A.私たちは只の同期です


「つまり世界征服?ええー大変そうだね」
「貴女意味分かって言ってます?」

閑散とした研修室へ、不似合いな春の陽気。
お決まりの角度で眼鏡を押し上げ言葉を紡ぐのは、私の唯一の同期大道寺君だ。心底呆れたと言わんばかりに、その語尾は見事に引き攣っている。彼にとって、それは嫌味というこちらへの攻撃だったのかもしれないが、全く効きはしない。だって、ほぼ毎日のように受けていれば、嫌でも慣れてしまったのだ。今となっては、大道寺君の「はあ?」は「こんにちは」に聞こえるくらいだ。もちろん分かってると返せば、今日で五度目の挨拶が飛んできた。はい、こんにちはー。


都会の大学なだけあって、学内には個性的で様々な人達がいる。そのなかでも、大道寺君は飛びぬけての変人だ。
毎週決まった時間、研究室で目にする大道寺君は、いつも分厚い本を広げていた。それはエネルギー工学であったり、経営学であったり、時には心理学、考古学なんて時もあった。
初めは勉強熱心だなという感想に留まっていたが、その勢いが衰えず、日に日に分厚い本で埋もれていく彼の姿は熱心というには少々行き過ぎていた。そう、やッッば、ってやつである。
しかし、私の脳内ではいつの間にかそのやッッばに並んで、面白そうが全力疾走し始めてしまったのだ。両者譲らぬデッドヒートである。最終的には、ゴールテープの向こうでヤバさと面白さが固い握手を交わしていたので、もう私の中で彼は面白くてやッッばな人という認識は変えられそうになかった。


「じゃあ、よしこれから征服するぞーっていう時にはちゃんと教えに来てね」
「教えてどうなるんですか」
「そっかあ、これから世界は滅びるのかあ、大道寺君頑張ってるんだなあって思いを馳せることにするよ」
「貴女それどの目線でどの立場から発言ですか?」
「この世界、私の同期が征服したんだぜ、いえーいって自慢するね」
「だからそれどういう状況ですか?」


何故彼とこんな話になったんだっけ。余りのパワーワードに、会話の流れを忘れてしまった。しかし、これまでの大道寺君の異様な知識欲や、なんとなく周囲に溶け込めない雰囲気に、合点がいったというか。そうだよね、世界を相手取ろうとしているんだから、それは浮くわ。周囲から。
大道寺君の言う野望に、正直全く興味はなかったし半分も理解はしていなかったれど、きっと面白いんだろうなあということは伝わった。過去一、大道寺君がいきいきしているのだ。これはサボテンの記録を塗り替えるかもしれない。

なんの根拠もないが、きっと大道寺君は本当にやってのけてしまうんだろうなあ、と思った。世界征服かあ。大道寺君に目をつけられるなんて、世界も可哀そうに。君の無事を心から祈るよ。思わず両手を合わせると、大分強めに挨拶をされた。あーもうはいはいこんにちは。人の祈りに水を差すとは、全く無粋なもッこんにちは!!!




それから暫くして、風の噂で大道寺君が大学を辞めたということを聞いた。そういえば、元々大学へ入ったのも、必要な資格を取るのに一番手っ取り早いからと言っていたような気がする。なるほど、つまり、あの分厚くて難しい本の勉強を見事にクリアしたということなのだろう。凄い。ひとりぼっちの研究室で、思わず心から拍手を送ってしまった。
そして、なんとなく窓越しの夕日に目を向けてみる。彼との最後の会話は、「なんで貴女にこんな事話してしまったんでしょう…全くもって不覚です。少々疲れてたのかもしれませんね…、人生最大の汚点になりかねません…」「人生まだまだこれからだよ。汚点の上塗り頑張ろう」「張っ倒しますよ」うん、全く感慨深い気持ちにはならなかった。



そうして、多少面白みに欠けた大学生活も終わり、普通に就職して、普通の生活を満喫してた頃。残業を終え帰宅した家の前には、余りにも浮きすぎな高級車が停まっていた。長いな。………いや、なッッがいな?
数秒見つめ、ハッと気づく。もしかして、お隣のハナちゃんの彼氏だろうか。確かにお金持ちだと言っていたが、流石にこのレベルは想像していなかった。ハナちゃん、やめといた方がいいよ。こんな車乗る人絶対悪いことしてる人だよ。偶に遊びに来る幼馴染のケン君の方が絶対にいいって。今は自転車に二人乗りでもいいじゃないの。お金じゃないよ、愛だよ愛。
うんうん、とハナちゃんへの説得方法を考えていると、車の傍でゆっくりと人影が動いた。そして、そのシルエットを確認して息を呑んだ。


「お久しぶりですね」
「ごめんね!!大道寺君とは知らずに悪口言っちゃった!!傷ついたね!!」
「まだ何も聞いてませんが」
「決めつけはよくなかったよね。大道寺君変人でも悪人じゃないもんね」
「はあ?」
「こんばんは!!」


すっかり大人の男、という雰囲気に変わってしまった大道寺君だが、言葉に端々に残る棘やツッコミの鋭さは健在だった。ドギツイ色のスーツも、なんだかよく分からない長い車も、妙に似合っている。

懐かしいなあと当時の記憶が蘇ると同時に、思い出した彼の言葉。先程、悪人じゃないと言ってしまったが、違う違う、間違えちゃった。彼はバリバリの悪人じゃないか。そういう意味では悪口じゃなかった。謝り損と挨拶損である。まあ、挨拶は何度してもいいか。大事だから。


「知ってましたけど、本当…会話が噛み合いませんね…」
「うん…それは薄々感じていたよ…」
「なんで私のせいみたいな空気出してるんですか、どう考えても貴女のせいですよ」
「あ、世界征服どう?進捗は?」
「人の野望を原稿並に扱わないでいただけます?」


これだけ悪役が様になっているのだから、きっと計画は順調なんだ。そういえば、そんな彼がどうしてこんな場所にいるのだろう。悪の組織に役立ちそうなものなど、このあたりにはないはずだ。埋蔵金でも埋まってるのだろうか。それは是非教えてほしい。悪の組織もやっぱり経済的不安はあるんだろうか。同期の好で少しは寄付してあげたいが、残念なことに給料日が来るまでは手伝ってあげられそうにない。

困ったなあ、と思って見上げた大道寺君が、フッと意味深な笑みを浮かべている。しかし、その意味は全く分からないので取り敢えず状況を整理することにした。


「凄く久しぶりだね、どうしたの?」
「それが第一声のはずなんですよ…普通は…」
「あはは、それで?」
「約束通り、知らせにきてあげましたよ」
「終末?!」
「気が早い」


なんと、彼は約束を覚えていてくれたようだ。といっても、こちらが勝手に言っただけで、約束なんてものではないのだけれど。
驚きのあまり、ぎょっとした顔を隠せずにいると、大道寺君は気にすることなく態とらしく咳払いをした。そして、役者さながらその両手を大きく広げて見せた。


「お誘いに来ました」
「デートの?」
「死んでもごめんです」
「え、他に心当たりがないな…」
「逆になんでそれはあると思ったんです」


言い終えた大道寺君が、ハッとして再度大きく咳払いをした。風邪でも引いてるんだろうか。飴舐める?と聞けば、ちょっと黙っててくれません?と返されてしまった。仕方ないので、その飴は自分の口に放り込み、黙って待つことにする。美味しい。
そして、漸くリズムを取り戻したのか、大道寺君はこめかみに手を当て「人選を誤ったか…」と何やら呟いている。うーん、これだ。変わらない嫌味が、そこにはある。
バリバリと飴を噛砕き続きを待っていると、大道寺君は顔を上げ「単刀直入に言いましょう」とキッパリ言った。


「中身が壊滅級にボケていても、私は貴女の研究者としての腕を買っています」
「お、悪口だな?全人類が許さないぞ」
「主語が大きい。黙って聞きなさい」
「はい」
「その腕を、私の元で使ってはみませんか」
「うーん、でも終末が来ちゃうんでしょう?」
「だからですよ」
「だから?」
「こちら側へ来ればいいということです」


つまり、どういうこと。
その意味を込めて首を傾げて見せると、大道寺君は当時と変わらないあのイキイキとして笑みを浮かべていた。


「不可抗力とはいえ、貴女は私の野望を覗いた記念すべき第一号ですからね。同期の好です。一緒に見届けてみませんか?」
「わーお、同期の力ってすごいね」


それを言われちゃ、仕様がない。
同期は大事にしなさいって、先人たちは皆言っていたから。




◇◇◇




「って、そんな感じでここにいるんだー」
「ええー、なんか意外っていうか、おじさん只の人攫いじゃん?」
「人聞きが悪い」

せがまれて聞かせた昔話に、遊君は真顔で感想を述べていた。その通りだよねえ、とお互い笑い合えば、大道寺君からさらに非難の声が飛んできたがそれは無視だ。口こそ挟まないものの、傍で話を聞いていた翼君も意外そうな顔でこちらを見ていた。


「でも僕良かったよ。これで、実は二人は付き合ってましたーとかだったらなんか気持ち悪いもん!」
「いやあ、大道寺君の子供は産みたくないなあ」
「死んでも認知したくありません」
「(仲良いなこいつ等)」


あれから月日は流れたが、終末はまだ来ない。
世界征服って大変だ。



20210420








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