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41 虚構


「土方さん、ちょっといいか」

夕餉が終わり間もなくした時分、原田は土方の自室を訪れた。相変わらず忙しそうに夜になっても書き物をする土方は顔も上げず背中だけで返事をする。

「なんだ。給金の前借りは認めねえぞ」
「そんなんじゃねえ」
「新八の奴は島原行ってんだろ。一緒じゃなかったのか? まあお前らもいい年だ。たまにゃ大人しくしてる事だ」
「御託を聞きに来たんじゃねえよ。あんた、俺らに何隠してるんだ?」

土方がやっと手を止め振り向いて原田を見る。胡座をかいて座り込んだ原田の目はいつになく剣呑だった。

「何の事だ」
「色々考えたんだがな、どうも不自然なんだよ」

言わんとするところを察したのか、土方が眉間に深い皺を寄せ面倒そうな顔をした。煩わしげに机に向き直ったその背に原田は尚も言い募る。

「名前は何で斎藤について行かなかった?」
「知らねえよ」
「島原以来あんなに憔悴してた名前が今は笑ってんだよ。おかしいと思わねえか。斎藤に何か含められてるのか?」
「お前は名前に懸想してやがったのか」

話をすり替えて誤魔化す土方に、原田は苛立ちを募らせて声を荒げた。

「そんな事は問題じゃねえ。どう考えても色々おかしいだろうが。斎藤が伊東さんに傾倒するなんざあり得ねえ。しかもあいつ、出ていく前に俺に名前を託すような事を言いやがった。あれは奴が……」
「だったら、何だってんだ」

土方はぞっとする程低い声で原田の言葉を止めた。
その響きに一瞬息を飲んだ原田は、ややあって再びその唇を動かす。それは土方に負けぬ程の底冷えする声だった。

「斎藤を送り込んだのはやっぱりあんたか……土方さん。名前は、人質か」

机に向かったままいつの間にか土方の筆を持つ手が止まっていた。一時その場を沈黙が支配する。
沸点に届きかけた原田が膝を立て、まるで土方に掴みかかろうとでもいうように腰を上げかけた時。

「左之、お前が何を考えてるか知らねえが、今言った事は他言無用だ。名前の身が心配ならな」

正に鬼の副長の名を彷彿とさせて土方が凄む。流石の原田も動きを止め、そのまま黙らざるを得なかった。

畜生、脅すつもりかよ。

その背を睨み付けたが土方は二度と口を開かず振り返りもしなかった。



鈴木三樹三郎が危惧した通り斎藤の素行は決して良くはなかった。屯営内では一匹狼の色合いを濃くし仲間との交流も必要最低限、三日にあげず島原へ通っている。あれは女に入れ込んでるなと噂が立っていた。仲間内の評判が日に日に悪くなる。
平助さえも目に余り心配してそっと斎藤に進言する。平助は新しい環境に少しは馴染んできたようだった。

「一君さあ、どうしちまったんだよ。島原に入り浸るなんてらしくねえよ。皆にあんまよく思われてねえし……」
「俺の事は気にするな。それから俺に無闇に近づくな。お前も同じだと思われる」
「だってさ、名前にこんなことわかったら……」

名前の名を出すと斎藤は凍りつくような視線で平助の言葉を遮った。平助は二の句が次げなくなる。
一方、三樹三郎も度々伊東に陰口をきいていた。

「本当に信用してるんですか。あいつは隊の金を使って花街で遊んでるようですよ」
「大した金じゃないでしょう」

御陵衛士の活動準備金とて潤沢というわけではないのだ。
しかし兄は三樹三郎の告げ口に取り合わず、むしろ斎藤をお気に召している様子だ。

剣豪でありながら文人でもあった伊東は、他の者が持たぬ斎藤のどこか品を感じる静かな佇まいを気に入っていた。
伊東派に異心の出来た頃から斎藤は伊東の論によく耳を傾け分離に際しても尽くしていた。実際に彼は伊東に対し非常に従順である。かつて土方にそうであったように。
夜通し屯営を抜ける事が多くとも大切な会合には必ず同席していたし、また斎藤の剣術の腕も伊東は心頼みとして彼を有力な味方と考えていた。御陵衛士はもとより剣豪揃いではあるが人数は未だ少ない。使える剣を持つ人間は一人でも多く欲しい。
素行など多少悪くとも構わない、女に溺れる程度の事はいくらでも目を瞑ろうと思っていたのだ。それが賢人伊東甲子太郎の見込み違いであった。
土方が間者として斎藤を選んだ事はここでも吉と出る。
斎藤は全ての事を計算ずくで運んでいる。
新選組黎明期からの付き合いの平助との接触を極力避けるのもそのためだ。しかしどこか部外者である感の否めない平助は心細さから自然に斎藤と行動を共にしたがった。自分と懇意にする事はゆくゆく平助の首を絞める恐れがあると、斎藤はそれだけを危惧した。
素行を悪くするのは言うまでもなく煙幕である。あいつはいつも女の所にいると思わせておく腹があった。島原通いのおかげで屯営の脱出も容易い。より怪しまれずに出歩く事が出来、報告にも行きやすい。
斎藤は十日に一度は新選組の裏門を潜った。草木も寝静まる深夜に侵入し土方の部屋へと赴く。斎藤の逐一の報告で伊東の薩長との関係は、近藤や土方にも手に取るように解った。
ある深夜、報告に訪れた斎藤が用を済ませ帰ろうとすれば土方が水を向けた。

「お前、暫く名前に会ってねえだろ。寄っていったらどうだ」
「いいえ。結構です」
「あいつも寂しくねえわけじゃねえと思うぜ」

それでも斎藤は頑なに固辞して西本願寺を後にする。
斎藤が名前に会いたくないわけがない。だが彼は新選組内部に伊東の間者が潜んでいることを知っている。
無論土方もそれを解っていた。斎藤のほんの僅かの危険をも犯さないその徹底した慎重さに舌を巻くと共に名前への想いの深さをまた確認させられる事となり、新選組にとっては重要な任務とは言え二人を裂いているのが己であると言う事実に彼は彼なりに密かに心痛した。



暮れ六つ時、斎藤がいつものように出掛けようとすると、ちょうど外から戻った篠原泰之進と顔を合わせる。

「なんだい、斎藤先生は今夜もですか。お盛んなことだ」

斎藤は唇の端をほんの少しだけ上げた笑い方をし、黙って横を通り過ぎようとした。

「いい女がいるなら、紹介しなさいよ」

篠原もからかうように薄笑いを滲ませたが、それにも曖昧な表情を浮かべやり過ごした。

「だが程々にした方がいいんじゃないかい?」

その声を背に聞いて出掛けた斎藤が今では通い慣れた島原大門を潜ると、前方から見知った姿が歩いてくるのを認め足を止めた。

「一君……」

平助だった。しかも千鶴を伴っている。ばったりと鉢合わせ動揺を隠せない平助に斎藤が目を合わせずに無表情で問う。

「何をしている」
「あ、俺達は……、一君こそ、また来てるのかよ」
「俺の事は気にするなと言った筈だ」

ちらりと目をやると千鶴は顔を伏せ黙っていた。

「ここにも人目がある。気をつけろ」

それだけを言うと斎藤は表情も変えずに歩き去っていった。
千鶴と平助は言うに及ばず逢い引きの最中だった。
仮にも千鶴は新選組の人間だ。危険を犯しても会いたい気持ちを押さえられなかったのだ。
だが千鶴の注意はこの偶然の出会いに逸れてしまった。

「斎藤さんがどうしてここに……?」
「うん……」

平助にも咄嗟に上手い言い訳が浮かばない。

「また来てるって言ってたけど、斎藤さんいつも来てるの?」
「いつもって言うか……あのよ、千鶴、この事名前には、」
「言わない。言えるわけないよ!」

斎藤の意図を露知らない千鶴の目には怒りすら滲んでいた。



斎藤の向かう先は決まっている。新選組もよく使う角屋などへは上がらず、小さな茶屋へと出向く。
顔になっている彼はいつも通り夕飯代わりに少しの料理と酒を頼み、回りの目に奇異に映るのを避ける為に置屋から妓を呼ぶ。
その妓も決まっており居ない時は独りで呑んだ。名は朝露と言ってまだ雛妓である。雛妓とは芸妓として一人前にならぬ所謂反玉の事であるが、初めて芸妓を呼んだ時に雛妓としてお供についてきたのが彼女だった。
決して払いの悪くない斎藤に、もっと良い妓がいるのにと置屋からは太夫や天神を勧めてきたが、取り合わずいつも朝露を呼んだ。
座敷に慣れぬのにいつも呼ばれる朝露は初めの頃こそ怯えを見せ所在ない様子であったが、容姿端麗で無口なこの男が無体な真似は一切せずただ静かに独りで呑むだけなのが、逆の意味で居心地が悪くなってきた。
もう随分になるのにこの客は名すら名乗らないのだ。
ふと気になった事を聞いてみる。

「あの、お武家様は何故私を?」

すると斎藤は薄く微笑んでみせた。

「お前は俺の知った娘によく似ている」

せめて酌をと伸ばす手も優しく目で制しまた独りで呑む。
そうするうちに、朝露は知らず知らずこの客に興味を持つようになっていった。だが反して彼は、朝露がいてもその存在を空気か何かとでも言うように、いつまでも手を触れるどころか会話さえ最低限にしかしないのである。
違和感を感じたが彼女も雛妓とは言え芸妓の端くれ、置屋に戻っても余計な事は一切喋らない。
朝露の面差しは名前にとてもよく似ていた。



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MATERIAL: ユリ柩 / FOOL LOVERS

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