いざ行かん、乙女


「じゃあ、この後用があるから」
「や〜ん頑張ってね〜!」
「折角のデートだったのに、ごめんね」

 そう言って別れたのが三十分前。私は今、海辺の怪しげな倉庫の前にいた。
 ここがあの女のハウ……スじゃないよね?流石にね?

 最近、彼氏の様子がおかしい。
 大好きなベイブレードに夢中なのは相変わらずなのだが、どうにもその心が、別の方向にも向かっているような気がしたのだ。
 まさか浮気……?!
 いや、私と矢口君の間に限ってそんなことはないはず。魔物と言われる三か月も余裕で乗り切り、毎日がラブラブフォーエバーな日々だったのだから。そう、ラブラブフォーエバーだ。
 しかし、久々のデートだというのに矢口君はちらっと携帯を見た途端、急用ができたと言ったのだ。私は見てしまった、その顔は申し訳なさそうにしながらもどこか輝いていた。
 これで確信した。

 絶対女だ。

 烈火の如く燃え盛る胸の内を悟られぬよう、「や〜んいいのよ〜!」と微笑んで見せたが、許さん、絶対に許さん。
 思い返せば、今までも不審な点は多々あったのだ。

「俺、首狩団に入ったんだ」
「や〜んよく分かんないけどすご〜い!」
「そのなかで、どうしても本気にさせたい人がいてさ」
「や〜ん何それ〜!」
「今は全然相手にしてもらえないんだけど、絶対強くなって振り向かせたいんだ」
「や〜ん」

 いや、や〜んじゃないんだわ。
 え、振り向かせたいって何?ん、私、私彼女だよね?え、私は君の何?君は私の何?
 余程浮かれていたのか、つい先日の会話の綻びに今になって気づいてしまった。そもそも首狩団ってなんだ。団というからには何かのグループだろう。フェイスをハンターするって、言葉通りいくと顔面を狙う何か組織なの?矢口君面食いだからなあ。
 倉庫の前で立ち尽くしていると、開け放たれた入り口から人の声が聞こえてきた。その中には、愛しの矢口君の声も混ざっている。耳が認識した途端、ふつふつと怒りを思い出す。と同時に、言いようもない感情も込み上げてきた。これが―――イエス、愛憎である。

 ぶちっと、頭の中で音がする。
 そして、心のゴングが鳴った。

 心の勇気を爆発させろと入場テーマを脳内で聞きながら、心の釘バットを構えた。今私が爆発させているのは勇気ではない、愛だ。
 薄暗い倉庫を進んでいくと、人の声がどんどん大きくなっていく。随分沢山いるようだ。なるほど、もしかしたらこれが矢口君の言っていた首狩団とやらの集まりなのかもしれない。
 じゃあ、いるのねここに。
 本気にさせたい、振り向かせたい相手が。
 確かにそうね、あの女のハウスではなさそうだけど、怪しげな密会所としては完璧な場所だよね。ふーーーーーん。

 目の前に立ち塞がるコンテナの向こうには、もう人がいるようだった。楽しそうな矢口君の声も聞こえてくる。
 ぎょっとした。今まで聞いたこともない、相手を口説く彼の真剣な声。一歩を踏み出す覚悟には、十分すぎる衝動だった。
 相手はどんな子かしら、可愛い系?綺麗系?まあ、どっちにしたってやることは変わらない。戦争だ…!!!
 気合を入れて大きく一歩を踏み出し、眼前を見据えた。
 拝んでやるわよその面ッッ―――!!!

 そして、目が合った。

「あ?」
「誰よその男!!!!!!!!!」

 彼氏が真剣に口説いていたのは、悪役面の男の子だった。

「っなんだお前!」
「男じゃん!!」
「どこから入ってき、」
「男じゃん!!!!」
「おい質問にこ、」
「男じゃん!!!!!!!」
「あの、」
「男じゃん!!!!!!!!!!!」
「あのちょっと落ち着いてもらっていいですか?」

 痛烈な男じゃんコールに静止の声が聞こえたが、それどころじゃなかった。
 頭の中はぐじゃぐじゃだ。なんか、こう、思ってたのと全部違う。何かも違う。あの女のハウスでもなかったし、そもそも女でもなかったし、泥棒猫……はまだ可能性あるけど。
 両頬に傷のある泥棒猫(仮)少年、―――ちょっと情報量が多いから泥棒猫(仮)に省略だ。泥棒猫(仮)は、怪訝そうにこちらを見ている。睨み返してやりたいのは山々だが、気持ちの整理がつかず泣くことしかできなかった。

「うわ〜ん!!!」
「いや、アンタ本当に誰…?」
「ぐずっ、うぅ、男じゃ〜〜ん!!!」
「やばいぶり返したぞ」

 泥棒猫(仮)の周囲にいた男の子達が、なんだなんだと集まってくる。そこで気づいたが、ここには男の子しかいないようだ。
 すると、困り果てた野郎共のざわめきから、私の名前を呼ぶ一筋の光が届く。そう、矢口君の声だ。どんな群衆の中でも、矢口君の声だけは聞き逃すわけがない。
 顔を上げると、驚き駆け寄ってくるその目が合った。先程までの怒りはすっかり消え去り、只々安心感に満たされていた。

「どうしたんだよ、なんでここに!」
「ぐずっ、や、矢口君の後を追っで」
「ついてきちゃったのか?」
「だっで、矢口君が、別の女の子に取られちゃんじゃないがっで…別の女の子のフェイスをハントしに行っちゃったんじゃないがっでええええええ」
「馬鹿だなあ、今までもこれからも、俺がフェイスをハントするのは君だけだよ」
「や〜ん好き〜」
「頼むから他所でやってくれない?」

 矢口君と抱きしめ合い、愛を再確認した。ラブラブはフォーエバーだ。
 視界の先には、困惑した男の子達の表情がずらりと並んでいる。うん、矢口君が一番格好良い。
 少々勝ち誇った気持ちで視線をずらしていくと、彼等の手や、重なるコンテナの上にベイブレードが見えた。なるほど、ここはブレーダーの集まりだったのか。
 ひとり納得していると、泥棒猫(誤解)と目が合った。信じられないようなものを見る目でこちらを見ているけど、矢口君の方が格好良いから許してあげよう。ふふん、と鼻で笑って見せると、その顔に青筋が浮かんだのが見えた。

「あ、キョウヤさん!すいません五月蠅くしちゃって。この子、俺の彼女です」

 泥棒猫(無罪)は、キョウヤさんというらしい。
 矢口君が一歩踏み出し、キョウヤさんへと話しかける。彼女と紹介してくれたのは嬉しいが、内心かなり穏やかではなかった。キョウヤさんに対する彼の態度がなんというか、あれなのだ。ワントーン高くなる声、尻尾の幻覚が見えてしまいそうな懐き具合。色恋を挟んでいなかったとしても、少々悔しいものはある。
 そして何より、そんな彼を「うるせえ」と邪険に扱うキョウヤという男に、怒りが込み上げてくるのだ。
 矢口君の肩越しに再度目が合う。返された舌打ちに、第二ラウンドのゴングが鳴った。

「矢口君、前に言ってた振り向かせたい相手ってアイツのことでしょ?」
「わ、言うなよー!この方は盾神キョウヤさんっていって、俺の憧れの」
「止めよう!!」
「え?」
「アイツ絶対、性格ひん曲がってそうじゃん!」
「はあ?」
「ブレーダーに女はいらねえぜとか言ってそうじゃない?」
「言ってねえよ!!」

 イス替わりにしていたコンテナに、バンッと拳を叩きつける盾神キョウヤ。ふん、物に当たるとは笑止千万。
 ぎろりと鋭い視線を向けられるが、矢口君が傍にいる限り私は無敵なので全く効かない。むしろ、周囲の男の子達が怯えてしまっているではないか。ふん、効果範囲を指定できないとは情けなし盾神キョウヤ。ちなみにその睨みは矢口君にも効かないぞ、こう見えて強メンタルだからな。
 怯むどころかべぇーと舌を出した私に、盾神キョウヤは勢いよく立ち上がった。

「おい前田ァ!!」
「矢口です」
「前田は俺です!」
「どういう間違い?」
「お前の女だろさっさと追い出せ!!」

 乱暴な言い方にはカチンときたが、この男から矢口君を引き離したかった私にとっては、願ってもない言葉である。矢口君に行こうと告げれば、彼は外まで送ってきますと盾神キョウヤに返事をしていた。送る?一緒に帰るんじゃなくて?
 手を引かれて外に出れば、潮の香りがなんとも心地良い。このままデートを再開できれば最高だったのに、矢口君は倉庫へ戻ろうとしていた。

「矢口君も首狩団なんて辞めて一緒に帰ろうよ!」
「それはできないよ。言っただろ、キョウヤさんは俺の憧れなんだ」
「でも…」
「やっと首狩団に入れて、キョウヤさんと戦えるかもしれないところまで来たんだ!」
「でもでも…」
「今はまだ俺が弱いから、全然勝負なんてしてもらえないんだけどさ」
「でもでもでも…」
「一回でもいいんだ。キョウヤさんに本気で勝負をしてもらわなくちゃ諦めきれないよ」
「でもでもでもでも…」
「分かってくれる?」
「やーん」
「ありがとう」

 矢口君は私の頭を撫でて、そのまま倉庫へと戻ってしまった。
いつもなら、頭に残った温もりに胸をときめかせるところなのだが、気分は重い。悔しい、めちゃくちゃ悔しい。自分の彼氏にそんなくそでか感情を向けられる盾神キョウヤという男が非常に羨ましい。
 恐らく、矢口君の目から盾神キョウヤを失くすことは不可能なのだろう。ならば、彼女としてできることは一つだ。

 それから私は、毎日盾神キョウヤの元へ通った。できる女なので、勿論矢口君のいない時を見計らってだ。ちゃんと彼とバトルをしてほしいと頼み込むも、弱い奴と勝負する気はないの一点張りだ。ファーストコンタクトが最悪だったこともあり、毎日のように二度と来るなと倉庫からつまみだされる。
 私はできる女だが、気が長い方ではない。ブレーダーでもないくせにしゃしゃり出るなと言われれば、当然こちらも我慢の限界だった。
 見てろよ盾神キョウヤ。

 目には目を、歯には歯を、ベイブレードにはベイブレードだ。


「……殺気?」
「気づかれたか、覚悟しろ盾神キョウヤーー!!!」

 海沿いの道を歩く盾神キョウヤへ、背後から奇襲をかける。寸での所で躱され、奴の手から放たれたベイによって私のベイは弾き飛ばされてしまった。なるほど、強い。
 驚き目を見開いた彼だが、状況を理解するや否やこちらを鼻で笑っている。強者から弱者へ送るそれだ。

「これで終わりだと思うな盾神キョウヤ!私が勝ったら、矢口君とバトルしてもらうぞ!」

 全ては愛する矢口君の為。心底迷惑そうな顔を浮かべる彼に、言わせてもらおう。これくらいで参ってるようじゃ困る。
 私はベイブレードのことは殆ど知らないので、これがなんというベイなのか、そもそもどんなルールなのかもよく分かっていない。しかし、目的がひとつに定まっているので、そんなことはどうでもよかった。
 ある時は街中で、ある時は路地裏で、ある時はマンホールから、ある時は花壇の植え込みから、ある時は彼の家の前の電柱の影から。所構わず背後からベイを打ちまくる私は、恐らくブレーダーとしてはマナー違反のダメな奴だったろう。別にいい、ブレーダー失格でも矢口君界の上流階級ならばそれでいいのだ。
 いつしか矢口君にもこの行動はバレていたが、その理由は伝えていない。むしろ、私がベイと盾神キョウヤに興味を持ったことを素直に喜んでくれた。残念ながら両方違うのだけど。私の興味は全て君だけよ。

 そうして、盾神キョウヤの生活の大半が私で埋め尽くされた頃。首狩団アジトで頭を抱える彼の真横、コンテナの影からスライディングでベイを構えて飛び出す。ぎょっと肩が跳ね、目が合って数秒。奴の口から大きな溜息が零れた。
 そして、隣の矢口君を見て一言。

「…前田」
「矢口です」
「前田は俺です!」
「だからどういう間違い?」
「……用意しろ」
「!、はい!」

 どうやら、盾神キョウヤは勝負してくれる気になったらしい。勝った、これこそ愛の力だ。笑顔の矢口君を視界に収め、私も大きく頷いた。

 とりあえず、これで大丈夫だろう。
 ベイを始めて分かったことがある。矢口君は自分を弱いと言うが、実は結構強い方なのだと思う。特訓の成果もあるだろう。
 新たに盾神キョウヤの関心を引く人物が現れない限り、きっと暫くは相手をしてくれるはずだ。だけど、もしそんな人物が現れたら………潰すしかない、私の手で。矢口君の幸せの障害となるものは許さない。
 まあ、あの矢口君でさえ初めは眼中になかった盾神キョウヤだ。そんな都合の良い人物は、そうそう現れないだろう。
 一先ずの安心感に胸を撫でおろす。これで私も、ブレーダーは引退だ。





「鋼銀河!貴様を倒すのは、この盾神キョウヤだ!」
「おもしれえ、受けて立つぜその勝負!!」
「誰よその男!!!!!!」

 暫くブレーダーは引退できそうにない。



20210828








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