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序章 巡逢


絢爛と咲き誇る桜の花と対比した暗がりに沈むその巨木の根元。
回廊から見える中庭に無目的に向けた視線の先がボゥと淡く光っているような気がした。



隊務を滞りなく終え食事も入浴も済ませ、張り詰めた神経をやっと弛緩させる夜四つ、自室へと向かう俺の意識に触れる何か。
階を降りてゆっくりとそこへ近づけば、鮮やかな緋色に包まれた女が倒れていた。

これは一体?

屯所に見知らぬ女が居るなどあり得ぬ事だ。何故このような所に倒れているのだ。隙間なく竹矢来の張り巡らされたここは外部から容易に侵入出来るような場所ではない。

間者か?

緩みかけた神経が再び緊張をする。このまま捨て置くことは出来ぬ。
女は意識を失っているようだが、引き起こし顔を確認した。息を呑みその相貌に釘付けになったのはほんの刹那のことだった。



自室に運び込み取り敢えず布団に寝かせ、様子を見るが女の意識は直ぐに戻る気配がない。
副長室へと赴く。

「少し宜しいですか」
「斎藤か。入れ」

音を立てぬように障子を開けた。

「こんな時間に珍しいな。何かあったか」
「面倒事が起こりました」
「あ?」



副長を伴い自室に戻れば、女は先程から身じろぎ一つした様子もなく、昏々と眠り続けていた。

「こりゃ……どういう事だ」

一通りの説明をしたが、副長は眼前の状況に困惑している。俺も全く同じだ。実際困惑するより他はない。
しかしいつまでもこうしているわけにもいかぬ。

「この者が新選組に仇を為す恐れがあるならば相応の処置が必要と思います。しかし覚醒してから事情を聞かぬ事には、今はどうにも……」
「まぁ……そうだな」

副長が眉間に深い皺を寄せ溜め息をついた。

「朝になりゃ目ぇ覚ますかもしれねえ。話はそれからだ」
「はい」
「斎藤、手間だろうがこいつはお前の拾いもんだ。起きるまで監視してくれるか」
「承知しました」



副長が引き取った後、眠る女の姿をじっと見ていた。
安らかな寝姿は物騒な事柄とまるで無縁に見える。

まさか、屯所の庭で女を拾おうとは……

長い黒髪。抜けるように白い頬、閉じた睫毛が長い影を落としている。すっきりと整った鼻筋、薄っすらと開いた唇からは呼吸音が聞こえず、その静けさが気になり思わず胸に耳を当てた。
規則正しい鼓動がきざまれるのを確認し安堵すると、急に自身の体勢に気づいて狼狽える。見ている者など誰もないのに、誤魔化すように首を振って固く目を瞑った。
瞼の裏に襦袢の白い襟が眩しく焼き付いていた。






鈍い頭痛がする。
ゆっくりと開いた目に映ったのは見たことのない天井だった。
障子の色は白々とした未明の色。

どこ?

身を起こそうとしたが全身は軋むようで、動きが止まる。ずきずきと頭が痛んだ。

「起きたか」

低い声に視線だけを移すと布団の傍ら、膝二つ分程置いた位置に見知らぬ男の人が座っていた。 全く表情を動かさずに目だけが鋭く此方を見据えている。

誰?

状況が飲み込めない。横たわったまま脳が働き始めるのを待つけれど、頭はなお痛む。

「お前は何者だ」

再度聞こえた声は静かだがその視線と同じく鋭い。急に恐怖に似た感覚に襲われた。

誰? ここはどこ?

頭に浮かぶのは疑問符ばかり。目だけを動かして見回す部屋には見覚えがなく、得体の知れない違和感だけがある。

「何者だ、名を名乗れ」

もう一度男が問うてくる。





ピクリと震えるように瞼が動き女がゆっくりと目を開けた。定まらない薄ぼんやりした瞳は、だが澄んだ琥珀色をしている。
刹那見入る。
声をかけてみるが女の反応は薄い。
直ぐに副長に報告に行くべきか瞬時迷うが、その隙に逃げられても困る。

「苗字……名前……」
「苗字名前か。どこから来た? 目的は何だ」
「…………」
「答えぬとお前の為にならぬ」

虚ろな瞳が徐々に焦点を結びゆっくりとこちらを見る。
僅かな沈黙の後、口を開いた。

「……ここはどこですか。何故私はここにいるのでしょうか」

俺の質問に答えぬまま、逆に面妖な問いを返して女が身を起こした。
ふいに目に飛び込む薄い襦袢姿に刹那動揺しかけて、それと悟られぬよう視線を逸らし立ち上がると、箪笥から自分の着物を出して渡し羽織るように促した。
彼女が身に付けていた緋色の着物は、逃亡を防ぐ目的で昨夜のうちに脱がせていた。




何が起こっているのか解らない。
かなり古い造りの日本家屋の一室のようだが、先程から射る様な目で問う男の姿が異質なのだ。目を見張る程に容貌は端整だが、墨を流したような黒い着物を纏い白い襟巻きを巻いていて、紫黒の長い髪を右耳の辺りで束ねている。何より驚いたのは傍らに置かれた刀のような物。大小二本ある。
手渡された着物を肩に掛ける手が震えた。
襦袢一枚の下着のような格好でいた事に気づいたが、羞恥より恐怖に心が占められた。
何者かと聞かれても記憶が曖昧で答えられない。どこからどうしてこんなところへ来る羽目になったのか。全然解らない。
頭痛がいよいよ酷くなってきた。
妙な事を口走ったらあの刀で斬られるかも知れない。怖い。
だけど私には名前以外の記憶がない。

痛む頭でも、たった一つだけ気づいた事がある。
天井には照明器具が見当たらなかった。



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MATERIAL: ユリ柩 / FOOL LOVERS

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