指先の凍蝶


足元で響く金属音に、視線を向けなくなってしまったのはいつからだろう。他人事のように聞こえる歓声とスタジアム越しの笑顔に、心が動かなくなったのはいつからだろう。
短い溜息の後、漸くその視線を足元へと下ろした。
あーあ、また負けちゃった。限界なのかなあ。
転がる愛機を拾い上げ、ぎゅっと握りしめる。だけど、その動きすら最早只の癖なのか悔しさ故か判断もつかなかった。

「いいバトルだったね!」

勝利の嬉しさに顔面を綻ばせる、名前も知らない誰か。そんな誰かにすら勝てない自分は、いったいなんのためにこんなことを続けているのだろう。
子供にも分かりやすく勝ち負けをハッキリ教えてくれる勝負は、なんて優しく、残酷。
右手を差し出すこの子のことも、きっと明日には無理やり忘れてしまうんだろう。そして、もちろんこの子の記憶にも、私は残らない。

うるせーんだよ。なんて、言ったこともない暴言を心で吐いて、その手を握り返した。






「もう辞めちゃおうかな」
「…えー、マジか」


会場近くのカフェにて開催するのは、反省会という名の愚痴り会。大会やイベントで仲良くなった女の子ブレーダー達と、こうして集まることはすっかり恒例行事だった。しかし、今日はいつもと少しだけ違った。私達は、大会が終わる前に会場を出てしまったのだ。決勝戦、別に見なくてもいいかな。ひとりの発言に、誰も反対しなかった。つまり、もう、そういうことなのだろう。
抗いようのない変化は、心だけじゃない。こうして顔を合わせる子達も、大会毎にひとり、またひとりと姿を見せなくなった。今日だってもう、ついに三人だ。テーブル席の一か所がついに荷物置き場になってしまった。現実って怖いわーと爆笑した後に、全員で机に突っ伏したのは言うまでもない。傷は全員で抉っていくスタイルだ。近くを通り過ぎていった店員さんが、引き気味にこちらを見ていたが、気にしたら負けである。


「今日戦った子さ、すっっごい年下の男の子」
「泣きたい」
「もー、私次で勝てなかったら引退考える」


私を含め残ってしまった三人は、ベイが本当好きだった。だけどそれ以上に、適当が苦手な面子だったのだろう。1か0か。勝ちか負けか。だからこそ、出場した大会を最後まで見ないというのは、余りにも大胆で、惨めで、情けない決断だった。そして、限界が来ていたのだろう。


どうして自分には、才能がないのだろう。違う、本当は才能なんかなくてもいい。どうして、自分の努力じゃダメなのだろう。これ以上何を頑張ればいいのだろう。やれる限りのことをした、だから、それでもダメと言われたらもう限界なんだ。努力が、才能がじゃなくて、私という人間じゃそこには絶対行けないよと言われてしまったら。

ああ、もう誰でもいいから、いっそのこと、


「名前はどうするの?」


大切な友人の言葉に、喉がきゅっと詰まる。
多分彼女は、もう覚悟を決めたのだろう。

言ったって、どうしようもない言葉が溢れてくる。そして、それを今まで口から零したことはなかった。多分、私にとってそれは最後の砦なのだ。単なる愚痴でもノリだとしても、多分言ったら全部終わってしまう。そんな予感がする。
言葉にしたって、誰かが救ってくれるわけでもない、世界が変わるわけでもない。そのくせ、塗り固めた何かを剥がし、壊して、確実に自分を傷つけていく。悪魔の言葉だ。
だからずっと固く口を結んで、強く拳を握り締めて。でも、偶に思う。この手を緩めて開いた時、そこにはもしかしたら、初めから何もーー…。

ヒーローの吐く弱音は、勝利への彩。モブキャラの吐く弱音は、命の終わり。なんて残酷、分かりやすい。ひっどい世の中。



◇◇◇



それから、数週間後。
大会の全日程が終了した会場内は、静けさを取り戻し人が疎らにいるだけだ。今日は反省会はない、そして多分これからも。
私はというと、二回戦で負けてしまった後、急に貧血で倒れ先程まで医務室で寝てしまっていた。非常に体調が悪い。なんかもう、どうにでもなれという気分だ。
……でも結果は、見ておこうかな。会場出入り口の前でUターンをし、一人きりで会場内を回る。そして、目的の物を見つけ足を止めた。貼りだされた結果表には、知らない名前が沢山載っている。


そんな、知らない名前の羅列に大きく息を吐いた。


「もう、いいかな」


なんだか、今まで一番、心が穏やかだった。
呟く独り言に返ってくる音は何もない。今かも、そうだ、今なのかもしれない。
緩やかに覆った感情に顔を上げようとすると、背後から「あ!」と声が飛んできた。振り向くと、そこには自分よりもずっと小さな男の子の姿があった。


「久しぶりだね!」
「…どちら様かな?」
「えー!ひっどい、この前の大会でバトッたじゃーん!」


その言葉と年相応の可愛らしい言葉遣いに、記憶が蘇ってくる。ああ、あの子だ。記憶から消し去っていた小さな男の子は、少しの衝撃で鮮明にその姿を取り戻していった。名前までハッキリと。あの日知った、天才に相応しい、最も綺麗な文字の並び。
途端、落ち着かせたはずの心が、小さな才能を前にまた重たい影を落としていく。辞めてよ、折角綺麗に終えられると思ったのに。納得して、穏やかに目を瞑れると思ったのに。全部嘘だと気づかされてしまったじゃないか。美しくなんかない。惨めで、哀れで、情けなさしかそこにはない。

引き攣りそうな口元に力を入れ、思い出したと言うと、彼、天童遊はまた嬉しそうに笑った。すると、彼も何か思い出したのか「あ」と表情を大きく変え、言葉を続けていく。


「でも、そういえば僕君の名前知らないや」
「…覚えてもらう程の、ブレーダーじゃないもんで」


このクソガキ、と零さなかっただけでも褒めてほしい。だけど、随分と刺々しい言い方をしてしまった。こんな小さい子相手に。そんな事実に、別の意味で気持ちがまた落ち込んでしまう。何の悪気もない、誰に責められるわけでもない言葉に私が過敏に反応してしまっただけだ。
すると、そんな私の脳内など知らず目の前の彼はまた大きな声で「え、なんで?」と言葉を口にした。


「僕、君のこと覚えてたじゃん」


だから声かけたんだし。まあ名前は忘れちゃってたんたけど、と。


「だってこの前の大会、決勝戦より君とのバトルの方が面白かったんだもーん!」
「、え」
「熱気っていうの?こうぐわっっと!、えー!そっちから攻撃してくるのー?!みたいなさ、ハラハラわくわく感がさあー!」


彼は、何を言っているんだろう。
擬音の不思議さもさることながら、彼の言うようなワクワクする試合展開なんて、なかったのだ。呆気なく、なんの記憶にも残せず、終わってしまった試合なのだ。もしかして、誰かと勘違いしているのだろうか。しかし、天童遊の口から時折飛び出すのは間違いなく愛機の名前だった。


「よくそんなに、覚えてるね」
「え、普通じゃない?」
「名前も覚えてなかったのに?」
「だって僕達ブレーダーだからね」


結局、一番はそこじゃん?


その言葉に、何故か鼻の奥がツンと痛んだ。どうしてだろう目まで熱くなってきた。
なんでもないような顔で、笑うじゃないか。


「ねえ、次の大会にも出るよね?」


いつの間に下を向いていたのか、その言葉にハッと顔を上げる。
彼、天童遊君は可愛らしく首を傾げて返事を待っていた。

あーあ、本当やんなっちゃうなあ。
毒か薬かも分からない。だけど、受けてしまった延命措置を投げ捨てる程、自殺志願者でもなかった。


「出るつもりだよ」
「わ、じゃあ楽しみにしておくね!」


誰にも知られず死にかけて、また生きている。
まだ、生きている。



20210419








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