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28 蜜月


夜明けの白い光のなかで寝顔を見つめる。
腕の中で眠る名前は口許にほのかな笑みを浮かべているように見えた。額に小さく口づけを落とし露わになった細い肩の傷痕に唇を触れる。僅かに身動ぐ名前に動きを止めるが、規則正しい寝息を確かめると彼女の肩まで覆うように布団を掛け直した。
眠る名前はあどけなくつい先程まで自分の下でたおやかな姿を見せていた事が夢のようにさえ思えた。
だが愛しいその全てを自分のものにした余韻がこの身に残っている。
夢などではない。
この幸せな時間が日の出と共に奪われる事に少しの口惜しさを感じながら斎藤は彼女を起こさぬように静かに床を滑り出た。自分が無理をさせたせいで一刻程しか眠っていない。今朝はゆっくり眠らせてやりたかった。



昨夜、斎藤に言いたいことを言ったあと寝たふりをしていた原田は、彼が静かに立ち上がった事に気づき、広間から出ていく気配を目を閉じたまま感じた。
近くで永倉の鼾が聞こえたり途切れたりしており、まんじりともしないまま白々と夜が明けるのを知った。
平素はこんなに早く起きはしないがのろのろと身体を起こす。永倉はまだ寝ている。酒がまだ残る重い頭を一度振った。
顔でも洗うかと井戸に向かいながらふと目を向けた廊下の先は名前の部屋である。眩しいものを見るような目で見つめていた原田の目に映ったのは、そっと開いた障子の中から出てきた斎藤の姿だった。
きりりと痛みが刺す。斎藤は無表情だがその部屋で何があったかなど明らかだ。
視線に気づかないまま斎藤は真っ直ぐ井戸へ向かい、洗面をして手拭いを使っていると突然背に声がかかった。思いがけぬ声に内心の動揺を抑えて振り向いた。

「よう、これから朝稽古に出るのか」
「……ああ」
「まあ頑張れよ」
「左之は稽古をせぬのか」
「今日はな、酒が残ってる」

当たり障りのない会話を交わし木刀を片手に門へ向かう斎藤の背を見送った原田は渋面を作って独り言ちた。

こんな時もいつもと変わらねえんだな、お前は。



一頻りの鍛練を終え名前の部屋へと戻ると愛しい人は出た時のままの姿で眠っている。

「名前」

呼び掛けるが目を覚まさぬのでその頬へまた唇を触れる。髪に触れ額へ瞼へ鼻先へ、最後に唇を塞ぐと睫毛が微かに震えゆっくりとその瞼が開いた。

「……ん……」
「名前……」
「……斎藤さん」
「起きたか」
「……はい、あの?」

目が覚めるなり至近距離で蒼い瞳に覗き込まれていた。驚く間もなく斎藤が徐に布団を退けて彼女を抱き締め、名前は何も身に付けないまま腕に包まれて慌てる。

「あの、斎藤さん……?」
「…………」

真っ赤になりながら名前は力の入らぬ身体で抗うこともままならずされるがまま。
斎藤が少しだけ不機嫌な目をして名前を見た。彼女は言い直す。

「は、はじめさん……」
「もっと、呼んでくれ」
「え?」
「俺の名を」
「はじめさん?」
「お前に名を呼ばれると嬉しい。もっとこうしていたい」
「だっ……だめですっ」

押し退けようとすると悲しげな顔をする斎藤から逃れる事も叶わず、名前は羞恥と困惑の入り交じった瞳で見返す。

「だっ……だって、はじめさんは、もう身支度してる……」

斎藤が目元を緩ませ抱き締めたまま髪を撫でた。

「寺に行ってきた」
「え、起こしてくれたら、」
「……今朝は身体が辛いだろう?」
「…………」

その言葉に数刻前の事が甦り名前は熱の上る頬を斎藤の肩に押し付けて隠した。言った斎藤も同じようにカッと赤くなる。

見ないで下さい、と言われ斎藤は後ろ向きを強要された。 背後で彼女の衣服を身につける衣擦れの音が聞こえ、こんな些細な事にさえもこの上ない幸せを感じた。
顔を洗う為名前が井戸へ行こうと立ち上がると、下腹に例えようもない違和感を感じた。

「…………」
「どうした?」
「あ、あの、私……、歩き方が変じゃないですか?」

まるで"がに股"になってしまっているような感覚にその場に座り込んだ。斎藤が先刻より更に顔を染めた。

「す、すまない、俺のせいで、」
「いえ、そんな……」

二人して真っ赤に染まった顔を俯け合った。
ややあって斎藤が立ち上がる。

「ゆっくりしていろ。桶に水を汲んで来る」
「でも、病気じゃないのに、」
「今日はいい。朝餉も部屋へ運んでくる」
「そんな、大丈夫です。広間に行けます」
「気にするな、俺も此処でとる故」
「はじめさんは、私を甘やかし過ぎです」

悪戯っぽく笑うと、彼は至極真面目な顔で答えた。

「もっと、甘やかしてやりたいくらいだ」

まだ顔を赤くしたままで斎藤が部屋を出ていった。名前は幸福感に包まれる。不器用なのにとても誠実な彼の優しさに、蕩けてしまいそうな程の幸せを感じた。微かに心に掛かる憂いを今は忘れていたかった。



「名前さん、何だか最近また綺麗になったみたい」
「え?」

土方に頼まれた書類の清書をする名前の横顔を覗き見ながら、千鶴が言う。

「斎藤さんと何かありました?」
「……えっ?」

動揺した名前の筆からぽたりと墨がおちる。

「あっ! ごめんなさいっ」
「うっ、ううん。まだ少ししか書いてないから大丈夫。書き直すから……」

慌てて新しい紙を出すのだが、そこにまた墨を垂らしてしまう。

「あ……」
「名前さん、ごめんなさい……」
「いいの、大丈夫」
「ねえ? 名前さんも、私と同じで解りやすい」
「そ、そうかな」
「そんなに慌てるなんて。お二人が前より仲が良くなったと思ってたの。あ、ほら来ましたよ」

千鶴がくすりと笑ったところへちょうど斎藤がやって来る。

「名前、終わったか」
「ま、まだ、もう少しです」
「早くしないと置いていくぞ」
「すぐ終わりますから……」

その日は斎藤の非番で、研ぎに出した刀を受け取るついでに街を見てこようと約束していた。隊務で共に行動する事は勿論あったが、個人の用向きで二人で出かける事は初めてだった。
近藤の計らいでその日も、名前は袴姿ではなく簡素ではあるが女の形で出掛けた。
屯所を出て暫く行くと、斎藤は向こうを向いたまま右の肘を差し出す。

「え?」
「今日は市が出る。人が多い。はぐれるといけない」

髪の間から覗く耳が真っ赤になっている。
思いやりが嬉しくて、名前も頬を染めながら斎藤の袖の肘辺りをそっと摘まんだ。

刀を受けとると斎藤が小間物屋へと向かう。

「何かお求めになるんですか?」
「いや、……名前の物を、何か」
「え、でも」
「簪は俺が選んだが、お前の欲しい物を買ってやりたい」

出掛けてから斎藤の顔はずっと赤く染まったまま戻る暇がない。彼の気持ちが嬉しくて胸が一杯になった。

「はじめさん、それなら……」

帰り道二人の手の中には揃いの髪結い紐があった。
斎藤の物は白で名前のは薄紅色で、丸打ちの組紐が艶やかで美しい。

「こんな物でよいのか? もっと何か、」
「はじめさんとお揃いなのがいいんです」

斎藤は微笑みながらも、では今度また、と言った。
朝稽古の寺に寄り道をし、お互いの髪に新しい髪紐を結び合う。いつしか夕闇の迫る境内で、照れて小さく笑い合いながらお互いの目にお互いを映し、抱き締めあって優しい口づけを交わした。



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MATERIAL: ユリ柩 / FOOL LOVERS

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