『おはよーございます、一角。起きないと遅刻しちゃうよー』
電話の向こうから聞こえる声は、いつだって心地いいものだった。
生返事をしてもそれがわかっているかのように笑って、怒るでもなく呆れるでもなく。
また後でね、と。そう言ってナマエは電話を切っていた。いつも。
あの日も。
睡眠事故なんてよく言えたもんだと思う。
そもそも大学の教授に遅刻の理由を聞かれてから思いついた言葉だった。
それを聞いて笑うナマエの顔を見た時、どこか安心したことを覚えている。
だからあの日も、笑って許してくれるんだろうと思った。
約束の時間に遅れた。だから、また明日にしようとナマエが言ってくれたことに安心した。
その明日でさえ、俺は約束を守ることをできなかった。怠惰なだけだ。
合わせる顔がなかった。だから連絡をすることができなかった。ナマエからも、連絡はなかった。
それでも翌日、ナマエの様子はいつもと変わらなかった。
いつも通りの時間に電話をくれて、いつも通り遅刻した俺のノートを取っていてくれて。
いつも通りの笑顔だった。
「ナマエ、風邪ひいたらしいよ」
珍しく遅刻をしなかった俺と、講義の開始時間を過ぎても来ないナマエに違和感。
弓親はそういった。
朝はいつも通りに電話が来た。声が小さいのは、ナマエが寝起きだったからだと思っていた。
「は?なんで?」
「さぁ詳しくは知らないけど。薄着で外にでも出てたんじゃない?」
ナマエ、たまに無防備なところあるからさ。
と、続けて言う弓親の言葉がどこかとげとげしいと思う。
いつも別に優しいというわけではないにしろ、弓親がこんな態度を取るのは大概俺に非があるときだ。
確信をつくような言葉は発さない。まるで当事者なんだからわかるだろうというように。
「…ナマエのとこ、行ってくるわ」
「一角が行って調子よくなるとは思わないけど?」
「むしろ悪くなるって言いてぇのかよ」
「そこまでは言ってないけど。まぁ好きにしたらいいさ」
じゃあ好きにするわ。
言葉には出さない代わりに立ち上がり教室を出た。
「バッカだなぁ、一角も」
聞こえてんだよ弓親。
次会ったら覚えとけ。
左手には薬局で買った熱さましやらスポーツドリンクを下げて、空いた右手でインターホンを鳴らす。
寝ていて出てこなかったら戸口にでもぶらさげて帰ったらいい。
そう思っていたら、ナマエが扉をあけた。
けほ、と、小さく咳をして、驚いたように俺を見る。
考えるより先に身体は、ナマエのことを抱きしめていた。
「…悪ィ」
「大丈夫だよ。昨日お腹出して寝てただけだから」
「それでも、悪かった」
ナマエは子どもをあやすように、俺の背中をたたいた。
俺はそれにひどく安心する。まるで許されていると思わせる。
思わせるんじゃない。本当に俺はいつも全部を許容されている。
ナマエはいつでも俺に対して優しかった。
きっと俺のことを好いているんだろうと思った。
でもそれを言われることがないから、知らないふりをした。
俺から言って、もし勘違いだったらどうしようもなかった。
ぎくしゃくするのはどうしても嫌だった。
ナマエの優しさに甘えて甘えて甘えて甘えて、甘えて。
「…ごめん」
「一角がごめんとか、変だよ。大丈夫だから、ね?」
でも、もう少しこのままでいたいと思う。
ナマエの優しさに、もう少し甘えていたいと思う。
つかずはなれずでいたいと、思う。
「ごめん」
本当に。
そう言ったら、ナマエは少し困ったような顔をして、笑った。
「バカだなぁ、一角は」
「大丈夫だから、そんな顔しないでよ」
「ほんとにもー」
ナマエのこの声に、いつだって救われる気持ちだった。
(もうちょっと、あと、もう少しだけでいい)
(この顔を見ていたいと、思ってしまう)
(この、距離で)
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1周年企画のリクエスト夢。ぺいーん様へ。
なんかもっと明るく幸せな未来のある話にしたかったはずなんですが、一角が女々しい男だと言うことが露呈しただけで申し訳がありません。
しかも一角視点で、なんて一言もおっしゃることなかったのに、申し訳ありません。
なんか、謝る言葉しか思い浮かびません。
けれど、少しでも気に入ってくださる箇所があれば嬉しいなと思います。
いつも来てくださってありがとうございます。
これからも何とぞ、宜しくお願いいたします。