青よりも深く碧く For featurephone | ナノ
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -
03 記憶の片鱗


新選組の朝は明け六つに始まる。
隊士は布団を上げ手早く掃除を済ませ各々朝稽古に出る。
女である名前にとって三百匁程も重量の有る真剣を長時間扱うのは困難を伴った。鍛練を怠らず体力と腕力をつけねばならない。他の隊士とかち合わないよう身仕度を済ませ、起床時間の四半時以上前から境内で木刀を振っていた。
二番目の屯所とした西本願寺では六百畳余という広大な敷地を使い、境内に竹矢来で仕切りを作り別囲いにして部外者の出入りを禁じている。

「やはりここにいたか」
「お早うございます」

音もなく現れた斎藤に名前は動きを止めず挨拶をする。相変わらず感情が読めない人だ。これは監視だ、と名前は思った。

「お前は剣術を何処で習った」
「…………」
「……記憶がないのだったな」

無表情のまま素振りを続ける名前を、その場で斎藤はしばらく見ていた。

「実戦の時は突きを多用するのがよい。相手の隙を待ち一瞬に剣戟を打ち込むのだ。複数が相手の場合は並ぶ敵の端から攻撃しろ。中心にいる者は手強い」

木刀を降る手を止めず名前の方も改めて横目で斎藤を観察する。
印象的な碧玉色の瞳。表情に乏しく見えるが決して冷たそうな雰囲気ではなく、海のような瞳は引き込まれそうな程に深く青く澄んでいる。男性にしては整った顔立ちの綺麗な人だと思う。

新選組屈指の剣豪斎藤一。

名前はその名を知っていた。
桜の下で拾われた翌日は境遇も立場も理解出来ぬままに、隊士として秘密裏に新選組に入隊させてもらうことに決まったが、その時は単に生き永らえたいというだけの気持ちだった。生活様式全てに物慣れず戸惑いつつ必死でここで過ごすうちに、いつしか記憶が一部だけ戻っていた。自分が何処からここに来たのかも解ってきていた。
だが悟られてはいけない気がした。もうしばらくはこの場所で生きていかねばならないのだ。



目覚めたのは七つ半だった。
斎藤は不可思議な夢を見ていた。六方を白一色で囲まれた大きな箱のような物、それは部屋のようでもある。その内部を俯瞰で眺めている自分がいる。
曖昧で取り止めない夢であるが、目覚めてからもそれは鮮明で何故か心に掛かっていた。
夢の中では繰り返し名を呼ばれたようにも感じた。何度も、何度も。何処から聴こえてくるのか遠いのか近いのか、それすらはっきりしないその声が酷く懐かしい物のように思えた。
床に上体を起こしたままぼんやりと物思う斎藤の耳に、隣室から微かな衣擦れの音が聞こえた。名前の居室である。これは現実の音だ。
本来平隊士は大部屋を複数人で共有するが流石に名前を其所に入れるわけにはいかなかった。副長から目を離さぬよう仰せつかった事もあり名前には斎藤の隣を宛てたのだ。毎朝七つ半を過ぎると名前が起き出すのにいつも気づいていた。監視の役目を負った以上は任務を遂行せねばなるまい。
素早く身支度を調えて、独り朝稽古をしているであろう名前の所へやってきた。

斎藤がいつになく今朝の自分の行動を反芻しつつ、ふと顔を上げれば名前がじっとこちらを見つめている。曇りのない琥珀色の瞳に心を見透かされたかのような気持ちになる。
稽古の最中に考え事をするなど常の己にはあまりないことである。不意に気恥ずかしく感じた。

「……とにかく実戦の場数を踏み自然に習熟する事だ。今朝はもういい、戻るぞ」
「はい」

名前の目には、いつになく早口の斎藤の目元が薄く染まっているように見えた。無表情と思っていた彼のほんの僅かだけ表情を揺らした様子に初めて人間らしさのようなものを感じ、驚くと共にほのかに温かい気持ちになった名前もまた強ばった表情を少しだけ緩めた。

そんなに怖い人ではないのかも知れない。

いずれにせよ直ぐに帰ることは出来ないのだ。
帰る場所が無いわけではなく自分が元居た場所は確かにある。しかしそこに帰る方法が解らないのだから。

何故ならばそこは時空を越えた場所であるからなのだった。



prev 4/54 next
目次

MATERIAL: ユリ柩 / FOOL LOVERS

AZURE