青よりも深く碧く For featurephone | ナノ
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -
42 水無月多端


雨の毎日が続いている。
朝餉が済むと名前と千鶴はいつものようにてきぱきと後片付けに入った。その耳に広間から常と違ったざわめきが聞こえて来る。二人はなんだろうと顔を見合わせ勝手場の片付けを中断してそっと広間を覗いた。
いつもなら食事の後は銘々が解散していくのに、その朝は幹部以外に平隊士に至るまで集められてざわついている。そこへ勿体ぶるように局長が出てくると皆が静まり注目する。じめじめとした梅雨の空気を一掃するような明るく高らかな声が響いた。
局長の口から発表されたのは新選組が正式に幕府召抱えの直参となった件だった。結成以来の京都での功労を評し彼らの格式を定めるようにと幕府が会津藩に命じたのである。
広大な広間の隅の方にちんまりと座り一緒に聞いていた名前と千鶴は驚いてまた目を見合わせた。
近くに居た永倉に千鶴が小声で聞く。

「凄い事なんですよね? 旗本になられるなんて」
「まあ、格としてはな。あの京都見廻組と同じになったって事だな」

永倉はたいして面白くもなさそうな顔をしている。というよりもむしろ不満げな口調である。隣の原田も中途半端な笑顔を浮かべているが目が笑っていない。

「近藤さんは相当嬉しいらしいが、俺らは別に誰かの家来になりたかったわけじゃねえしな」
「そうなんですか……?」

御目見得以上は近藤のみだが副長土方も見廻肝煎格組、副長助勤が見廻組格、監察が見廻組並、平隊士さえも見廻組御雇の格式が与えられ腐っても鯛、天下の直参である。
これにより新選組は志だけでなく名実ともに完全な佐幕派の一員となった。そして西国寄りの勤皇倒幕派である伊東らとは真っ向から対立の立場となるのである。
初めは協力関係と聞いていた。
だが実際に新選組と御陵衛士との間が決して良好と言えない事はもとより解っていた。分離と言っても行き来も許されない間柄であり、隊士が切腹までさせられた事実もある。
その上こうもはっきりと立場が正反対になってしまうと。
名前の想いは嫌でも高台寺へと飛ぶ。これからどうなっていくのか。不安に心が占められた。
はじめさんや平助君はこの事を知っているのかな。つい顔を曇らせれば、原田が横から顔を覗きこんでくる。

「名前、顔色が悪いな」
「いえ、平気です」
「気になるか。あいつの事が」
「…………」
「斎藤は、大丈夫だ」

名前は笑って見せたが当惑は隠せていなかった。
他の者がどう考えているかは解らないが少なくとも原田は、斎藤が伊東派に変心したわけではないと知っている。だが表向きはあくまでも高台寺党だ。

奴が帰参するにもこれじゃあ面倒な事になるんじゃねえか。

そして平助の立場は新選組から見ればまた別の意味で厄介だ。仲間として和気藹々とやっていた頃を思う。
名前を慰めはしたが実のところ大丈夫と言った根拠は何もない。原田も内心は気が重くなった。だが名前にそう話すわけにはいかない。

「あんまり心配するんじゃねえよ。また痩せちまうぜ?」

明るく言ってやれば小さく笑みを浮かべるのを、原田は目を細め少しだけ切なげに見つめた。
土方は近藤に合わせ笑ってはいたが胸中は複雑である。今の幕府に貰った地位がそんなに有難いもんかよ、と腹の中では思っていた。
広間を下がってからも満面の笑みで嬉しがり昼間から酒でも呑みそうな勢いの近藤をさすがに止めれば、仕方なく茶を啜りながらしみじみと溜め息を漏らす。

「トシよ。俺達の夢が一歩一歩叶っていくな」
「……ああ、そうだな」

それでも己の全てを懸け盛り立ててきた近藤の出世である。言いたい事をぐっと飲み込んで同意を示したが、彼の脳裏には御陵衛士に出した斎藤、平助の事がちらりと過ぎった。
あいつらを取り戻すなら、いつだ。斎藤はまだいい。奴は自分の頭で考えられる男だ。だが平助は。
土方にとっては近藤と同等に命懸けで大切に守って来た新選組本体の斜陽が、既にここから徐々に始まっていた。
この五日後、新選組は西本願寺から屯所を移転した。
西本願寺側としては長い間行われてきた新選組の組織内抗争や粛清、或いは軍事訓練など仮にも仏閣においてあるまじき行為に、かねてより不満を募らせていた。挙げ句土方の指示で諸士調役兼監察吉村貫一郎が西本願寺と交渉し建築費、諸経費を西本願寺に負担させ新施設に移ると言う結果になったのだ。
三番目となる新しい屯所は不動堂村にあり堀川通りを少し南下した辺り、高台寺からの距離もこれまでとほとんど変わらない。不動堂村屯所は大名屋敷と比べても遜色のない重厚さだった。
何かと忙しい最中ではあったが引っ越しを速やかに終えた。



昼過ぎと言うのに厚く覆った沈鬱な雨雲のせいで、室内は気が滅入るほどに薄暗い。
半日かけて仕上げた書類を抱え名前は土方の部屋へ向かう。真新しい建物に移転後幹部用の居間は広く立派になった。
声をかければ手元だけ燭台で照らした土方が機嫌よく振り返る。

「名前か。量が多くて悪かったな」
「いいえ、」
「お前、身体の調子は大丈夫か?」
「は? 特に問題はありませんが」
「なら悪いんだがな、使いを頼まれてくれねえか」

伺うような目で名前を見た。土方はやはり優しくなったと思う。それは隊務復帰を禁じられて以来、時々感じていた事だ。
その優しさは労りと言うより恐縮とかきまりの悪さと言うような、また何かを誤魔化すような雰囲気があって名前はしばしば居心地の悪さを覚えた。
以前の副長はこんな言い方をしなかったように思うが、考え過ぎだろうか。

「はい」
「ここに手紙を届けてもらいてえんだ」

土方は紙に包んだ書状を丁寧に書かれた地図と共に名前に手渡した。

「あの、どなたに?」
「相手はここに書いた茶屋にいる。ちっと遠いんだが……」

見ると上七軒とあり確かに少し遠い。

「この天気だしな、女の足では大変だが」
「いえ、大丈夫です。行きます」
「そうか、悪いが頼む」

土方はほっとしたように溜め息をついた。
どうでも名前を行かせたい様子である。

「それとな、女の形で行ってもらいてえんだ」
「え……?」

上七軒は島原や祇園とはかなり離れていて小規模ではあるが一応花街である。そこの茶屋にわざわざ女の形で行くとは?
一瞬戸惑いをみせ顔を強張らせた名前に、土方が察したように笑って付け加えた。

「別にお前を売るわけじゃねえし相手は間違いを起こす奴でもねえ。お前は斎藤から預かった大切な身だ。心配するな」
「……はい」

どことなく腑に落ちない気持ちになりながらも名前は頷き、言われた通り近藤の奥方の家に寄り着替えると、高足駄と蛇の目傘で雨の装備をし書状を大事に懐に携えて出かけた。
土方は名前が出ていった後、暫し物思いに耽っていた。思い立ち勝手場に顔を出す。

「千鶴、名前は俺の使いで外出してるから飯の支度お前だけになるが、頼む」
「はい、解りました。夕餉までには戻るでしょうか?」
「うん、……今夜は戻らねえかも知れねえな」
「そうなんですか、わかりました」

千鶴は疑問を浮かべた顔をしたがそれ以上は追求せずに頷いた。
ここに至っても名前は斎藤が密命を受けた間者として高台寺党に潜入している事実を未だ明確に知ってはいない。機密であるから元より土方から語られることはなく、また別の向きから斎藤がひた隠しにしたからだ。名前にとって斎藤の行動は何か考えがあっての事と納得するしかなかった。
土方の態度の軟化は、信頼する部下の想い人に苦労をかけている事への罪悪感のようであり、気遣いの表れでもあった。



雨の日は人出も少なく日暮れも早いので、ゆっくりしていては帰るのが遅くなり危ない。名前は足を急がせるが、このような非日常の自分が何となく珍しく浮き立つような気持ちもある。
歩く道はかつて巡察に回った経路でもあり懐かしく、しとしと降る雨は優しく心を穏やかにしてくれる。知らず知らず脳裏に当時の事が浮かび、その光景の中には自分を見つめる恋しい人の姿があるのだった。

はじめさんはどうしているだろう。

ふと気づくといつもそう考えている。信じて待つと決めてはいても会えない日々が長くなってくれば寂しくないわけがない。
つねに借りた着物はいつもの気に入りの納戸縮緬で、髪には今日も彼に贈られた大切なギヤマンの簪を挿している。傘を持っていない方の手で簪にそっと触れ気持ちを落ち着けると、小ぬか雨の中を名前は足を取られないよう気をつけながら歩いて行った。



prev 43/54 next
目次

MATERIAL: ユリ柩 / FOOL LOVERS

AZURE