三日後くらいに気が付くやつ



 昨今の情勢として、ひとつの専門職にもそれと同等又はそれ以上の特性を求める傾向がある。我が弱小モデル事務所も例外ではなく、演出力や表現力、外見の良さだけでは勝ち残れない世界になっていた。正に、どの業界も大戦国時代なのだ。
 毎日のように駆け回る日々。金の卵を探し、既存客を手離さないよう営業に出かけ、それだけでは経営は回らず新規顧客の開拓まで。しかし十分な結果は得られず、職員の半数は既に隠すこともなくパソコン画面で求人案内を目にしている。

 絶望漂う空気のなか、意を決したように社長が口を開いた。

「最近のモデルは、ベイブレードくらいできなきゃな」

 そうだ!!!!間違いない!!!!近々大きな大会も開かれるらしいじゃないですか!!!!名案です社長!!!!自分WBBAの周辺練り歩いてきます!!!!今日丁度大会中継あるはずですチェックしましょう!!!!
 藁にも縋る思いは、皆同じだったのだ。
 最後の希望をかけて、総勢五人のスタッフはその血走った目を合わせ頷き合った。
 勢いで同調してしまったは良いが、私、ベイブレードのこと何も知らないんですけどね。



<おはようございます。本日もよろしくお願いします>
「よろしくお願いしまーす」

 メルシーさんへの挨拶も済み、広すぎるエントランスをモップで磨くこと三十分。爆速で仕事を終わらせたが、これまで真面目な勤務態度を貫き通した私に怪しげな目を向ける人はいない。自身が背景に溶け込んでいくのを感じながら、次の清掃エリアへと移動するため廊下へ出た。

 ―――さて。
 カッと目を開き、気持ちを切り替える。ここからが私の本職である。
 沢山の優秀なブレーダーが在籍する、暗黒星雲。
 私はベイブレードのことは全く分からないが、先輩の話によれば、金の卵を探すには絶好の狙い目とのことだった。しかしガードが固く、電話でのアポ取りは不可、取材も不可、不可不可不可と取り付く島もない。ここまでかと諦めかけたところに、先輩のパソコンが光り輝いた。新着の求人広告だ。神の啓示かと思った。世の中無駄なことなんて何もないというけど、本当にその通りだ。求人広告を眺める日々も無駄ではなかったのだ。

 清掃員としてなんとか潜り込めたはいいが、そこからの一歩がどうにも進まない。今の私は、いうなればスパイだ。引き抜きを目論んでいる以上、バレたらクビではすまないかもしれない。
 しかし、全ては愛する会社のため!!両頬を叩いて、廊下へと顔を出した。本来なら通用口の方に向かうのだが、今日はそのまま関係者口へと足を進める。

 さあ、戦の始まりである。

 扉を一枚潜れば、そこには沢山のブレーダーがいた。彼らの生活スペースに繋がっていることは、リサーチ済みだ。
 一歩一歩が地雷原を歩く覚悟。脳内で法螺貝が鳴り響く。
 横目で注意を払いつつ、あくまで自然を装って歩き進める。本来ここは私の担当外なので念のため名札は外したが、清掃員としてならそこまで警戒もされないだろう。そう私は、ある時は間違って担当外まで来てしまった清掃員、ある時はちょっとやる気の空回りした清掃員、ある時は清掃大好き清掃員。果たしてその実態は―――?!

 まあ、一応正式な契約は貰ってるので本当に只の清掃員だ。

 ひとりぼっちの戦場で、今だけは相方のモップを握りしめた。
 諦める訳にはいかない。だってここは、予想通り、いや、予想以上の楽園だったのだから。

(いっっっや顔面偏差値高くない…?!)

 うちのエースを優に超える顔面偏差値の数々に、既に胸やけがしそうだった。
 え、暗黒星雲ってそういう?暗黒星雲ってそうい……暗黒星雲ってそういう感じなんですか?
 しなやかな体、程良くついた筋肉、目標を見据えた強い眼差し、まだ癖のない無垢な表情。
 ごくりと、唾を呑んだ。
 これは……欲しい……なんとしても……。

 目の前を行きかう金の卵…いや、我が社を救う救世主の数々に、伸びそうな右手をぐっと抑えた。
 そういえば、トップの大道寺さんも癖はあるがかなり美形だった。ご挨拶をした時に、思わず胸ポケットの名刺を出しかけてしまったくらいだ。しかし、大道寺さんはイケてるけどうちのカラーじゃない。非常に残念である。うちの社長はあくまで少年推しだ。

 今日は視察のつもりだったが、なんとか一人だけでも声をかけられないだろうか。
 目の前の星々は、失われかけていた就活時代のやる気を思い出すには十分すぎるそれだった。ぐつぐつと煮え立ち、拳に力が入る。
 調べた情報では、彼等は暗黒星雲という組織の中でも表舞台には出てこない、所謂二軍と呼ばれる存在ということじゃないか。ベイブレード界のことは分からないが、こんな宝石達を眠らせてしまうなんて、ううう勿体ない、勿体なさすぎる。もっと世の中に知ってほしい、磨き上げて世界に認知してほしい、例えそれが、ブレーダーとしてじゃなかったとしても!!

「……はっっ」
 高らかに掲げた拳。いつの間にか視線を集めていたようで、慌てて腕を降ろした。
 あっぶない、通報される。忘れるな、ここは楽園であるが同時に敵地なのだ。少しのミスが命取りだ。こんな大企業に目をつけられたら、うちの弱小事務所は完全に潰されてしまうだろう。忘れるな、我が社の社訓を。常に心にDead or Alive―――。

 しかし高鳴る胸は抑えられず、足取り軽く奥へと進んでいった。

◇◇◇

「お前は何者だ。何を企んでいる」

 詰んだ。
 いや、絶望するのはまだ早い。ここが敵地ではなく、町外れのカフェということが不幸中の幸いといえよう。
 素知らぬ顔で注文したコーヒーに口をつける。しかし動揺が隠せなくて、先程から右手はがたがたと揺れている。……すごい零れるじゃん。目の前の彼―――大鳥翼君は一切触れてくれないが、私の周りの床はびじゃびじゃだ。あと跳ねて熱い。
 結果から言うと、ウキウキ気分の暗黒星雲巡回は呆気なく終了した。私がその気なく入った部屋はセキュリティルームだったらしく、入った瞬間けたたましい警報が鳴り響いた。すぐに集まった警備員に連行されたが、清掃員の服装をしていたことや、
「何故セキュリティルームに?」
「そこに埃があると思ったんですよ」
「あそこは貴女の担当外ですよね?」
「そこに埃があったからですよ」
 という賢明な訴えが届き、大道寺さんからの厳重注意で事なきを得た。疑いの目やお小言は痛かったが、真面目すぎる勤務態度は褒めてもらえた。急な飴に動揺して、思わず名刺を出しそうになってしまった。
 本当に惜しい。大道寺さんがあと十歳若ければ自分の責任でスカウトし……いや、十歳……ん、あの人何歳なんだ……?
 深みに嵌りそうな気がしたので、思考を止めて部屋を後にした。そして廊下を進んだところで、ひとりの少年に呼び止められ、現在に至る。

 私からしてみれば、この子の方が一体何者なんだという感じだ。
 暗黒星雲から少し離れたカフェは、人気も少なく閑散としている。必要最低限で飾り気のない店内の雰囲気も相まって、気を逸らせるものが何もない。大道寺さん以上の追及の目に、既に全身は冷や汗を掻いていた。

「いや、本当に只の清掃員で…」
「只の清掃員があんな場所に行く理由はないだろ」
「そこに埃があったからですって…」

 それに関しては本当に事故だったので、運が悪かったとしか言いようがない。実際埃はあった。ちょっとだけど。
 油断しているところに来られるのが、一番心に来るのである。
 今日一番の金の卵との遭遇に浮かれていたのは事実だ。あわよくばそのままスカウト…と思ってほいほいついて行ってしまったのが間違いだった。とてもそんな雰囲気じゃない。
 しかし、どう見ても彼は大道寺さんの様な管理側の人間ではなく、所属するブレーダー側の人間だろう。何故こんなにも、こちらへの追及が続くのかが分からない。

 一先ず、全て零して全く飲めなかったコーヒーのおかわりを頼む。そこで初めてこちらの悲惨な状況に気づいたのか、大鳥翼君はぎょっと目を見開いた。遅いよ。

「…別にアンタを暗黒星雲につきだそうとは思っていない」
「え?」
「だがここで黙秘を続けるのなら、俺も考えを改めなくてはならない」

 そう告げた大鳥君の強い瞳が、こちらへと向く。
 嫌に真剣な表情に、体を凍っ……たように思えたが腕だけは動いた。そして二杯目のコーヒーも見事に零した。私は今、一回三百円で床にコーヒーを飲ませてあげるだけの人になっている。
 突き刺さる視線にガラスのハートはもう限界だった。ごめんよ社長。

「わ、私が、私がやらなくちゃって…」
「!、なっ」
「たっ、正しい方法だなんて、お、思ってませんよ、…でも、どうしたら、いいかっ…私が、私が皆をま、守らないとた、助けないといけないんです…」

 こんな年下の子の前で泣いてしまうなんて、情けないにも程がある。大鳥君が焦っているのが分かったが、涙を止めることはできなかった。
 本当はずっと怖かったのだ、知らない場所に急に潜入してひとりくらいスカウトして来いなんて言われて。確かに暗黒星雲は夢溢れる宝島だったが、やはり通報からの倒産確定コンボは怖い。

「だがら、私が皆の為にも…暗黒星雲に潜入して…それで、それでええ…」
「分かった、もういい」

 大鳥君はそう言うが、一度開けてしまった蓋を閉じることは簡単にはできない。涙と共に胸の内で沸々と怒りも湧き上がってくる。
 忘れてもらっちゃ困るが、これは仕事の愚痴なのだ。付き合わせてしまっている大鳥君には悪いが、こうなれば最後まで聞いてほしい。思っていることは沢山あるのだ。

「っていうか、あそこにいるブレーダーの皆…!、あの子達何も、何も知らないと思うんですよ…!!」

 そう、あそこにいる金の卵達。彼等は恐らく、自分達の持つ魅力に気づいていない。それが悲しくて悔しいのだ。私は人間の持つ魅力を、可能性をもっと引き出してみたいとこの業界に飛び込んだのだ。もっと世間に知ってほしいし、プロデュースしてやりたいと思うのは当然の感情だった。

「それって悲しすぎるじゃないですか、だから、私が…いやこんな新米の私なんかに、何ができるのかって、そんなこと分かりませんけど…!!」
「……。」
「解放してあげられたらなって…!!」
「………なるほど」

 備えつけの紙ナプキンで鼻をかみ、目をこすった。っあーー……スッキリした。職場では一番新米なので、こんな風に熱く仕事を語っても、新人の癖によく言うぜ!と揶揄われて終わってしまうのだ。相手が年下だと甘えて、つい語ってしまった。いやあ、スッキリした。
 沈黙が流れ、店内の有線が耳へ運ばれてくる。
 静かに目を伏せた大鳥君が顔を上げると、そこには先程とはまた違う真剣な表情が映し出されていた。確信に満ちたような表情に、腕の震えが漸く止まった。こんなに真剣に愚痴を聞いてくれる人は初めてかもしれない。いい人だ。

「アンタのことは大体分かった」
「…分かりませんよ、大鳥君には」
「分からなくはない。少し形は違うかもしれないが、俺も似たようなもんだ」
「え?」
「だがそれとこれとは話が別だ。余計なことはしないでほしい」

 一瞬だけ柔らかくなった大鳥君の表情が、最後の一言できゅっと引き締まった。
 頭の中では大鳥君の言った言葉が駆け巡っている。俺も似たようなもんだ……?


 ………大鳥君もスカウトマンだった?

 いやいやいやいや、え、あるのかそんなこと?――――あるのかもしれない。あれだけの金の卵を眠らせている暗黒星雲だ。私達以外に目をつけている事務所があっても不思議ではない。
 それに、大鳥君の目はやけに確信に満ちている。分かる、これは同業者の目に間違いない。

「大鳥君は暗黒星雲の人じゃない…?」
「ああ。アンタと同じ、依頼を受けてあの場にいる」
「で、でも、大鳥君まだ子供でしょ?」
「確かにそうだが、潜入するには俺くらいの方が都合がいいだろ」
「スパイみたいな?」
「そういうことだ」
「確かに、同じ目線で見た方気づくこともあるか…。それは一理あるな…」

 なるほど、それなら納得だ。
 大鳥君がどこの事務所に雇われているのかは分からないが、その方法は確かに理にかなっている。同い年くらいの目線で見てこそ発見できる魅力があるだろうし、斬新な方法だ。しかも彼くらいの美形ともなれば、恐らくジャッジの基準も相当な物だろう。敢えて彼にモデル本人じゃなく、そんな仕事を頼むなんて…。目先の欲ではなく、先を見据えての経営戦力というところか。なるほど奥が深い。
 いろいろと聞きたいことはあるが、心を許しすぎてはいけない。彼は言うなれば商売敵なのだ。うっかり名刺を渡さなくて良かった。しかし、暗黒星雲という孤独の敵地で同業者を発見できたことは素直に喜んでしまう。心強さが違う。
 しかし、次の彼の一言でやはり我々は敵同士なのだと痛感した。再び、法螺貝が鳴り響いた。

「手を引いてくれ」
「なっ」
「事情があるのは分かるが、こちらの邪魔をされては困る」
「だ、だからってそんな…!」
「…何も知らない連中の大半を救いたいという気持ちも分かる」
「そうでしょう?!」
「アンタがどこの依頼で動いているのかは分からないが、彼等のことは俺からWBBAに伝えておく。それが間違いないだろ」
「WBBA…?!」

 ぐっと、息を呑んだ。
 大鳥君が目で頷いた。

「WBBA…」

 ―――知らない単語が出てきた。
 大鳥君に依頼をかけたモデル事務所の名前だろうか。聞いたことがないが、恐らく頭文字だろう。ワールド、ビューティー…なんだろう、ここまでは合ってる気がする。
 って待て待て、それよりも今彼は、うちの事務所よりも自分たちの事務所の方が彼らは輝かせられると喧嘩を吹っかけてきているのだ。
 どんな大きな事務所かは知らないが、こっちだって小規模ながら地道にコツコツ生き残ってきた実績があるのだ。負けるわけにも逃すわけにもいかない、このチャンスを。

「嫌です、彼等は私達の手で解放します」
「!、何故そこまで…」
「それが私の使命だと思うだからです」

 言っちゃった〜〜!!
 きりっと、目に力をいれる。上司がいないのをいいことに、また格好つけたことを言ってしまった。一度言ってみたかったのだ。
 睨み合い数秒、先に痺れを切らしたのは大鳥君だった。頭を抑え小さく息をつく姿は、歳のわりに少し大人びていた。

「まあいい。どっちにしろ、竜牙を落とさない限りあそこは崩れない」
「竜牙?」
「ああ」
「大鳥君の狙いは、その竜牙って人なんですか」
「当然だ」

 大鳥君の狙い―――余程、魅力的な人物なのだろう。
 格好良い系だろう、可愛い系だろうか。名前的には少しワイルドな感じも期待できる。次に行った時は要チェックだ。
 忘れないようにメモを取っていると、大鳥君がここにきて初めてコーヒーを口にした。

「奴は正攻法では落とせない。機を見て挑むしかないだろう」
「それって…」

 アドバイスをされている…?
 敵に塩を送られている…?
 こちらが弱小事務所だと思って余裕の構えなのか、それとも善意なのか。どちらにしたっていい気分ではない。決めた、絶対に大鳥君より先に竜牙って人を落とそう。
 見てろよWBBA、弱小事務所の雑草魂見せつけてやるからな…!!
 手帳に書き込んだ『竜牙さん』の文字を、大きく丸で囲んだ。


20210828








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