、頭を下げることしかできなかった。これで許してもらえるとは思っていない、だけど謝ることしかできないのだ。
 重たい沈黙が流れるなか、赤髪の妖精さんが「顔を上げてくれ」と優しく声をかけてくる。ゆっくりと顔を上げると、何ともやるせない表情がそこにはあった。

「…君が他の暗黒星雲の奴等とは違うってことは分かったよ。だけど、俺達はアイツ等を許せない」
「…はい」
「君も暗黒星雲なんか早く辞めた方がいい」

 赤髪の妖精さんはそう言って、真剣な表情で背を向け歩き出した。きっとスタジアムに戻るのだろう。その背中を追いかけることはできなかった。
 ところで暗黒星雲ってなんだろう。
 ダーク……闇だ。
 ネビュラ……ちょっと分かんない。
 妖精界では、人間のことをそう呼んでいるのだろうか。闇か…、確かに今の人間にはお似合いかもしれない。
 人間辞めろって言われちゃったけど、流石に人間を辞めることは難しい。怖い、あの妖精さん結構過激だ。
 仕様がない、私は私なりのやり方で妖精さんに償いをしていくしかないだろう。その方法が見つかるまでこの扉は叩けない。いつか絶対、謝りにいこう。

「待っててね、妖精さん…!」

 閉ざされた扉を見つめ、小さく誓いを立てた


20210828








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